101:今度はコントまで!

 

15人から10人に参加者が絞られたオーディションでのこと。

 

オープニングはダンスでの登場。

 

 

続いての審査では参加者それぞれが歌を歌うパフォーマンスを行い、ここまではこれまでのオーディションで定番化していた流れの中オーディションは進んだ。

 

だがビックリしたのは次の審査の内容だった。

 

何とコントを中国語でそれぞれ披露しなければならなかった。

 

これには「さすが中国のオーディションだ!今度はこう来たかぁ・・・」と心底思った。

 

少し話が脱線してしまうが、中国では例えば喫茶店や中華料理屋のメニューを見ると膨大な種類の料理が紹介されているというのはあまりにも一般的な事だ。

 

この基準を満たしていないお店はまず流行らないだろう。

 

同じように中国人の歌手が出しているCDアルバムを聞いてみると一人の歌手がポップスからロック、はたまたラップまで歌っているというようなスタイルは決して珍しくない。

 

日本人だったら「この歌手は一体どんなスタイルの人なんだろう?」って少し困惑してしまうかもしれないが中国人にしてみたら色んなものを詰め込んだ方が良い!詰め込んだ方がお得!というような価値観がある。

 

同じように中国の芸能界では日本ほど「歌手は歌手」。「俳優は俳優」といったような一つ一つのカテゴリーが鮮明には分かれていない捉え方が一般的だ。

 

芸能人は歌が上手くて当たり前。

 

 

芝居が出来て当たり前。

 

ダンスも出来て当たり前。

 

喋りは上手くて当たり前。

 

司会も出来て当たり前。

 

 

マルチに対応出来る事がそもそもの基準値であるしステータスであるのだ。

(当然その中でもカテゴリーは分かれているし近年ではマルチではない専門分野に特化した芸能人の活躍も大分目立つようになってきているが。)

 

 

中華料理屋に入って膨大なメニューの中から注文をいざしてみると「これは今日は用意出来ない!」とかランチの早い時間帯でも「これは売り切れだ!」というような回答が返ってくる事がよくある。

 

つまり上手いか下手か?好きか嫌いか?出来るか出来ないかの能力的な話は別として

 

「私はこ~んなにも色んなものを持っていますよ!こ~んなにも沢山の能力があるんですよ。」

 

と人にいかにアピール出来るか?という能力や姿勢が中国ではどの世界でもスタンダードなわけだ。

 

歌やダンスをメインで今まで競ってきたスタイルのオーディションで今度はコント・・・。

 

日本語でやったってきっとコントなんて俺には出来ない。

 

そんな俺がコントに挑むかもしれない・・・。

 

一回目の歌の審査で次のオーディションへの勝ち抜きを決める事が出来れば続いての審査であるコントには参加しないで済む。

 

俺はその可能性に賭けなければきっと今回のオーディションで落ちてしまうだろう。

 

コントのパートナーになった中国人の相手ともまともな練習も出来ないまま俺は本番を迎えていた。

 

 

102:残り10人に選ばれる

 

オーディションは歌の審査に入った。

 

俺はあの時のオーディションでは歌詞が完全に頭に入っていないどこか自信なさげな状態で歌を歌い終える事になる。

 

今までのオーディションでは歌ではいつも好評価を受けていた俺だがこの時の審査で初めて審査員から厳しいコメントをもらう事になる。

 

「まずい!これは落選の可能性もあるかもしれない・・・。」

 

歌の審査を終えた段階で今までにないぐらい落選のイメージが強く頭の中を過った。

 

15人参加者がいた中からまずは2人がこのタイミングで落選させられる事になる。

 

その中に俺の名前はなかった。

 

ホッとしたのも束の間。

 

次のコーナーはコントでのパフォーマンス。

 

日本語でも出来ないコントを中国語でしなければならない。

 

しかも俺とコントを組むはずだったパートナーは先の審査で落選してしまった。

 

当然俺はコントをやらなくても済むようになったがその代わり一人で体全部を使って笑いを表現しなければならなくなった。

 

それでもコントをやるよりは随分マシだった。

 

俺はスーパーマリオの音楽に合わせてマリオになりきるという表現を要求される事になる。

 

マリオのように走ってみたりジャンプしてみるというパフォーマンスを俺は面白おかしく演じきってみせた。

 

審査員の審判が下る事になった次の瞬間、俺はピンチを乗り切り翌週行われる10人から6人に絞られるオーディションへと駒を進められる事が決定したのだ。

 

 

103:番組の過熱ぶりを改めて実感

 

オーディションは上海10強までが確定した。

 

俺はその中に残る事が出来ていた。

 

同時進行で中国他地区で行われていた各地区の10強もこの頃に出揃った。

 

10強に入った時点からテレビ出演やラジオ出演、雑誌出演などの番宣に伴う各メディアへの露出回数も増えて慌ただしさは更に多忙を極めた。

 

好油!好男児専門WEBサイトでは人気選手のファン投票が行われたり以前よりも更に細かく出演選手達のプロフィールを紹介するなど番組の過熱ぶりが至るところでより鮮明になっていく。

 

この頃になるとテレビ局の周りに毎日ファンが集まったり追っかけを始めるファンも出始めてきた。

 

当然自分を取り巻く環境も変化する。

 

数週間前まで全くの無名だった日本からやってきたばかりの俺はこの頃になると注目選手の一人になっていた。

 

たったの数週間で俺の立場はあまりにも急激に変わっていた。

 

街を歩いていれば俺の事を指さして話し出す中国人や声を掛けてくるような中国人も現れ始めた。

 

