21:日本への帰国が作ってしまったその後10年に及んだ沈黙時代

 

台湾への10か月に及んだ留学から逃げるように帰る結果となってしまった19歳の冬。

日本へ帰国した当時は中国語習得という目標を中途半端に切り上げて日本へ戻る事への挫折感や虚しさもあったが、日が経つにつれそれらの感情は段々解放感や楽しさへと変わっていく。

実家で家族の元で暮らす事が出来、会いたい友達にもいつでも会え、食べたいものも手軽に食べられて行きたい時に行きたい所へ行く事が出来る。

何より話す事自体がプレッシャーで面倒に感じてしまっていた中国語を話さないで済む楽な生活はまだ子供だった当時の俺にとって本当に快適だった。

だが今振り返ると俺が芸能界や自分の人生でその後10年以上もの長い間日の目を浴びる事のない結果を残してしまう大きな要因の1つとなった台湾留学を挫折して断念したというあの苦い経験は当時の俺にとって残念ながら深刻な問題でなかったばかりか楽観すべき出来事であったように思う。

留学時代の苦い思い出はその後の俺の人生にとって大きなトラウマとなってしまう。

そして海外で過ごす事に対して大きな抵抗感を残すきっかけとなってしまった。

同時にいつも全速で走り切っていた学生の頃所属していたバドミントン部時代のまだ輝きがあった自分を人生初めてのドロップアウトを味わう事で次第に見失っていく大きな出来事にも繋がった。

あの時俺は気付くべきだった。

芸能を本当に生涯の生業にしようと考えるならばどんなに厳しくても困難でも台湾から帰るべきでなかった事を。

そして苦しくても走り続ける選択をするべきであった事を。

芸能界で生きるという事はまさに俺が学生時代に嫌というほど経験した部活でのトレーニングの日々と同じだった。

元々年間に数度しかない大会で勝利して良い成績を収め、達成感や充実感や喜びを味わうその一瞬の為に捧げる試合本番以外の長く果てしない耐え続ける舞台裏での厳しいトレーニングの日々。

どんなに努力したって必ずしも結果が追い付いてくるわけではない。

だが努力しなければ結果などなおさら出せるはずもない。

芸能界も同じだった。

いつ本番で人前に出るチャンスを得る事が出来、自分をアピール出来るか?など分からない。

アピール出来る本番の機会をやっとの思いで手にしたところでそこで自分をアピール出来なければまた次のアピールの機会を得る為に長い時間耐え続けなければならない事だってしょっちゅうだ。

台湾から日本への帰国後10年間。

ある時突然たまたま自分に運がやってきて芸能の仕事のチャンスが入ってくる事は幾度となくあったが、普段走り続ける事が出来なくなってしまった俺にはそのチャンスを活かす能力がなかった。

当然長い時間の中で必死に頑張って失った時間を取り戻そうと試みた時期もあったが、冷静に振り返ってみると俺のあの10年は走っては止まり、また歩き、そして時にまた走ってまた止まる。

その繰り返しだった。

普段走り続ける事が出来る人間にしか栄光の場は用意されない。

厳しいけれどもそれが芸能界という世界だろう。

スポーツでも各ビジネス産業でも一流であり続けるという事は走り続けなければならない大きな宿命を持っていなければ務まらないのだという事をあの頃の俺は気付いていなかった。

 

 

 

22:初ドラマ出演

 

台湾からの留学を終えた同じ年の春。

俺は初めてドラマに出演する機会をもらった。

日本テレビで放送された「女医」という中谷美紀さん主演のドラマだった。

俺はその中で共演者のりょうさんの弟役で日本人と中国人のハーフを演じてデビューを果たす事になる。

当然台湾で勉強した中国語が決め手となってこの役を頂く事が出来たわけだ。

台湾での留学期間が短かったことや台湾で過ごした後期、生活内容がどうであったかは別としても俺は生まれて初めて中国語を活かしたチャンスを手に入れる事に成功する。

渋谷でスカウトをされてから約1年半。

待ちに待った芸能界デビューだった。

スカウトをされた当時は業界に対して全く無知だった事もあり、すぐにでもテレビや雑誌に出演して有名になれちゃうのかな?なんて非常に安易で甘えた考えを持っていた。

だから台湾への留学を含めた芝居や歌のレッスンが続いた下積みの日々はいつ自分に訪れるか分からないチャンスにモチベーションを維持するのが難しかったし、そんな中で少しくさり掛けていたタイミングでのドラマデビューだった。

今思えば非常に運が良かったと思う。

仮に事務所やプロダクションに所属しているタレントでもドラマに出れない新人は山のように溢れている。

その中で僅か1年半あまりの下積みだけでドラマデビューのチャンスを手に入れられる人間が一体どのぐらいいるだろう?

