上海万博の終わりと僕の新たな目標

小松拓也の中国記

191:上海初の交通事故

 

2010年の夏。

 

仕事も順調で全てが上手くいっていたように思えたあの時期。

 

俺は上海で初めてとなる交通事故に遭ってしまった。

 

しかも2週間の間に2回もだ!

 

一回目の事故は自転車(俺)対バイク(相手)での接触だった。

 

上海の交通は逆走してくる車や信号無視など割りと日常茶飯事だし、俺が事故に遭ったパターンもそういったアクシデントからだった。

 

自転車で交差点を曲がろうとした際に対向から猛スピードで逆走してくるバイクが見えた。

 

相手はよそ見をしていてこちらの気配に気付いておらずバイクのボディをそのまま俺の膝目掛けてブレーキもかけず突っ込んで来たのだ。

 

次の瞬間俺は倒れ込み立ち上がれないほどの衝撃を膝に受け悶絶してしまう。

 

結局俺の膝はこの事故がきっかけで1か月もの間曲げる事すら出来ず、不自由な中暮らさざるを得なくなるのだ。

 

しかもそれから10日ほどしてまた更に交通事故に巻き込まれてしまう事になるのだが、あの時は車(相手)対電動バイク(俺)というシチュエーションで2mほど弾き飛ばされてしまったわけだから命があって本当にラッキーだった。

 

何故俺があの日電動バイクに乗っていたかというと、まともに歩けない俺を不憫に思ったKAI XIN GUOのTAKAさんが自分の電動バイクを俺に貸してくれたからなのだがまさかその時に2度目の交通事故が待ち受けていようなどとは考えもしなかった。

 

事故にあって痛い思いをしたばかりだったし俺はかなりの安全運転で道路の端をゆっくりとバイクで走っていた。

 

前回と同じく交差点に差し掛かった際、対向車線から右折してこようとしている車を目視出来たのだが最初は距離もあったし、まさかそのまま車が直接俺に突っ込んでくるとは思いもしなかった。

 

だが急スピードで右折してきたその車は次の瞬間、右折の際にブレーキをかけるどころかアクセルを更に開けて加速して俺を目掛けて突っ込んで来たのだ。

 

あれだけのスピードを出していながらも携帯で電話をしながらの完全なるよそ見運転だった。

 

俺は車がブレーキもかけずに自分を目掛けてきた瞬間、「もう逃げられない。確実にぶつかる!」と状況を悟った。

 

そして瞬時に転ぶ方向や頭を庇うなどの意識を働かせ、そのまま衝撃を最小限に抑えられるような転び方をしてみせたのだ。

 

結果、2m以上も吹っ飛ばされるほどの衝撃を受けたのに俺は体中に擦り傷や軽い打撲を受ける程度で骨折なども特にする事無く無事に生き延びる事が出来たのだ。

 

衝撃の強さを体で味わったからこそ実感しているのだが、もしあれが1回目の事故であったなら俺はもしかしたらすでにこの世にいなかったかもしれない。

 

2回目の交通事故だったからこそ俺は助かったのだと思っている。

 

しかも2回目の交通事故はかなりの衝撃で跳ね飛ばされたにも関わらず体中に擦り傷を負う程度で済んでしまったのだ。

 

まさに奇跡だろう。

 

俺は今でもあの時の事故は同じく交通事故で命を落とした母親が俺を守ってくれたのだと思っている。

 

だからわざわざ1回目の交通事故で俺に免疫や注意力を付けさせ、俺にまだ生きる機会を与えてくれたのだと思うのだ。

 

それにあれだけの不運に見舞われたにも関わらず俺はいたってポジティブだったし、自分をラッキーだったと思えどアンラッキーだったり不運だななどとは一切思わなかったのだ。

 

たぶん過去の自分であったならそんな風に思える事など間違ってもなかっただろう。

 

でも俺は不運な事さえもラッキーだと思えるほど余裕が出来ている自分にあの時気付いたのだ。

 

世の中に辛い事や悲しい出来事は溢れているかもしれない。

 

でもそれでも命がありさえすればそんな事も含めて貴重な体験だと思えるのは俺が変わったからなのだろうか?