加油!好男児に出演して勝ち残っている各地区の10強達はこの頃ちょっとした小さなスターのような存在だったのかもしれない。

 

少なくても一緒にオーディションに参加をしている選手の中にはスター気取りでパフォーマンスがどんどん派手になる人間も出始めていた。

 

そんな中で俺は自分の置かれたあまりに急激な変化に戸惑いを隠す事が出来ず、他の選手たちがどんどんと自信を持って派手になっていく中一人で逆境した状況に自分をどんどん追い込んでいたような感覚がある。

 

次のオーディションでは10人から6人にまで絞られる事になる。

 

6人に選ばれた時点で今度は全国大会へと進出を決める事が出来る。

 

そうなれば今までは上海ローカルでしか放送されていなかったテレビ放送も中国全国放送へと切り替わる事になり露出の機会は格段に増える事になる。

 

俺は自分に自信を失いながらも何とかオーディションに勝ち続けたいという葛藤に身を置いていたのだ。

 

いや・・・、勝ち続けなければ芸能生命は終わる事になるだろう。

 

 

104:上海6強へ

 

10人残った参加者がいよいよ6人にまで削られるオーディションに突入した。

 

この時点で残っていた選手はすでに沢山の固定ファンを持った人気選手ばかり。

 

毎回オーディション収録の現場には選手達の為に多くのファンが集まり選手の一挙手一投足に興奮して絶叫したり大声で応援したり、自分が好きな選手が落選のピンチに追い込まれようものなら泣きながら叫んだりするファンが現れるほど番組はヒートアップしていた。

 

最初は番組が用意したサクラがいなければ自分のファンさえ集められなかった俺でさえこの頃になると固定のファンが付き始め、特にオーディションの現場では彼らの熱烈な応援に本当に勇気づけられ励まされるほどに状況が変化していた。

 

洗練された選手ばかりが勝ち残っている険しいあの時のオーディションでは約半分の4人が落選する事になる。

 

俺は自分に正直自信がなかったしいつ落ちてもおかしくないと自覚していた状況の中で最初の審査である歌の審査を歌い終えた。

 

最初の審査で合格を決められるのは3人。

 

まさかその中に自分が選ばれるとは思わなかった。

 

俺は自分でも信じられなかったがあまりにもあっさりと一回目の審査で早々にも翌週のオーディションに参加出来る6人の中の一人という枠を確保する事に成功してしまったのだ。

 

今までのオーディションの経緯を振り返ってもこんなにもあっさりと次のオーディションに駒を進められたのは初めての経験だったから何だか少し拍子抜けしてしまったほどだ。

 

とにもかくにも俺は早くも重圧から逃れる事が出来、他の参加者たちが残りの椅子を賭け争い続ける様子をステージ裏から見守る事になった。

 

その中には俺が日頃一番仲良くしていた選手も混じっていた。

 

だが俺が彼を応援する気持ちも虚しく彼はこのタイミングでオーディションを去る事になっていく。

 

今までも様々な選手が自分の前から姿を消していったけれども一番仲の良かった彼の落選は正直ショッキングだった。

 

あまり中国語を自由に扱えない俺に対しいつも誰よりも優しく接してくれた友の落選は自分が落選を言い渡される事と同じぐらい辛い気持ちにさせられた。

 

オーディションを受かってもこんな辛い気持ちになるなんて・・・。

 

「明日から彼はもういない。」

 

彼がいた事で自分でも知らず知らずのうちに俺がどれだけ精神的負担を和らげていられたかをこの時初めて理解したのだ。

 

同時にこれから始まる孤独なレースを考えると寂しさとプレッシャーに押し潰されそうで自分を制御出来なくなりそうだった。

 

 

 

105:全国大会の始まり

 

 

上海6強に俺は残った。

 

それは同時に全国大会出場へあと一歩まで足を踏み入れた事を意味した。

 

上海以外の地区でも北京、瀋陽、広州、武漢、杭州、重慶の各地区代表6人が選出された。

 

それまではそれぞれ各地区のローカルテレビで予選放送が行われていたオーディション番組も次のオーディションからは全ての参加者を上海に集めて上海の衛星テレビ東方衛視より一括で全国放送される事になる。

 

つまり事実上の全国大会のスタートはここから始まったわけだ。

 

次のオーディションからは全てが生放送。

 

7地区の各代表6人の中から1人ずつが落選する事になるオーディションが次回は開催され各地区代表5名が選出される。

 

会場も1000人は収容可能な大きなスタジオに移って大掛かりで非常に派手で豪華なセットが用意された。

 

その中翌週から始まるオーディションでは毎日7日間日替わりで各地区の最終予選が4時間に渡って生放送される事になった。

 

上海の街中には至るところで各地区の6強の等身大の写真が貼り出され、テレビや雑誌、新聞、ラジオ、WEBなどの媒体に加油!好男児の情報が流れない日は一日たりともなくなった。

 

その盛り上がりはあまりにも異様な光景で嵐の渦の中心にいるような感覚を俺はずっと抱えたままこの後も過ごす事になっていく。

 

同時にこの時から全ての参加者は番組側が用意した1つの宿舎に2人1部屋で暮らす事を義務付けられ朝から晩まで完全に番組の組むスケジュールで行動しなければならなくなった。

 

もう自由などどこにもなくなった・・・。

 

オーディションに落選するその瞬間まで番組の事だけを考え、番組の為だけに没頭する毎日を過ごす日々が始まったのだ。

 

 

前の記事

上海のオーディションで味わった様々な苦悩

次の記事

中国のオーディションは初めてずくし