当時の俺にはその意味の大きさや価値すら分かっていなかったかもしれない。

 

 

 

23:初めて経験するドラマの撮影の世界

 

ドラマ「女医」への出演の決定からしばらくして監督やスタッフさんへの顔合わせと衣装のフィッティングを行う機会が設けられた。

どの撮影現場でもドラマや映画の撮影が行われる少し前のタイミングで必ず衣装のフィッティングが行われるのだが役者本人がフィッティングに訪れる前の段階で監督や制作陣によって役者がそれぞれ演じるキャラクターのイメージや衣装が綿密に話されている。

衣装さんがそのイメージを共有した上で何パターンかの衣装をあらかじめ用意し、実際に役者がフィッティングに訪れてそれらの服を試着しはじめるとどういった服装が一番キャラクターのイメージに近いか?と皆で探っていく作業が行われる。

このフィッティングの現場には監督さんやアシスタントさん、衣装さんや小道具さんなど10数人が待機していてその中で毎回着替えを終えた俺は各スタッフの視線と注目を一気に集める事になる。

人に見られる事に慣れていなかった当時の俺はこの異様な雰囲気にガチガチに緊張し服を着替えるだけでも大汗をかいていた。

幾度かの着替えの後、最終的に演じるキャラクターの衣装の方向性がようやく決定する。

このキャラクターはこういう服を日常で着ていてこんな髪型をしているという事が最低限この段階で決まるわけだ。

衣装が決まると次に監督から監督が考えるキャラクターのイメージや台本には載っていない大まかなキャラクターのバックボーンや性格などを伝えられる。

役者はそのイメージを共有して最終的なキャラクターへの役作りを仕上げていくわけだ。

撮影開始前からこういった作業が行われるドラマの世界。

初めて経験する事とはいえ現場に出る前から様々な要素に圧倒されてしまっていたのは間違いなかった。

 

24:やってきた初めてのドラマ撮影現場はロケからだった

 

ようやく心待ちにしていたドラマの撮影現場がスタートする。

現場にはスタッフさんだけでも本当に多くの人がいるし何だか初めてドラマの撮影現場に入った俺にとってはその場所の空気や空間、人やものやそこに存在する全てが緊張の種だった。

現場には主演の中谷美紀さんやりょうさんもいて今まではテレビの中だけでしか見た事のない人たちがあの日は俺のすぐ近くの距離にいた。

「自分の出番がやってくればそういった人たちと一緒にお芝居をする事になっていくんだなぁ・・・。」

そう考えると元々多くないセリフだったが、それを自宅で散々覚えて練習してきたにも関わらず俺の頭の中はパニック状態になりセリフの事や芝居の事を考える余裕どころか現場にいて平静さを保つ事すら非常に困難な状態に陥っていった。

ただラッキーだったのはあの日俺の登場するシーンは一人芝居のシーンだったので幸い有名な方々と一緒に絡んで芝居をしなくて済んだ。

もし初日から相手が必要な芝居を演じていたらと考えるとあの当時チキンのようなハートしか持ち合わせていなかった俺はきっとそのプレッシャーに耐えられたのかどうか・・・?

ドラマ撮影現場の第一歩目である初日を自分にとって最低限のプレッシャーで終えられた事はウォーミングアップにも繋がったし本当に良かったと思う。

生の現場の雰囲気や撮影の進行具合、空気や緊張感などを実体験出来たわけだし、実際に学校に通いながら学ぶ芝居とはまた別のお芝居の必要性や方法もほんの少しだがあの日感じる事が出来た。

とにかく俺は役者として第一歩目を踏み出す事になったのだ。

 

 

25:りょうさんとの共演

 

ドラマ女医の初日撮影を終えるとあまり登場シーンの多くなかった俺は次の撮影日まで日を置くことになる。

当然その期間を使って初日に現場で学んだ反省や学習点を振り返ってイメージトレーニングをする事が出来たしセリフも十分に覚えて準備出来た。

 

だから次に迎える事になった撮影で姉役を演じたりょうさんとの初共演を果たした時、きっと順調にいくと自分に言い聞かせていた。

 

だが実際に始まってみると個人練習の時やイメージトレーニングの芝居とは違いかなり緊張したし新しい困難にぶつかる事になる。

 

ドラマのロケでの撮影というのは1シーン上のカット数を大抵が10数カット以上は撮るものだ。

 

角度を何度も変えてカメラを回したりレンズの大きさを変えたりしながら同じシーン、同じ芝居を何度も何度も撮り続ける。

しかも必ずしも1シーン上の一連の流れを順番通りに撮るというわけではない。

 

だから例えばA→B→C→D→Eというような流れで話が進むシーンだった場合、A→D→E→C→B→D→Bといったようにランダムに撮ったり、場合によってはさっきの話の流れでは一度撮り終えたはずだというようなシーンをもう一度今度は違う角度から撮るというような作業も生まれるわけだ。

非常に大変で長時間に渡る作業だ。

 

役者はその中で常に一定の感情や集中力を保たなければならないし、前のカットと後ろのカットの繋がりを考えながら同じ芝居を繰り返す様々な努力を試みなければならない。

 

もしテンションや1つ1つの動きが前のカットと後ろのカットを編集して繋いだ時に大きく違うようだとたちまちそこに矛盾が生まれてしまい違和感の種となってしまう。

 

りょうさんと初共演したあの日俺は前回の撮影では味わえなかったこういった新しい困難に直面する。

何度も何度も同じシーンをランダムな順番で撮っているうちに頭が訳分からなくなり、撮り終える頃にはただただヘトヘトになっていた・・・。

 

当然後日テレビで自分の芝居を見た時は自分の芝居の下手さ加減にガッカリする結果となっていた・・・。

 

 

 

 

 

 

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