 

俺は生きている事が本当に嬉しくて素晴らしい事だといつも思っている。

 

だから拾ったように生きている事の許される今を後悔しないように一生懸命生きてみたいのだ。

 

人生初の交通事故を経験し、俺は更に駆け足で生きてみたいと強く思うようになるのだ。

 

 

 

192:バンド東方為世結成

 

上海万博がもう終わりを迎えようとしはじめていた2010年9月。

 

俺にまたしても信じられない凄いニュースが入ってきた。

 

日本産業館の屋外ステージで2日間、単独でライブを行えるというのだ。

 

しかも日程は上海万博が終了する直前の最終週という好条件であった。

 

まさか万博会場内で単独でのライブが行えるなど夢にも思っていなかったし、1時間もの間自分自身の好きなようにステージをアレンジして良いのだ。

 

考えただけでも嬉しくてワクワクしたし、どんなステージにするか楽しみで仕方なくなった。

 

そして俺はこの2日間のステージの為にバンドを結成する事を思いつく。

 

普段から音楽を一緒に楽しんでいたKAI XIN GUOのTAKAさんは当然メンバーに入れるつもりだったからまっさきに声をかけさせてもらったし、その他のメンバーもTAKAさんからの紹介で一気に集める事に成功した。

 

YAMAHAの講師の方などを含むバンドメンバーはそれぞれがプロ級の腕前を持つ音楽家達で、俺はとんでもない人達に集まってもらってライブを行える事になってしまったのだ。

 

こうして万博のステージに立つという事がきっかけで集まった俺達のバンドはその活動をスタートする事になる。

 

最初にみんなで集まってミーティングをした際に歌う曲目やバンド名などを決める事にし、俺はこのバンドに「東方為世」と名付ける事を決める。

 

俺が上海で活動するきっかけとなった加油!好男児は「東方衛視」というテレビ局が主催したテレビオーディション番組であったが、この「東方衛視」と「東方為世」は中国語での発音が全く同じなのである。

 

中国人のみんなも聞き慣れている発音だし、俺にとっても色々と特別な意味合いのある4文字である。

 

東方=アジア

為世=世界(平和)の為。世博の為

 

 

中国人も日本人も同じアジア人として世界平和の為に、そして世博(上海万博)の為に音楽を通して交流し、1つになろう!

 

そんな願いを込めて命名したのが「東方為世」というバンド名の由来である。

 

俺にとって一生忘れられなくなるあのステージに向けたバンド活動はこうして素敵なメンバーや想いを乗せてスタートしたのだ。

 

 

193:上海万博最後のステージへ

 

上海万博の為に結成したバンド「東方為世」。

 

俺は最高の仲間と共に最高の準備をして2010年10月27,28日の2日間、万博会場日本産業館の屋外専用ステージに立つ事になった。

 

半年間続いた万博ももう終わりを迎える直前でのステージだった。

 

07年に上海に住むようになって以来、俺にとって夢でもあった上海万博の開幕式に出演するという最高の出来事からスタートし、数々の仕事を経て俺は最後に同じく万博会場内のステージで小松拓也という一人のアーティストとしてライブを行って自身の上海万博を閉めようとしている。

 

これ以上ない最高の形でのフィナーレだろう。

 

あの時の俺には自分をあのステージに立たせてくれた全ての人々の支えや応援に感謝する気持ちで溢れ返っていた。

 

09年には仕事や収入すら一時的にゼロとなり、精神的にもボロボロの状態を経験していた状態からの復活であった。

 

まさか上海万博であれだけ多くの活躍の場を与えられ、最後にはこんなにも贅沢なご褒美が俺に待っているなどと誰が想像出来ただろう?

 

万博での仕事の数々は俺にとってそのどれもが本当に涙が出るほど嬉しい出来事だったし、その全てに深い感謝をいつも感じていた。

 

そんな状況下での最後のステージであったからとにかくライブに対しての思い入れが半端なく強かったし、当日来てくれるファンのみんなにはありったけの感謝の気持ちを込めて歌や言葉を届けようと思っていた。

 

「どうやってみんなを喜ばせよう?どうやって自分の気持ちを限られた時間の中でみんなに伝えよう?」

 

そう思いながら眠れない夜も何度も経て過ごしてきた1か月。

 

未だかつて自分自身でも感じた事のないほど繊細で情熱的でエモーショナルな状態の中、俺は日本産業館のステージに立つ事になった。

 

ライブの最大の目標は来てくれたお客さんに4年分の溢れんばかりの感謝の気持ちを届けること。そしてみんなに楽しんで帰ってもらうこと。

 

さあ、ついに俺にとって最後の上海万博のステージが始まるぞ!

