41:たった2時間の居酒屋の出会いが台湾デビューに変わった

 

ケニーの何年間も俺にかけ続けてくれた国際電話は俺の気持ちを動かした。

本当にありがたいことだ。

 

彼が日本旅行に来ていた際に居酒屋でたった一度2時間ほどだけ話した一人の若者。

 

その若者の為に数年間も電話をかけ続けてくれ俺を口説いてくれたのだ。

 

彼にはよっぽどの信念と確信があったに違いないが仮にそうだとしても普通はこんな行為到底真似出来ない。

少なくとも俺が逆の立場だったら旅行で遊びに行った香港でそこで知り合った2時間ほどしか付き合いのない人間に「自分と一緒に仕事をしよう」などとは頼まないし、もし頼んだとしても一度断られたらきっとすぐに諦めるはずだ。

 

半年に一回ぐらいのペースだったとは言え、ケニーは俺に対してそんな行動を5年以上も続けてくれたのだ。

そうして俺は再び台湾へ住む事になった。

 

高校卒業後すぐに留学に来ていた台湾にはその後も小さな仕事などで数度足を運んでいたが本格的な滞在となるとこの時が2回目。

 

しかも前回は語学留学が目的だったが今回はCDデビューをする為の渡台。

モチベーションは非常に高かった。

 

役者としては成功していなかった自分だが音楽でチャレンジしたならどこまでいけるのだろう?

一度今の自分を試してみたい。

 

その気持ちは日本にいた頃から常にあった。

場所を台湾に移したがそのチャンスの入り口をケニーが俺に用意してくれた。

 

 

 

42:人生初のシンガポールはレコーディングのため

 

台湾に再び住むようになって1カ月。

その間俺は毎日のように音楽プロデューサー達と打ち合わせをしたりリリースするアルバムの選曲に時間を繰り返した。

 

アルバムの中で俺の作曲した曲は全10曲中5曲使われるのだがその1曲1曲をアレンジしていく事になったのでそういったアレンジ制作期間にも時間を費やした。

 

結局出来上がった楽曲からどんどんレコーディングをしようという事になり俺は台湾に住み始めて1カ月すると最初のレコーディングの為シンガポールに渡る事になる。

 

音楽プロデューサーをシンガポール人の李思松という中華圏で非常に有名な凄腕プロデューサーに務めてもらう為だった。

 

俺にとって人生初となったシンガポールは国土の大きな国ではなかったが非常に綺麗な場所で様々な人種とも触れ合う事の出来る魅力的な街だった。

 

当然言語も多様でそこにいるだけで様々な言葉が飛び交う。

高温多湿で人生初のスコールも体験した。

 

こんな人生初の体験がいっぱい詰まった街シンガポールで俺はレコーディングを始めていく事になる。

 

だが生まれて初めて経験するプロのプロデューサーと入ったスタジオで俺を待っていたのは想像していた楽しい光景ではなく頭を抱えるほどストレスとなる過酷な試練だった。

 

中国語の歌詞を歌う事が非常に難しいのだという事を俺はまだ知らなかったのだ・・・。

 

 

43:中国語曲をレコーディングする難しさ

 

中国語には日本語にない発音が沢山ある。

中でも日本人が発音しにくい発音の例をいくつか挙げると例えば「シ」や「ジ」や「チ」の発音の類だ。

 

「シ」という発音は日本語の「シ」という発音そのままに近い発音の「シ」もあるが、巻き舌音を加える日本語には全くない「シ」という発音もある。(日本語で表記する術がないのであくまで共に音が近い「シ」で表現するが・・・)

「ジ」や「チ」の発音も同様でそれぞれ2種類の発音方法があってその発音が使いこなせるかどうか次第で伝えたい意味が全く異なってきてしまうのだ。

 

更に中国語には4声と呼ばれる音の上り下りによる階段があって同じ発音でもその音が上がったり下がったりする事で意味が変化してしまう。

 

中国語の歌を歌う場合一番難しいのがこの音の上り下りだ。

 

なぜなら音楽には元々メロディがついていて中国語の意図したい歌詞の意味とは別に音が最初からあらかじめ決まってしまっている為、音で変化をつける言語である中国語の本来の歌詞の意味を伝えようと思った時に細かいしゃくりをメロディに足したりするなどの細かいニュアンスを加える事でしか意味をしっかり伝えられないという矛盾が生まれてしまう。

 

その為テクニック的な事にも繋がるのだが中国の歌には歌詞の意味を伝える為の様々な工夫が至るところに張り巡らされている。

 

中国語がパーフェクトでなおかつ幼い頃からそういった中国語の歌の文化に触れてきている中国人にとっては比較的に感覚としてつかみ易いこの問題も日本人の俺にとっては非常に困難な作業だった。

 

カラオケで歌う程度のレベルでは誰もこんな問題は指摘しないのだがレコーディングして作品にしようとした時、そのクオリティは必ずすべての中国人が歌を聞いただけで何を伝えているかが分かるというレベルをプロデューサーからは要求された。

 

実はこの作業の難しさ。プロの中国人歌手でも頻繁に起こりうる問題らしく彼らですら苦労している問題なだけに日本人の俺が挑むという行為は半端な作業ではなかった。

 

そこそこの中国語が話せて発音も綺麗だと中国人からも言われていた俺だったがレコーディングスタジオの中では自分を丸裸にされたような精神状態に追い詰められ本当にズタボロになりながら苦しむ事になる。

 

 

44:プロデューサー李思松

 

