東京オリンピックでバレーボールの実況を担当!保井ひろゆきさんのストーリー
あなたの話【ストーリー】を教えて25話。
本話にご登場下さるのは東京オリンピックでバレーボールの実況を担当する保井ひろゆきさんです。
オリンピック前の忙しい機会にわざわざインタビューに応じて頂けたことに感謝です。
MCをスタートする前は波瀾万丈の人生
保井さんにとってオリンピックで実況を行うという事は長年の夢であったと言います。
そして現在ではオリンピックという大舞台でMCを任せられるほど実績を積み上げて来た保井さんですが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったようです。
そもそも保井さんの学生時代の夢はプロの野球選手になる事だったと言います。
当時、保井さんは野球の名門校に通いながら本気でプロを目指して練習に励んでいたようです。
ですが大学時代、残念ながらプロ野球選手になるのは難しいと考えるように至った保井さんはプロ野球選手という夢を「高校野球の監督」へと切り替えたと言います。
監督として甲子園を目指そうと。
甲子園から日本武道館へと夢を切り替える
大学時代に見事教員免許を取得し、3校ほどから内定をもらう事にも成功したという保井さんですが就職を目の前にした際、心に迷いが生まれたと言います。
確かに高校野球の監督になるのは一つの夢だったが、このまま就職して良いのだろうか?
本当は人生でもっと色々な事にチャレンジしてみたいのではないか?と。
そうして悩んだ末、出した結論が高校野球の監督をやめてミュージシャンとして日本武道館を目指すという新たな夢だったようです。
ベーシストとして2つのバンドで頭角を現す
地元の仲間が活動していたバンドのベーシストが脱退した事を契機に、そのバンドへと加入して音楽家としての新たなステージに立った保井さん。
日本武道館へ立つという新たな夢を携えて活動を始動させるも、最初に関わったバンドとは方向性の違いから数年で解散に至ったようです。
その後新たに加わったバンドはメジャーデビュー経験もある実力派のインディーズバンド。
保井さんは新たな環境でバイトを複数掛け持ちしながら日本武道館という新たな目標に向かい邁進する日々を過ごします。
しかし新しいバンドへ加入後はCD発売日当日にバンドメンバーが脱退表明をしたり、結婚を理由に辞めていくメンバーがいるなど次々と予期せぬ事態に陥っていったようです。
結果として保井さんは日本武道館に立つという夢を諦めて、MCという新たな目標に向かう事になっていったようです。
きっかけはバイト先のビンゴ大会!?
バンド活動を行っている時期、生活を支える為に複数のアルバイトを掛け持ちしていた保井さん。
そのうちの1つが当時渋谷にあったというミュージックレストランだったと言います。
そのミュージックレストランでは毎週土曜日になるとレストラン主催のビンゴ大会が開催されていたようで、ビンゴ大会の司会はアルバイトの保井さんが引き受ける事が多かったようです。
元々人前で話すのが好きだった保井さんにとってMCは天職だったのかもしれません。
保井さんの見事なトークはビンゴ大会に参加する沢山の方の評判を呼び、ある時は某企業の会長さんから「君は話すのが凄い上手くて良いねー」と声を掛けられた事もあったようです。
そうやって少しずつ自信を深めていった保井さんは一大決心をし、バンドを辞めてアナウンサースクールへと通い始めたようです。
さて、その後保井さんがどのようにしてオリンピックの実況までへと駆け上がっていったのか?
続きは是非動画をご覧ください。