 

 

 

 

194:万博ライブスタート

 

上海万博終了直前の日本産業館JALステージでの小松拓也&東方為世ライブは始まった。

 

1曲目はアップテンポの曲を用意し、バンドメンバーが演奏を奏でると俺は歌いながらバックステージから飛び出した。

 

そうして疾走感の中歌を歌い終えると俺はそこで改めてゆっくりと会場に来てくれた観客のみんなを見渡す事になる。

 

その中俺の目を特に引いたのが前列に来てくれていた一人の女の子が大きく掲げていた「小松拓也大好き!」という日本語での手書きの紙だった。

 

そして彼女を見た瞬間、俺はその子が普段からブログにコメントをよくくれる台湾人の女の子なのだと理解する。

 

ライブ直前にもコメントをくれていたこの女の子は俺の台湾時代からのファンらしく、あの時のライブではわざわざ台湾から俺のライブを見る為だけに駆け付けてくれたのだ。

 

台湾でCDを出したのは03年の事だったしすでに7年もの歳月が過ぎていた。

 

しかも当時はたったの3か月しかプロモーションを行わなかったわけだから多くの人はとっくに俺の事なんか覚えていないはずだろう。

 

それなのに俺のライブにわざわざ来てくれる台湾からのファンがいた・・・。

 

この事実が俺にとってどれほど偉大で大きな出来事だったかは言葉では言い表せない。

 

でも特別だったのは何も彼女に限った事ではない。

 

あの日来てくれた全てのファンや観客達に俺は感謝して止まなかった。

 

一人一人が俺の歌やトークを聞き入るように耳を傾けてくれ、俺の一挙手一投足に笑ったり体を揺すらせたりしながら一緒になってライブを楽しんでくれた。

 

本当に一体感を感じるライブだった。

 

だからこそ俺自身も最高のテンションと気持ちの中歌を歌い続け、4曲目の曲を歌うまではとにかく全力疾走でステージを盛り上げた。

 

そうして話し始めたMC。

 

俺は今まで必死に抑えてきた体の底から止めどなく溢れる自分の感情をこの日初めてみんなの前でさらけ出す事になる。

 

みんなへの感謝の気持ちと伝えたいあまりにも多すぎる言葉がもうどうにも止めようがなかった。

 

 

 

195:これからは人の為に生きていきたい

 

4曲目の歌を歌い始める直前、俺は少し長めとなるMCを中国語で話し始めた。

 

「僕は07年、29歳の時に上海にやって来ました。当時、芸能の仕事も諦めかけていた中で最後のチャンスだと思って挑んだのが加油!好男児のテレビオーディションです。

 

でもまさかあれだけ多くの中国のみんなに応援され勝ち続ける事が出来るなど最初は全く考えてもいなかったんです。

 

あの時のみんなの応援があったから僕は上海で芸能活動をする道が開けました。

 

そしていつだってどうやって進んでいいのか全く分からない手探りの中、みんなが照らしてくれた足元の光をたどるようにして今日のステージに立っているんだと思います。

 

このステージはみんなが僕にくれた最高のプレゼントです!

 

だから僕は自分が作ったこの曲をみんなへの感謝の気持ちを込めて歌います。

 

未来を切り拓き自分を超えていくという思いを乗せた不知道方向(どこへ向かおうか分からない)です。」

 

喋り終えると俺の目には自然と涙がこぼれていた。

 

上海に住むようになってからの4年間。

 

正直辛い事も大変だなと感じる事も山ほどあったし何度も挫けそうになった。

 

そんな俺をいつだって支えてくれたのは応援してくれる沢山のファン達だった。

 

芸能と言う人生を諦めかけていた中で俺を救いだしその先もずっと育んでくれたのは間違いなく彼らだった。

 

感謝してもしきれないあまりにも多くの感情がもうどうにも止められないぐらいに溢れ出し、体の内側から涙となって思わずこぼれ落ちてしまったのだ。

 

その思いを乗せたまま歌い切った不知道方向。

 

歌い終わると割れんばかりの盛大な拍手が会場に響き、中にはボロボロ涙して泣いている人までいるではないか!

 

「何故君達が泣いているんだい?」

 

俺はあの瞬間本気でそう感じてしまった。

 

あのステージは俺がみんなに感謝をどうしても伝えたくて準備してきたステージだった。

 

「そのステージの場を提供してくれたみんなに対して感謝をし、その温かい思いに涙したいのはむしろ俺の方なのに何故君たちの方が泣いているんだよ。」

 

不思議なのだがあの時、もう一人の自分が空の上からその光景を立体的に見ていて客観的にその様子を俺に眺めさせているような感覚があった。

 

そして次の瞬間俺は悟るのだ。

 

「そうだったのか・・・。俺の今までの32年間はこの瞬間を味わう為に様々な人に支えられ、助けられて生かされて来たのだな!俺はこんなにも沢山の人達の温かい心に守られてこのステージに立っているのだな。」

 

「だったらみんなが俺にこういった景色を見せてくれたようにこれからは俺も誰かの役に立つ人間を目指していきたい。今まで散々好き勝手に生きさせてもらった分、これからは一人でも多くの人の為に生きていける自分を目指したい。」

 

そうして最後までその思いを抱きながら俺のライブと万博は幕を閉じる事になったのだ。

 

あの時抱いた思いは俺の人生観を変えたし、俺の生涯のテーマとなっていく事だろう。

 

俺の人生は本当に多くの人々の応援や支えで成り立ってきた。

 

だからこそ万博を終えたあの日から俺は少しだけ自分の生き方を変えてみる事になっていく。

 

「これからは人の為に生きていこう」

 

 

 

あとがき

 

今まで小松拓也自伝を読んで下さった皆様。

 

本当にありがとうございました!

