186:またしても万博メイン会場のステージに立つ

 

万博開幕式から一夜明けた2010年5月1日。

 

開幕前から中国中で話題を独占していた上海万博がついに正式オープンした。

 

俺は音楽物語の収録で万博期間中の半年間番組の公式スポンサーとなった日本産業館というパビリオンの展示ブースを取材する為、再び万博会場を訪れていた。

 

前日までは関係者以外は立ち入れなかった会場にも多くの来場客が押し寄せ、各パビリオンや展示ブースも本格始動し、活気盛んでエネルギーに満ち溢れたその様子は前日までの重苦しい雰囲気とは似ても似つかないほどだった。

 

そこにいるだけで興奮を抑えられずワクワクしてしまう空気を会場は一体に纏っていたし、来場客一人一人のテンションや表情も非常に活き活きしていて何だかその光景を見ていると凄まじいイベントが始まったのだなと改めて感じさせられてならなかった。

 

そうして開幕初日の仕事を終えると俺を次に待っていたのは開幕式を行った会場内のメインホールにて行われた日中韓3か国のアーティストを集めて行われた赤十字社主催のチャリティ音楽イベントだった。

 

俺はジュディウォングさんと共に日本側代表アーティストとして招待され、国内のビッグスター達が顔を揃える中でまたしても1万人収容可能なライブホールにて歌を歌う機会に恵まれたのだ。

 

数日前の開幕式では7人のアーティストの中の一人として歌を歌ったわけだが今回は完全にソロアーティストとして、しかも自分自身の歌を披露する事が出来たのだ。

 

ソロとしてあれだけ多くの人の前で歌を歌う機会に恵まれたのは生まれて初めての経験だった。

 

前年の09年はほとんどの時間を芸能の仕事も出来ずに過ごしていた経緯があったから、あの時の自分のあまりの変化の大きさと運の良さには正直怖いぐらいの感覚を覚えたし、これらの出来事はもう本当に嬉しくて嬉しくて仕方のない事だった。

 

あの時に俺が歌った歌は「不知道方向」。

 

 

20代前半の頃、半月板の手術の際に病院のベッドの上で書き上げた曲で、以来自分の人生の節目には必ず縁があって歌い続けてきた曲だった。

 

「どこへ向かおうか分からない・・・」という意味のこの歌がまさか俺を万博メインステージの大ホールにまで導いてしまうとは!

 

思えば俺の人生はいつだって「不知道方向」だったのかもしれない。

 

だけどその度に必死に手探りしながら自分の道を模索して歩いてきたような感覚がある。

 

自分の目の前には光さえ一切差し込まないような真っ暗闇のトンネルしか広がっていない時期なんかもあっただろう。

 

だけど俺はあの日。大舞台のステージの上に立ち、来場した観客の全ての注目をあの瞬間体中に集めていたのだ。

 

身震いするほどの興奮と感動を感じながら俺は声を大にして歌った。

 

「どこへ向かおうとしているのか分からなくなる時や不安になる時だってきっとある。でも俺は必ずその度に自分を超えていくんだ。今までの俺がそうしてきたように・・・」

 

 

 

187:万博の日本語キャスターへのチャレンジ

 

上海万博が始まると俺は仕事に引っ張りだこの大忙しの日々が続くようになる。

 

万博開幕式や赤十字主催の大型のチャリティコンサートに立て続けに出演しただけでなく、今度はテレビの仕事も増える事になる。

 

何と俺はICSという外国語チャンネルで平日は毎日放送される事になった5分間の日本語での万博ニュースを週2日間キャスターとして担当する事になったのだ。

 

キャスターなんていう仕事は生まれて初めての体験だったし、俺はここでも人生初体験&初チャレンジに挑む事になった。

 

体験してみて初めて実感するのだが、正式な日本語の難しさや自分の滑舌の悪さ。

 

喋るという普段から何気なく行っている日常茶飯事であるはずの行為が実は意識して話してみると意外にも骨が折れる作業だという事には当初さすがに戸惑った。

 

毎回の収録を終えると自分の喋れなさ加減によく自己嫌悪にもなった。

 

日本語を喋るという健全な日本人であれば誰でも簡単に出来る行為だったからこそ、その「日本語」でつまずいている自分が何だか情けなかったのだ。

 

同時に今までの自分は「日本語」という言葉をこんなにも疎かにいい加減な気持ちで使い続けてきたのかな?と感じさせられた事は新境地の発見にも繋がったし、自分の意識を改革するにはまたとないチャンスともなった。

 

最初は不慣れな状況で始める事になったこの「万博百聞」というキャスターの仕事。

 

万博が終わる頃の2010年10月にはすっかりこの仕事が自分にとって習慣のように変わっていったし、段々とその頃には喋る事に慣れ始めている自分を確認する事が出来るようになっていた。

 

