176:生きる価値観の変化

 

上海で完全にフリーの立場になった09年11月。

 

俺は最初そこからどうやって歩いていいのかすらも全く分かっていなかった。

 

GIGORアクセサリーを何とか中国で販売まで持っていきたい。でもどこから手をつけていいかのかさえも分からない・・・。

 

一体どのぐらいの費用を見込めばいいのか?

 

お店を出すならスタッフも集めなきゃ・・・。

 

場所やエリアはどうしよう???

 

考えれば考えるほどテーマは増えていったし、新しい事を知れば知るほど不安は広がっていった。

 

「でも不思議と毎日が楽しくて仕方がなくなっていったのはあの頃からなんだよなぁ~。」

 

前に歩きたくても出口の見えない迷路の中を堂々巡りし続けているような感覚で過ごしてきた09年の大半の時間を経過し、俺はようやく新しい目標を見つける事が出来たのだ。

 

俺にとって自分の人生でようやく上り詰める事の出来た全盛期とも言える最高潮の生活から最低の低迷期をジェットコースターで一気に駆け降りるように目まぐるしいスピードで体験したのだ。

 

正直もう失うものなんて何もないような気持ちだったし、怖いものなんて何もなかった。

 

「今は仕事も収入も周りに手伝ってくれるパートナーやスタッフも誰もいない。でも俺は必ずここから這い上がってやる!絶対に幸せをこの手に掴むんだ!」

 

あの時はもう前しか向いていなかった。

 

人生の底辺にいる今の自分の後ろを振り返るなんて無意味で野暮な事は一切するつもりもなかった。

 

だからあの時期を境に俺は生まれ変わる事になる。

 

一言で言ってしまえば俺は究極のポジティブ思考へと変化していくようになったのだ。

 

あれ以来、どんなに辛い事や苦しい事が目の前に起こったとしても俺はそれらを一度としてネガティブに捉えた事はない。

 

だってそれらは自分を育んでくれる最大の試練なのだから!

 

フリーになった事で俺は自分を一度土壇場に追い込んだのかもしれない。

 

人生で最も深い失意を味わい底辺を味わったからこそ後は立ち上がるしかなかった。

 

結果として俺はあの経験があったから「自分」という人間を変える事に成功した。

 

09年11月のあの時期。

 

俺には本当に何もなかった。

 

でも俺は今までの人生で感じた事のないほど前向きで生きる事がこれ以上ないほど楽しいと思える自分を感じていた。

 

「今、俺の目の前には無限の可能性が広がっている。」

 

それを想像しただけで俺は生きる活力とやる気に満ち、たまらないぐらいの興奮と身震いするほどの情熱を体中で受け止めていた。

 

 

 

177:意地も見栄もプライドも捨てて再出発

 

中国でフリーになった状況の09年年末。

 

小松拓也は完全にあの頃から生まれ変わった。

 

発想が自由になったし柔軟になっただけじゃなく、行動力がとにかく半端なくなった。

 

以前の俺だったら「タレントだからこういう事はしない方がいい。」とか「これはマネージャーや会社がやる仕事だから俺は手を付けなくていい。」などという固定観念にも似た考え方が自分にこびり付いていて、結果それは自分という人間の可能性を狭めてしまっていたのだと思う。

 

当然、タレントとしての本分を全うするという作業はあまりに当然の摂理であるから、それをタレントとして行うのは大前提である。

 

同時にタレントという立場だからこそ行わない方が良い行動やアクションなどがあるのもまた事実だろう。

 

でもだからと言ってタレントはタレントとしての仕事だけを全うすればそれで良いのだろうか?

 

例えば会社務めのある会社員がいたとする。

 

この人は仕事のスキルが非常に高いだけじゃなくて、会社のマニュアルや規定にはないゴミ捨てや掃除を毎朝必ず率先して行う人だったとする。

 

恐らくこの人は人間的にも人望が厚く仕事だけじゃなくて私生活でも沢山の人から愛され、必要とされている人間なのではないだろうか?

 

こういった人間性や人柄、行動は結果としてその人の仕事の能力や生産性を引き上げ、他人からの信頼を勝ち取る事にも往々として繋がっている場合が多い。

 

何が言いたいかというと以前の俺はこういったタイプの人間ではなかったという事だ。

 

仮にタレントという仕事に対しての教科書や参考書があった場合、俺はそれを忠実に再現する優等生ではあったかもしれないけれど、そこに自らプラスアルファを加えて応用するような柔軟な思想や行動が圧倒的に足りていなかったわけだ。

 

以前の俺は「タレント」という教科書に書かれている内容以外は目もくれない盲目な存在だったに違いない。

 

そして教科書からはみ出た行動は極力避けて固定観念で決めつけてしまっている常識や理屈に照らし合わせながら自分の行動を決めていた。

 

直接的には仕事に影響を与えないかもしれないゴミ掃除をしてみるなんていう作業が実は時には必要である行為なのだと昔の俺は考えた事もなかったし、その重要性など見向きもしなかった。

 

だから人生が窮地に追い込まれていた09年年末のあの頃。

 