 

小学校3年生で初めて中国文化に触れた事がきっかけで始まった俺と中国の縁と繋がり。

 

その後の俺の人生でも中国は俺にとって切っても切れない関係となって、時には俺の人生を救い、時には俺の人生の師となって俺を今でも導いてくれているような気がします。

 

その中で知り合ったり触れ合ってきた全ての人やものたちが俺にとっては掛け替えのない財産です。

 

同時にそういった数多くの出会いや別れがあったからこそ今の小松拓也は存在しているのだと思います。

 

この場を借りて改めて全ての方に感謝の気持ちを伝えさせて下さい。

 

ありがとうございます!

 

 

また、自伝では2010年の上海万博までを1つの区切りに書き上げようと考えていたので、一先ずは万博ライブをラストに終了とさせて頂きます。

 

このシリーズの中で書き上げてきた通り、俺にとって最大の目標は日中の更なる友好関係です。

 

母国であり大好きな日本と、俺の恩人でもあり沢山の愛や情熱で俺を今でも生かしてくれている中国という国の間で少しでも文化貢献したい。

 

本気でそう考え取り組んでいこうと思っています。

 

そして同時に俺のように人生を本気で変えていきたいと考える人達を心から応援していきたいとも考えています。

 

社会的にはその大半の時間を落ちこぼれとして過ごしてきた俺のようなヤツでもこれだけ人の注目を集める事に成功し、その人生の舵取りを大きく変える事が出来たんです。

 

だからきっと誰だって、もしかしたら今からだって変わろうと思えば人は変われるんだという事を声を大にして叫びたい。

 

少なくても俺はこれから先も変わり続けていきます。

 

そして必ず今よりもっと大きな人間になっていこうと思っています。

 

そうやって歩いていく姿や姿勢を見せ続ける事が誰かの道しるべになるなら。

 

もし一人でもそんな人がいるのならば十分に価値のある事だろうし、俺はそれに向かってトライし続けたい。

 

俺には世の中に発信したいあまりに多くのメッセージや想いが溢れています。

 

それは生きるエネルギーそのものかもしれません。

 

でもそのエネルギーや想いさえ、元々は皆さんが俺に分け与えてくれたものです。

 

自伝を通して少しでも多くの人に人生観を共感してもらい、生きる喜びや希望を感じてもらえたなら。

 

そんな思いの中、この物語を書き上げました。

 

人生には楽しい事ばかりではなく辛い事も悲しい事も待っているかもしれません。

 

でも生きている限り、そして希望を捨てない限り人は何度だって立ち上がって変わっていけるのだと信じています。

 

目の前に広がった無限の可能性に手を伸ばさなければチャンスに手が届く事すらないのかもしれませんが、たとえ覚束なくたって伸ばす手や勇気があるのならばその時人間は初めて変われるのかもしれません。

 

せっかく今を生きているのならば幸せを感じながら生きてみたいものですよね。

 

それでは長い間お付き合い頂き本当にどうもありがとうございました。

 

今後とも引き続き応援よろしくお願します。

 

 

小松 拓也

 

 

 

前の記事

上海万博での様々な仕事

最初の記事

中国との出会い!日中友好への最初の一歩

 

 

 

 

ちなみに僕のブログでは健康な肉体や見た目にとどまらず、体の内側や心の持ち方など、「自分を本気で変えていきたい」と考える方々や売れたいと考える芸能人の卵や第一線で活躍の機会を得ることが出来ない俳優や歌手向けに心と体両方のアプローチから理想の自分へと自分改革していくノウハウをあらゆる角度からお伝えしています。

 

以下の記事も是非参考にしてみてください。

売れたいと考えるタレントの卵の皆さんが覚えておいた方がいい具体的な2つのアプローチ方法

 

 

健康やアンチエイジングに役立つ知識を以下の記事でもご紹介しています。是非ご覧ください。

正しい知識を知ろう!お子さんに何気なく与えているそのジュース!本当に大丈夫?

その野菜本当に大丈夫?無知は損する!バクロスTV

40歳でも健康で若い体を維持する病気知らずの呼吸法とは

 

 

 

コメントを残す

ページの先頭へ