初めまして。

小松拓也です。

 

日本ではあまり知られていない中華圏で活動する小松拓也の経歴

 

僕は18歳で高校を卒業後に台湾へ留学に行ったのを皮切りに、以降これまでの人生を20年以上に渡って中華圏で芸能活動を継続させて来ている俳優・タレント兼実業家です。

 

また、そのうちの約10年近くを台湾や上海に住みながら活動をして来た日本人です。

最初の台湾留学では当時の所属事務所の先輩であったビビアン・スーやチャイニーズゴーストストーリーシリーズでもお馴染みのジョイ・ウォンの実家などにホームステイをさせてもらうという大変贅沢な体験をし、そういった素晴らしい先輩達の背中を追う形で2003年には北京語CDアルバム「一萬個為什麼」を台湾や香港、シンガポールなどの中華圏でリリース。2万枚のセールスを記録します。

 

2007年からは活動の拠点を上海に移し、中国の国民的テレビオーディション番組として一世を風靡した「加油!好男兒」に参加をして、総応募者8万人にも及んだ参加者の中からトップ20に選ばれたことがきっかけで「上海で一番有名な日本人」と日本の複数メディアからも紹介を受ける活動を実現しました。

 

2012年から人生を転げ落ちる…

 

でも順風満帆であった上海の芸能生活を想定すらしていなかった突然のアクシデントにより全て失うことになります。

2012年に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに日本人が中国で芸能活動を行うことが出来ない状況に追い込まれ、失意の中日本に帰国をしたのです。

 

悲しみの中、母国の日本へ帰国した後に僕へ待っていたのは自分が世話になって来ただけでなく、沢山の友人を抱えて、深い親しみを持っている中国や中国人を嫌いだという沢山の日本人や反中ムードの世の中。

当時の時代の流れの中では、僕の中国での実績など全く役に立たず、面接する芸能プロダクションの面接では連戦連敗。

あまつさえ、当時30半ばを迎えていた僕に対して「諦めてサラリーマンでもやりなよ。いい年なんだし中国でどうだったか知らないけど君のことなんて誰も知らないよ。」などという心ない言葉をかけてくる人間にさえ遭遇したのです。

 

悔しかった…。

そして思いもかけない形で人生の路頭に迷ってしまった自分の人生をどのように方向修正していけば良いのかさえいつの間にか分からなくなってしまっていました。

自信を喪失し、人生に目標も失い、精神的にも病み始め、生まれて初めて自殺を考えました。

「こんな惨めで将来も見えない情けない思いはもう沢山だ…。何度も立ち上がろうと踏ん張って来たけどもう限界だ。」

 

当時、駅のホームや交差点で何度飛び込みを考えたかは分からない…。

 

自殺を考え直させるほど衝撃的な出来事に命を救われる!

 

そんな時期にあるニュースを知って涙することになります。

 

中国人留学生が川で溺れた日本人の少年の命を自身の命の危険も顧みずに救ったというニュースでした。

 

日中関係が戦後最悪と表現されるほど冷え込んでいた時期のことです。

中国人留学生は「人の命を救うのに日本人も中国人も関係ない!目の前にいる幼い命を救うのだ。」と自らの命と覚悟、行動をもって僕に示してくれたかのようでした。

そして、僕は自分の人生がちょっと上手くいかなくなっただけで命を投げだそうとしていた己の未熟さと向き合うきっかけを手に入れます。

 

 

あの頃の僕は、

「中国のことを日本では一切話したらいけないんじゃないかな?」

「自分が人生さえも変えられた中国での体験や関わり合って来た中国人の友人や仲間を好きだという気持ちは日本では隠し続けなきゃならないんだ。」

そんな風に思ってしまっていたかもしれません。

当時の反中の風潮の中で、会う人の多くに中国の批判や中国での僕の経歴さえも否定されることが重なり、心がズタボロに切り裂かれてしまっていたような感覚に陥っていたのです。

 

 

そんな僕に自分の命をかけて日本人の少年を救った中国人留学生の姿は眩しく映りました。

勇気をもらい感動して涙が出ました。

「こんなに立派な中国人も世の中にはいるのだ。俺も命を捨てるぐらいの覚悟があるのなら、命を捨てたつもりで泥臭くてもいいから見栄もプライドも捨てて這いつくばってでももう一回人生を必死にやり直してみよう。」

中国人留学生のお陰で僕は命を救われたのです。

 

 

そうして、地道な活動の上で少しずつ日本でも芸能の仕事が出来るようになっていき、情報番組のリポーターを務めたり、ドラマや舞台に出演するなど日本での新たな再起を図っていくことになります。

 

でも頑張っても頑張っても中国在住時の芸能活動のような大きな結果にはどうしても繋がりませんでした。

40歳を控えた中で先の見えない生き方や人生を再び過ごす日々は正直不安だらけだったし、希望を見出せすきっかけも掴めませんでした。

大好きなエンタメの世界でこれからも生きていきたいし、今更諦めたくもないという気持ちだけが活動の原動力でした。

でももう一度脚光を浴びる算段など正直皆無のように感じていました。

 

40歳から人生リスタート!人に夢を与える生き方を目指す為にまずは自分が成功すると決めた!

 

そして悩みに悩んで僕は決断することになります。

 

「いっそのこと自分で起業をしてプレイングマネジャーとして生きる道を探してみよう。」

 

俳優やタレントとして仕事を第三者から一方的に供与してもらうというそれまでの考え方を切り替え、世の中に自分自身も価値を提供していけるようなライフスタイルを確立していこうと決めたのです。

 

そのように考えてみると自分が世の中に対して価値を提供出来ることは中国や中華圏で20年以上に渡って培って来た人脈や体験、語学や経験値などしかないだろうと思えて来ました。

 

中華圏に長く住んでいたからこそ理解出来る中華圏の人々が日本に求めているものや日本の優位性をはじめ、トレンドや流行の移り変わりや現地の人々の嗜好性など、僕には肌感覚で理解出来ることが少なくありません。

そういった自身の強みをビジネスに変えながら世の中に価値を与える機会をこれからどんどん切り拓いていこうと考えています。

 

また、自分が作り出していくビジネスの上でエンタメとマッチング出来るコンテンツも今後どんどん作っていきたいと思っています。

今後形に成していきたいことは山ほどです。

 

 

「成したい夢を形にしていく人を創生していく」

 

その思いから社名を「株式会社 夢成人」と命名しました。