俺はまずくだらない意地や見栄やプライドを捨てる事にした。

 

とにかく何が正しくて何が間違っているか?はまず自分で実践してみてから判断しようと考えるようになったのだ。

 

今までの人生の中で身についてしまった自分の頭や体の中にすでに出来上がってしまっている常識やモラル、その他様々な体験、情報収集による偏った偏見に疑問を投げかけてみる作業を行うようにし始めた。

 

そして一たび自分の頭の中で「こうしてみようかな?」とか「こうした方がいいかなぁ?」と思った事は次の瞬間行動するように意識的に変革させていった。

 

以前の俺だったら「こういう勉強をしてみようかなぁ?でも明日からでいっかぁ~」なんて頭を過ぎる問題があった時、大抵の場合が「永遠にやって来ない明日」に対して問題を後回しにしてきた。

 

「明日からやろう!」という考えや行動を「思いついたのなら今すぐに実践しよう!」というように切り替えていったのだ。

 

結果として俺の生きるスピードは今までの人生がまるで嘘だったのかと思えるぐらい急スピードで変化をしていく事になるのだ。

 

 

 

 

178:人間を作りなさい

 

明らかに今までの人生と歩くスピードが変わったなと感じるようになり始めた09年年末。

 

あの頃から俺は生きるエネルギーに溢れる自分を感じるようになってきた。

 

そして考え方や行動もそれまでの32年間がまるで嘘であったかのように変化していく事になった。

 

以前だったなら人付き合いも億劫で面倒くさがっていたし、親友以外とはあまり時間を取らないようにしていた。

 

自分が興味ある本当に狭い狭いストライクゾーンだけを目掛けて生きてきたようなところがあるから、そういった生き方もあらゆる事に興味を示すような好奇心旺盛な自分へと変えていった。

 

だから仕事を作らなければ生きていけなくなったあの当時、俺は仕事を作る為にまず何をすべきだろう?と考え、とにかく沢山の人に会って自分を売り込む事だと理解するとそれを次々と実践しだしていく。

 

今までにお会いした事のある方の名刺を集めて、片っ端からメールしてご挨拶させて頂くように行動してみた。

 

更に為になりそうだなと思えたあらゆるセミナーや集まりにも顔を出し、とにかく人脈を広げ一人でも多くの人に自分の立場や考えを分かってもらおうと努めた。

 

新しく知り合って名刺を頂いた方々に対しては例え深夜までお酒を共に飲んで酔っ払って帰宅した状況だったとしても必ず寝る前にメールで誠意を込めて全員にご挨拶をするよう心掛けた。

 

そんな行動を繰り返していると中には俺の事を見どころのあるヤツだと思ってくれる方もいたようで、結果としてそういった方々との一歩踏み込んだ深い交流へと繋げていく事が出来た。

 

こういった行動や結果は俺の原点であるから現在でも実践し続けている俺流の生き方なのだが、何故俺がこういった地道で地味な事を実践出来たか?と言えばそれはたぶん長い売れない芸能生活や下積みの日々があった事に加え、俺の心の中にいつでも残り続けるある言葉があったからだろう。

 

水前寺清子さんから昔伝えられた「人間を作りなさい」という言葉だ。

 

あの言葉があったから俺はその後の長い時間の経過の中で何度となく辛い経験をし、時には腐りそうになってしまう自分を「そんなんじゃいけない!辛い事があったから腐るなんて簡単だ。辛い今みたいな時期だからこそ人に対して優しさを持てる人間を目指そう。」そう思えて頑張ってこれたのだ。

 

結果として俺は「人間を作る」という作業を自分の人生のテーマとして生きてきたし、俺にとって「人間を作る」という言葉の解釈は人や物に対して感謝出来る人間。そして人を大事に出来る人間であるから、とにかく人を大事にするようにして過ごしてきた。

 

その積み重ねは確実に俺の財産になっているし、結果として本当に沢山の人が俺を助けてくれるようになった。

 

そうして人から差し伸べてもらった暖かい手や人情の数々は俺を「更に人を大事にしなくては!」と思わせるようになっていったし、結果として慢心も傲慢さも作りようがない感謝に溢れた人間へと成長させ続けていってくれているような気がする。

 

 

179:独立して初めての仕事がイメージキャラクターだった

 

中国で完全に独立して歩き出した2009年年末。

 

あの頃の俺がいくら生きる希望や活力に満ちていたとは言え、当時はすでに1年近く貯金のなし崩しだけで生活を繰り返していた。

 

だから次の明確な仕事が決まらない中で貯金が次々と目減りしていった生活は正直かなりのプレッシャーだった。

 

元々大した貯金は持ち合わせていなかったし、新しい仕事をしていくにも様々な投資が必要だったから巨大な計り知れない不安があったのも事実だろう。

 

そんな俺になんとある日突然ビッグチャンスが到来した。

 

知人が誘ってくれた食事の席で新たに知り合う事になったある企業の社長さんがちょうどたまたまイメージキャラクターを探していると俺に伝えてきたのだ。

 

でも10数年も業界にいて仕事を獲得するのがどれだけ困難かを身を持って実感している俺にとって最初は社交辞令程度で先方が話しているなとしか思えなかった。

 

しかもタレントがいち企業のイメージキャラクターに起用されるという事自体が元々相当ハードルの高い事なのを俺はよく理解しているからこの話がまさか現実になっていくなどとは当初は考えもつかなかったのである。

 

この日は深夜までお酒を飲む事になり帰宅したのは結局午前2,3時だったと記憶しているが、俺はいつものように眠る前に頂いた名刺のアドレス宛てにメールでご挨拶を送った。

 

翌朝目が覚めるとメールの返信が返ってきているではないか!