初めて経験する事でも一生懸命ちゃんと積み重ねれば少しずつだけど形になっていくのだなという事をこういった経験から感じる事が出来たのはキャスターの仕事にチャレンジしてみて本当に良かったと思える事だし、同時に自分の人生はこれからもずっとチャレンジャーであり続けたいと思わせる大きなきっかけになった。

 

安定した仕事や生活も当然欲しいと思うのは周りのみんなと俺も同じなんだけど、でもそれでも生きている以上俺は常に何かにチャレンジしていきたい。

 

そうして目の前のハードルを1つずつ飛び越える毎に俺は少しずつだけど着実に成長してこれた。

 

だから今後もそういう自分でありたいのだ。

 

 

 

 

188:音楽物語公開収録in 上海万博

 

俺が2011年1月までMCを3年間務めた音楽物語in Japan。

 

俺の中国での活動は音楽物語やそれを支えるスタッフの人達、そして番組を応援してくれたファン達によってモチベーションを常に高く保ち続ける事が出来た。

 

俺はいつだって音楽物語と共に成長を歩んだ感覚があるし、音楽物語があったからこそ自由で伸び伸びとした気持ちの中、中国という全く勝手の違う国での芸能活動を続けてこれたのだ。

 

同じ芸能と言っても国が違えば表現の方法や現場での仕事のやり方など、その中身には様々な違いがある。

 

そんな違いに戸惑う事も正直いっぱいあったし時期によっては仕事に対して閉塞感を感じていた事もあった。

 

音楽物語はそんな俺にとっていつだって唯一の自由な仕事の空間だったし、モチベーションの高いスタッフに囲まれて過ごす事の出来た3年間は俺の一生の宝だ。

 

音楽物語の中でも特に忘れられないのが番組の視聴者やファンを集めて行った数度の公開収録だろう。

 

08,09年に一回ずつ実施した公開収録は普段のスタジオでの収録とは大きく異なり、数百人のお客さんを目の前にし、ゲストを招いてライブやトークで盛り上がった最高に楽しいイベントだった。

 

個人的にも物凄いテンションが上がったし、お客さんとの掛け合いで進行出来た収録の雰囲気は本当に楽しくて、みんなと共同で作り上げた感覚のある番組は温かくて笑顔と熱気と興奮に満ち満ちた素晴らしい内容だった。

 

そんな音楽物語の公開収録。

 

実は2010年の上海万博の会場でも数日間に渡って行われたのだ。

 

日本産業館のパビリオンに設置された専用の屋外ステージで行われる事になった公開収録ではゲストにSKE48の選抜3人のメンバーを招いて第一回目の収録を行い、二回目の収録ではモーニング娘。などハロープロジェクトから選抜された4人の万博限定ユニットを招いてイベントは行われた。

 

真夏の炎天下だったにも関わらず会場には本当に多くの観客が集まり、万博会場内という雰囲気や興奮も手伝って過去の公開収録と比べてもあの時のイベントの盛り上がり方はとにかく凄いものがあった。

 

個人的に上海万博では沢山の仕事に携わらせてもらう事になり、そのどれもが大切な思い出で貴重な体験だったのだが、やっぱり音楽物語で行われた公開収録をあのスタッフさん達と共に行えた経験は俺にとって格別の思い出だろう。

 

上海に07年に住むようになって以来、上海万博というイベントは俺にとってずっと1つの大きな目標であったし、その大イベントの中で俺の大好きな音楽物語とそのスタッフ達に囲まれて経験する事の出来たあの数日間はまさに夢のような数日間であった。

 

人生で生まれて初めて持つ事になった自分のレギュラー番組。

 

そして俺を育くみ、生きる楽しささえ与えてくれた音楽物語を俺は愛して止まないし、そこで体験出来た全ての事に今改めて感謝を感じる。

 

もしまたいつか音楽物語が復活する日が来るのなら・・・。

 

俺はその時にまた音楽物語の一員として番組を応援し続けたい。

 

 

 

 

189:上海万博横浜ウィークの総合司会に

 

2010年6月末。

 

上海万博の会場内、日本産業館では1週間の間、横浜市をアピールする横浜ウィークが実施され、横浜出身という事で俺はその総合司会を請け負う役目を頂く事になった。

 

横浜で活躍するアーティストを招いたり、八景島シーパラダイスから訪れた海洋生物たちと触れ合えるショーを行ったり、フラワーアレンジメントのショーを行ったり、事前に抽選で選ばれた3組のカップルが上海万博の会場内で公開結婚式を行うなどの変わったイベントも行われた。

 

俺はその全てでイベントの司会を担当する事になり、自分が育った横浜という街の魅力を色んな角度から上海万博を訪れている中国各地の人にアピールする事になったのだ。

 

更には横浜ウィーク中、上海を訪れていた横浜の林市長やアーティストのゆずを招いて行われたレセプションに一緒に参加をし、トークショーを行う事も出来た。

 

