136:まやかしは自然淘汰される

 

まやかしというのは早かれ遅かれ自然淘汰されるものだ。

 

例えば俺の経験として実際に起こった問題を紹介したい。

 

俺の場合07年に上海の東方衛視チャンネルで開かれた巨大オーディション「加油!好男児」に参加をした事で中国での活路を開く事が出来た。

 

当時、番組の視聴率は非常に高く、上海の街中が番組の話題で持ちきりになり、オーディション出演者たちの上位入賞者は皆一躍有名人と化した。

 

俺もその中の一人であったわけだ。

 

だが元々俺達出演者はしょせん「加油!好男児」に出演をしていたからこそその人気を保てたわけだしファンを繋ぎ止めていられたわけだ。

 

例えば当時の俺のファンの子達だけに話を絞っても、そのうちの一部分は恐らく俺のファンでもあるけれども同時に「加油!好男児」という番組のファンであり、「加油!好男児」というブランド力があって初めて俺に興味を示してくれていた事だろう。

 

だからオーディションが終わるとこういった類のファン達は一人、また一人と自然に俺のファンをやめオーディション時の熱烈な応援や熱狂振りがまるで嘘であるかのように離れていった。

 

俺にとってその現象は当然非常に恐ろしい事であった。

 

何故ならオーディション後はそれまでの10数年売れずにいた芸能生活からようやく脱却し始めたばかりだったし、ブログへのアクセス数の減少やイベント時に会場に来てくれるファンの絶対数の減少は時間が経てば経つほど顕著になっていき、「そのうち俺はまた仕事がなくなってしまう状況に陥るのではないいか・・・?」といつも危惧していたからだ。

 

ファン離れを引き留める為にその焦りからブログの更新率を増やしたり、ファンのみんなとチャットする時間を増やしたり、俺は目先の分かりやすい行動を当時は重視していく。

 

だがそんな行為は実は根本解決には繋がらないその場凌ぎの努力であり、目の前に散らばったごみ拾い作業をしているだけの感覚と何ら変わりのない行為であった事に当時は気付いていなかった。

 

ブログやチャットで情報発信をしても毎日みんなが必要としているエンタメ性に富んだ情報を発信出来るわけではなかったし、俺の当時のつたない中国語では毎回同じような表現しか用いれなくて内容がどんどん淡泊になっていった。

 

しかも仕事が忙しい時期などはブログを更新するのさえ困難でなかなか思うように更新率をキープ出来ずにいた。

 

オーディション出身で有名になる事が出来た俺にとってオーディション後、ファンのみんなをより自分の新たな魅力に取り込んでいく!これが実現出来なければ人気が減少する。

 

それは当然の原理だった。

 

つまりオーディション卒業後、あの当時の俺の人気は一時的なまやかしに過ぎず、あの頃抱えている俺のファンと今抱えているファン達とではその実態が大きく異なるのだ。

 

あの頃の多くのファンが加油!好男児という衣を纏った俺に対してファンでいてくれた事に対し、今俺を応援してくれているファンのみんなはその後の4年間に及ぶ上海での芸能生活の中で個人である「小松拓也」を好きになってくれたファン達なのだ。

 

オーディションの効果だけでその後の芸能生活が全て成り立つわけなど到底なく、オーディションでの効力が生きた期間は1年ほど。長く見てもせいぜい2年目までだったろう。

 

俺は自分の実体験からまやかしというものは世間に通じないものだと思っている。

 

同じ目指すものがあるならばその場凌ぎに四苦八苦する自分の姿ではなくて、「本物」を目指す自分でありたい!

 

 

137:一茶一座とコラボ

 

07年夏。

 

上海に再び戻った俺にまた新たに大きな朗報が飛び込んだ。

 

中国側の所属事務所が喫茶店の大手全国チェーン店「一茶一座」とコラボレーションして俺の作品を出品させてくれるというのだ。

 

一茶一座は台湾で非常に有名な中国茶を取り扱った喫茶店で、中国本土でもを全国展開をしている人気喫茶店だ。

 

その一茶一座が07年年末に新メニューの八十八茶というお茶をリリースするにあたって中国の有名な呂玫継という作家さんとコラボレーションをし、1冊の小説を出版するのだという。

 

その小説には当然八十八茶にまつわるストーリーが描かれており、このお茶を通して知り合った2人の男女の切ないラブストーリーが展開される。

 

この小説は音楽写真小説という形式で全国の書店と一茶一座の店頭、その他インターネット上にて販売される事となり、俺は物語の主人公を写真を通して演じ、同時にその主人公としてこの物語に絡んだ5曲入りのCDミニアルバムを制作するのだ。

 

つまりは八十八茶プロジェクトで俺は自身の写真集とCDミニアルバムの両方を小説のセットメニューとして出品出来るという企画だった。

 