前回は中国語楽曲をレコーディングするのは非常に難しい作業だと説明したが具体的にレコーディング中に俺が体験した問題を今日は少しだけ補足したい。

例えば「ン」という発音。

 

中国語の「ン」には2種類の発音方法があって1つは前鼻音といい鼻の前側にかかるようなイメージの発音。

もう1つは後鼻音といい鼻の後ろ部分を通過して音を出すイメージの音だ。

 

日本人にとってはこの聞き分けや使い分けが非常に難しい。

人によってはその発音の質の違いさえ理解出来ないほどだ。

 

日常会話であれば中国人から聞いていて我々が話す発音が若干おかしくても聞き流してくれる発音の違いもレコーディングして作品を世の中に発表するという作業においてはその妥協も当然許されなかった。

 

歌の中で「ン」という発音を鼻の前にかけたり後ろにかけたりといちいち気にかけながら歌う作業は非常にしんどい作業だったし、実際自分が発した音が合っているかどうかも日本人の俺にとっては常に半信半疑。

 

特に俺を担当してくれた李思松は音楽に対して非常に厳しいプロデューサーだった。

 

張恵妹や孫燕子など中華圏の超ビッグスター達のプロデューサーとしても有名な李思松は業界ではその厳しさも含めて名の通った人物だった。

 

彼が良いと思わなければ俺のレコーディングは1日10数時間に及んだ事も何度もあったし、例えば一文字の発音が上手く発音出来ていないからという理由で延々とその1文字の音を録る為だけに何百回と同じフレーズのみを歌わなければならないという作業なんかも体験した。

 

俺自身は発音に関しては正しいかどうかの判断が出来なかったから「今歌った感じは良い感じだったのに何が駄目だったわけ?」と頭では感じているのに駄目出しをくらってしまう。

 

そんな事もしばしばだった。

ベルトコンベアーのような単純流れ作業は歌を歌っていても何も楽しくないし当然精神的にも苛立つし非常にストレスになる作業だった。

 

発音が気になると音程やリズムもどんどん悪くなるし、更にそこに感情を乗せるなんていう作業は困難を極めた。

李思松は当然そんな事すらも計算しながら俺にわざと何度も試練を与え続けた。

 

一日かけて苦労して録った音をCD-Rにコピーして俺に渡してくれて「宿題だから帰ってから自分で何度も聞き直してこい。また明日同じ曲を最初からレコーディングし直すよ」などと言われもした。

 

発音が仮に良くなっても感情がメロディに乗っかっていないと彼が感じたフレーズを彼は最初からOKするつもりはなかったのだ。

 

俺は彼に対してやり場のないストレスを抱えると同時に自分の不甲斐なさに心底悔しさを感じた。

彼が俺に伝えたいメッセージは分かるけれどもすでに最大限の努力で挑んでいるつもり・・・。

 

目の前の大きな壁を打破出来ない自分が情けなく、そして翌日からの果てしないレコーディングスケジュールを考えると途方に暮れそうになった。

 

終わりのまったく見えないこんな作業を俺とプロデューサーはお互い我慢比べのように繰り返したのだ。

 

 

45:人生初のPV撮影

 

シンガポールでのレコーディングは結局2週間を費やした。

その間には当然オフの時間やスタジオに入らないで中国語や歌の練習に時間を割いたりする日もあったが2週間かけてレコーディングを完了した曲はたったの2曲だけだった。

 

CDアルバムをリリースするという作業が容易ではない事だと初めて体感し理解出来た経験でもある。

そうして2曲のレコーディングを終えると俺は再び台湾へ戻る事になる。

 

そうして間もなく俺に他アーティストが歌う楽曲のPV撮影の依頼が舞い込む事になった。

永邦というアーティストが歌う「威尼斯的泪」という曲のPV上の物語の主人公を演じる事が出来たのだ。

 

ドラマなどの出演経験はあったもののPVで演じるという経験はこの時が初めて。

しかも台湾という日本とは異なる環境でのチャレンジだったからこの撮影は俺にとって非常に新鮮だった。

 

撮影のやり方だけを見れば日本も台湾もそう大した差はないが日本の現場と大きく異なっていたのは現場の雰囲気だ。

 

例えば台湾だと関係者以外の人間が現場に紛れていたりして、その人はスタッフの友人や家族だったり、時には役者さんやアーティストの恋人だったりする事もある。

 

いわば仕事と全く関係も関連もない人が現場に存在していたりする事があるのだ。

これは日本ではほとんどない光景だろう。

 

俺のPV撮影の時も「あの人は誰だろう?」というような人が現場にいたし、そういう人たちはあたかもいちスタッフのように現場に妙に溶け込んでいたりして、関係者側の人間もその相手を邪見に扱うのではなく友好的に交流したり冗談を交わし合ったりしていた。

 

こういうアットホームな人と人とが近くに感じるような温かさは台湾の文化なのだろう。

 

日本の撮影現場は各現場によってレベルの差こそあるけれどどの現場もある程度緊張感に満ちているしその独特の緊張感は現場にいるだけで誰もが肌で感じ取れるほど張り詰めたものである事が多い。

でも台湾の撮影現場は違った。

 

何だか緩い感じでプレッシャーなど微塵も感じない落ち着いた雰囲気。

けれど一たびカメラが回り出すとみんな真剣にスイッチを入れ替えてテキパキ仕事をするのだ。

 

初めてづくしのこんなPV撮影は俺にとって本当に新鮮な出来事だったわけだ。

 

 

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