俺にとって横浜という街は故郷だしその故郷を離れて海外で生活していると不思議と故郷愛というものが勝手に大きくなり、横浜という街が俺にとって特別な場所なんだということをよく実感させられる瞬間がある。

 

中でも毎年夏に行われる花火大会は俺の大好きな風物詩だし、上海に住むようになった今。もし日本に帰るなら何がしたいか?と聞かれたら俺は迷わず地元横浜の花火を見たいと言うぐらい横浜の花火には愛着がある。

 

横浜には中華街や山下公園、石川町や元町のオシャレなカフェなんかもあるし、俺の大好きな景色や匂いがあの街には染みついている。

 

そんな横浜を上海万博で中国人にアピール出来たという経験は本当に俺にとって特別で忘れられない素敵な1週間となった。

 

人間誰でも自分が思い入れがあるものを人に説明したりアピールする時には自ずと力や気持ちが入るものだろうし、それはあの時の俺にとっても例外ではなく「俺の大好きな横浜の魅力を少しでも中国の人たちに分かってほしい!」という願いを込めて毎回のステージに立っていた。

 

お客さんの集客の大小は催し物によってもあったかもしれないが、それでも印象的だったのは来場してイベントを観覧してくれた多くの中国人が無邪気なまでに笑顔でイベントを楽しんでくれた事だった。

 

やっぱりステージやイベントを作っていく立場の俺達にとって一番のご褒美は来てくれたお客さん達の笑顔だろう。

 

横浜という街に関連した企業さんや人達によって催されたあの1週間のイベントは少なくても来場してくれた多くの人に笑顔や喜びを与えて終える事が出来たんじゃないだろうか?

 

俺はこの先もまだ中国に住む事になるだろうし中国と関わり続けていきたいと思っている。

 

きっとその先で今後もまたどこかで横浜という街の魅力を大勢の中国人の前でアピールする機会があるかもしれない。

 

その時は前回よりももっと多くの中国人に横浜という街に興味を持ってもらい、好きになってもらえるよう取り組みたいものだ。

 

 

 

 

190:自分が歩きたい未来

 

上海万博が始まってからというもの仕事は常に好調で話題にも事欠かさなかったし、自分の身の回りの全てが上手くいっているように感じていた。

 

09年の暮れから自分の意識や生き方、歩くスピードを急激に変えて進みだして以来、不思議と何をしても上手くいったし、大抵の事が自分が頭で思い描いたり望んだりしたような結果が目の前に現れるという奇跡の連鎖となって続いた。

 

単純に運が良かったと言えばそれもあるかもしれないが俺にはある確信にも似た哲学があった。

 

それは「人間とは何かを欲しい!とか結果を欲しい!と思った時にその対価を得る為に明確なフォーカスとそれに向けて必要な分析や行動が伴うならば、かなり高い確率で自分が望んだ未来を自分の目の前に導き出す事が出来るのではないか?」ということだ。

 

この考え方が全てだとは到底思っていないが、少なくても09年後半から俺は「今を生きるという現実の中に、半年後や1年後の自分をより幸せにする為の種まきをあちこちに散りばめるようにして暮らしてみる。」という行動を取るように心掛け、毎日を過ごしている。

 

そうすると長い目で見た時には不思議と大抵の事が自分が望んだ未来という形になって目の前に現れるという結果や偶然を導いているのだ。

 

不思議な事なのだが俺はこうして今も人との繋がりや出会い、自分に必要なものや足りないものを補う何かと出会ったり結びついたりする生き方を繰り返している。

 

時には本当に単なる偶然によって導かれる結果というものも待ち受けているのだが、俺はそれも含めて必然だと思っている。

 

今はまだ会った事もないこんな職業のこんな人と会いたいな!って思って行動してる人は何も考えずに行動している人より遥かに高い確率で、かつ速いスピードで自分が会いたいと思う人に出会えるだろう。

 

未来の足跡なんか誰も見えるわけなんてない!

 

絶対なんていう未来も待ち受けているわけがない。

 

だけど今はまだ真っ白なそのキャンパスの上に自分が進んでいきたいと思う未来予想図を明確に書き上げている人がもしいるのだとしたら、その人はきっと仮に自分が思うような未来を現実に呼び起こせなかったとしても少なくてもその道の上で迷う事だけはないのではないのだろうか?

 

俺はせっかく未来を切り拓いていくのならば「なりたい自分にいつかなれるような生き方」をこれからも模索していきたい。

 

一番大事なのはそこに向かう勇気と行動、そして信念ではないだろうか?

 

失敗なんて何回したっていい。

 

迷わず進んだ先には必ず進んだ人間にしか見えない世界や未来の自分の姿がそこに待ち受けているはずだ。

 

5年後、10年後。俺はもっと輝いていたい。

 

そう思って過ごす今という毎日は喜びや感動、感謝や充実感に満たされているのだ。

 

 

 

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