 

しかも昨晩話していたイメージキャラクターの話を是非前向きに進めていきたいという内容も添えてあった。

 

それを目にした瞬間、動悸が早くなり天にまで昇るほどの興奮と感動を感じたし、同時にまずは相手に対して感謝の気持ちだけでも届けたいと思い更に返信する事にした。

 

メールでのやり取りをあの後一体何度繰り返した事だろう?

 

結局俺はフリーになって初めて自分自身で手にする事になった1つ目の仕事を「希世奇菌」という納豆のイメージキャラクターという大きな内容で決める事に成功したのだ。

 

俺は本当に恵まれている。

 

俺が辛い時、いつでも誰かが俺に手を差し伸べてきてくれた。

 

そうして俺は今でも生かされている。

 

俺がこうやって沢山の人に支えられ、生かされている事にもし何かしらの意味があるのだとしたら?

 

俺はその意味を自分の生命を削ってでも全うしたい想いがある。

 

俺を救ってくれて光と希望を見せてくれた沢山の日本人、中国人に恩返しがしたい!

 

例え微力だとしてもその思いや行動の先に誰かが幸せを感じてくれる事があるなら。

 

そう考えただけでこれ以上幸せで嬉しい事はないのだ。

 

俺が沢山の人達からそうしてもらえてきたように・・・。

 

 

 

180:ファンがいるから。そしてファンの為に!

 

納豆のイメージキャラクターが決まった時期とほぼ連動して俺の仕事運は急上昇していく事になる。

 

すでに2010年もスタートし季節は真冬のど真ん中にあった。

 

数か月かけてマメに営業活動していた成果が少しずつだったけれど、でも確実に結果に繋がり始めていた。

 

仕事の依頼や相談などのメールや電話が徐々に現れ始めたのだ。

 

そのどれもに対して誠心誠意対応するよう心掛けたし、即レスや即行動はすでにこの頃の俺にとって当たり前の習慣になっていた。

 

状況や人によっては直接会って話がしたいというケースもあったからそういう場合はなるべく時間をかけずに日程を調整してもらい話を聞きに出掛けた。

 

そんな事を繰り返しているうちに俺には徐々に芸能の仕事が復活していったのだ。

 

本当にありがたい事だった。

 

もうかれこれギャラが発生するような仕事は1年近く経験していなかったから、仕事の入り出した事実は神様から命を救われたかと思うほどありがたくて感謝に溢れた。

 

お金や仕事が再び入り始めた事は当然俺の心や精神にも多少の余裕をもたせるようになり始めたし、2010年の春を目前にしていたあの時期から俺はようやく長い暗闇のトンネルを抜け、少しずつ本当の意味での復活を小刻みに歩み始めていったのだ。

 

同時に心に余裕が生まれ始めたあの頃、俺にある日突然1つの思い付きが生まれる。

 

「俺を3年間応援し支え続けてくれていたファン達にどうしても感謝の気持ちを直接会って伝えたい!」

 

そこで俺はその為にファンと交流するファンミーティングを企画し、KAI XIN GUOのTAKAさんに頼んでお店を半日貸し切りにさせてもらう事にした。

 

全員を招待してあげるという形にしたかったけれどさすがにまだまだ金銭的に厳しい時期だった事や、ネット上でそのイベントの事を告知した事もあり、自分のファンとは関係ない人間がタダ飯食べたさにやってきてしまうなんていう懸念もあったから、結局最低限の会費を一人ずつから徴収する事にし、足りない金額を全て俺が負担するという形でこのイベントを実施した。

 

イベントでは感謝の気持ちを込めてライブも行い、長い事人前で歌ってこなかった自分をこの日ようやく解禁した。

 

ライブが終わると一人一人のテーブルを回りみんなと交流させてもらった。

 

「ファンの子達が自分の為に集まってくれた。」

 

その事が俺にとってどれだけ素晴らしくて嬉しい事だったか・・・。

 

「再起をするならばまずはこの子達に感謝と新たな覚悟を伝えてからじゃないと駄目だ!」

 

何故かそんな気がした。

 

そしてその願いは叶った。

 

俺はあの日からまた一歩加速して歩いていくようになる。

 

もう心に一切の迷いや不安はなかった。

 

 

 

前の記事

KAI XIN GUOとの出会いが変えた人生観

次の記事

台湾へ再び、ジミーとの再会も