オーディションを卒業後すぐに富士フイルムのデジカメイメージキャラクターに抜擢され、あの頃上海の街中にはデジカメを持った俺の写真が至るところで見掛ける事が出来たし、更にその直後には一茶一座というブランドとコラボレーションした自身の作品を出品出来る事が決定したのだ。

 

本当にこれ以上ない順調な駆け出しであった。

 

今までの長い失敗続きの人生がまるで嘘であったかのように俺は生まれ変わる事に成功していく。

 

幸せ過ぎてまるで夢の中で毎日を生きているような感覚の中、俺は写真集を撮る為の準備に入っていくのだ。

 

 

138:チーチーとの出会い

 

一茶一座とのコラボレーション作品となる音楽写真小説をリリースする事が決まった07年9月。

 

俺がこの作品に携わる事になるのはCD制作と小説の登場人物に扮しての写真撮影の2つ。

 

小説は男女3人の三角関係を描いた作品だったので写真の登場人物にはもう一人ヒロインの女の子が必要だったのだが、この企画が始まって間もなくしてその女性が決まる事になる。

 

俺と同じ所属事務所に在籍していたモデル兼歌手の王加琦(通称チーチー)だった。

 

チーチーは上海でトップモデルとして活躍する女の子で歌手としても1枚のシングルをリリースした経歴を持っていた。

 

今では仲良しな彼女との最初の出会いは共通の事務所のもう一人の新人歌手がCDリリースをした際に催した記者会見の席上でだった。

 

男勝りな性格で次々と歯に衣着せぬ発言を繰り返す彼女を俺は最初上手く付き合っていけるか不安になる。

 

一般的に上海の女性は日本の女性に比べて自己主張が強く表現もストレートな女性が少なくない。

 

チーチーはそんな上海人女性の中でも特に自己主張が強い類に当てはまる女の子だろう。

 

付き合い始めるとそれが彼女のスタイルであり、それこそが彼女の魅力であると気付いていくようになる俺なのだが、最初のうちは彼女のどんな場面でも誰が相手でも物怖じしないどころか遠慮もせず自分の意見をハッキリと通してしまう生き方にただただ圧倒されていた。

 

だが時間が経てば経つほど自分にはない彼女の強さや真っ直ぐな信念に敬意を感じるようになっていったし、同時に彼女の生き方が眩しくて羨ましくもなった。

 

「何故誰が相手でもチーチーはこんなにも自分を貫けるのだろう?」

 

どちらかというと遠慮がちでどうしても周りの人に気を遣ってしまう癖のある俺には彼女の行動や思考は到底真似出来ないものだった。

 

そんな彼女と打ち解け始めるまでは若干時間がかかる事になるのだが、それでも俺は彼女と出会えた事を今でも本当に良かったと思っている。

 

違う国。違う文化で育った人間と触れ合う中で俺は確実に今までの人生とは少しだけ違った自分というものを手に入れていくようになる。

 

そんな意味でもチーチーとの出会いやその後の彼女との触れ合いは俺に十分過ぎるほどの影響を与えていくようになる。

 

 

 

139:中国の音楽事情

 

音楽写真小説の制作決定。

 

そしてチーチーとの共演が決定したのが07年9月の事だったが、実際はその後しばらくの準備期間を経てから制作へと入っていく。

 

それまでの俺はローカルのテレビ番組や雑誌に出演したり、各種商業イベントにゲストとして参加をする事がメインの日々を過ごしていく。

 

日本の音楽業界とはその中身が大きく異なる中国の音楽業界において、音楽が民衆の娯楽の1つである点は日本と共通だとしてもその流行やスタイルは大きな開きがあると言っても過言ではないだろう。

 

多民族から成る中国という国では地方によって聞かれている音楽や流行りも当然大きく異なるし、民謡や民族音楽のような音楽が主流で好まれている地域なども存在する為、音楽のジャンルが日本とは違う意味で幅広いという実態がある。

 

一般的に中国人はどこの地域の人もゆったりとしたバラードを好んで聞いたり歌う傾向が強く、台湾アーティストが歌う現代風ポップスが特に好まれて浸透している文化がある。

 

それに加えてモンゴルやチベット近くの高原に居を構えるような民族が特に好む民謡や伝統音楽のほか、日本で例えるところの能や歌舞伎にあたる京劇がテレビなどでもよく聞いたり目にしたりする機会が多いなど人々の生活に伝統音楽や民族音楽が日本以上に密接であるという点も日本の音楽事情とは大きく異なる点だろう。

 

そんなバックボーンがある中、中国のテレビ番組に出演したりイベントに出演する際、中国のそういった伝統音楽や民謡を日本人に歌ってほしいという要望も時にはあり、俺も幾度となくチャレンジを迫られた経緯がある。

 

だが歌というものは本来そんなに単純なものではなく、例えばクラシック歌手と演歌歌手、ポップスを歌う歌手のジャンルは異なっていて然るべきものだ。

 

共通点は多いにあれどやはり最終的にはそれぞれ専門分野が異なるわけだし、稀に何を歌わせてもサラっとこなしてしまうスーパーマンのような歌手もいるけれど、大抵が自分の専門分野でしか歌を歌わないだろうし、特に人前ではそれを披露する事すらしないだろう。

 

俺の中国の活動の中では否応なしにその矛盾に対してチャレンジしなければならない状況が頻発した。

 

例えば日本では信じられない事なのだがイベントやテレビ番組に参加をした際、台本や打ち合わせにもない事項を司会者が自身の判断で「みんなも小松にこの歌歌ってほしいよね?聞きたい人拍手~!」などと言って客を煽ってその場でこちらが全く用意をしていない歌を歌わせられる場面も幾度となく経験したし、こういった出来事は中国では日常茶飯事。

 

加油!好男児のオーディション中の時もそうだったが中国では突然こういったハプニングに見舞われる事が多々あり、打ち合わせ通りに番組が進行しなかったり問題が起こるなんていう事もしょっちゅうなのだ。

 

俺は自分が1つずつ色々な経験を繰り返していく事で少しずつ中国の芸能事情や業界のスタイルを勉強していく事になるのだが、その中では自我を殺さなければやっていけないジレンマを抱えるようにもなっていき、大好きだった歌ですら一時期は歌いたくなくなっていってしまう時期をその後迎える。

 

 

 

140:日本と中国の芸能の大きな違い

 

前回も少しだけ日本と中国の芸能についてその違いを伝えたけれど、今回も俺が自分の活動を通して感じたその違いの一部について触れたい。

 

日本の芸能界の場合、各仕事や現場には必ず綿密に作られた一日のスケジュールや段取りが存在しているケースがほとんどであろう。

 

少なくてもある程度の大まかな骨組みは現場に入る前の段階で決定事項となっている場合が多い。

 

だが中国の場合はその日のスケジュールや段取りがほとんど決まっていない現場も珍しくないし、仮にそういったものがあってもそのスケジュールに沿って仕事をこなしていくというのが必ずしもスタンダードなわけでなく臨機応変に物事がその場で決まっていくというやり方がまだまだ一般的だ。

 

日本のやり方が型にはめたやり方と捉えるなら、中国のやり方は型や枠にはまらない柔軟なやり方と解釈すれば分かりやすいのかもしれない。

 

だが中国の現場では無駄なディスカッションや時間の無駄遣いなども少なくなく非効率な面が多いのも事実だろう。

 

逆に日本の現場に比べると現場が非常に和やかで無駄な緊張感が少ないという点では日本人も学ぶ部分があるはずだ。

 

単純に文化や国の違いと言ってしまえばそれまでだが、虎穴に入らずんば虎児を得ずということでもしこの国に身を置いて成功を願うのであれば嫌でも自分流のやり方や日本の習慣や考えを強調する事よりも、中国のやり方に合った生き方という新しいスタイルを模索しなければ生き残る事は非常に難しいのではないだろうか?

 

これは中国だけでなく、世界中全ての国で共通する事だろうし、芸能の仕事だけでなく他の業種に話題を移しても同じ事が言えるはずだ。

 

だが自分のやり方や考え方を大幅に変えざるを得ないとなった時、特に職人肌の人であればあるほど自分のそれまでのこだわりを捨て新たなやり方を模索するという手段は苦痛な作業になるのではないだろうか?

 

「こうした方がきっと成功する確率が高いから」

 

とか

 

「こうした方が簡単にお金儲け出来るよ」

 

とか、例えばそんな理屈を自分自身が理解していたとして、その手段を現実に再現しながら生きる事を選べる人間と、「いや、俺はそんな生き方はしたくない!」と我が道をあえて進む人と2種類の人間が世の中にはいるだろう。

 

どちらがよりこだわりがあるかという議論をすれば当然後者なのだろうが、こだわりを持った生き方が必ずしも正しいか?と言えばそれはきっと本人にしか分からない答えではないか?

 

仕事や生活上に自分の徹底的なまでのこだわりを最後まで貫き通せる人間がいるのだとしたら、きっとその人はその世界においてのスターであって他の人が真似出来ない唯一無二の能力を持った一部の天才達(本物)なのだと思う。

 

その天才の域に達していない人間はきっと自分の能力が市場にその需要と供給を満たしているか?という事を自覚&分析し、その需要の上に自分のレールを敷く事をイメージしなければ自分が抱える理想だけではご飯が食べていけないだろう。

 

小松拓也という人間は本物になりたくとも未発展な不完全な存在だったろうから、中国で芸能活動をする中でその市場の中に自分の理想を抱えながらも実際に需要のある自分の本意とは全く違う道を歩かなければ仕事を得られないというジレンマを常に抱えながら生きていく事になる。

 

それはいたって苦痛で辛い時間の過ごし方であった。

 

 

 

 

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