86:上海到着初日から
俺は「加油!好男児」のテレビオーディションに参加する為07年4月初旬再び上海へ渡った。
上海に到着すると空港から直接上海テレビに向かう事になる。
どうやら翌週に収録するオーディション番組の打ち合わせがあるらしい。
俺とマネージャーが二人でテレビ局に着くと迎えに来たスタッフに連れられ打ち合わせを行う部屋に通された。
そこには数人の番組スタッフ。
そして俺の他に四人のオーディション参加者が集められていた。
すぐにミーティングは進められ番組プロデューサーからそれぞれ特技を聞き出された。
ダンスやアナウンサーの物まねなど参加者はそれぞれが個性ある特技を持っていて、それを翌週行われるオーディション中に披露する事が決まっていった。
特技は歌以外で出来る限り変わったものが良いというリクエストだったので俺は一瞬困ってしまうのだが、俺の得意なバドミントンならば簡単なパフォーマンスぐらい出来るだろうとスタッフに提案してみる。
スタッフ達はしばらく協議した後、普通にただバドミントンをするのではなく例えば毎回違う打ち方をしてパフォーマンスとして見せる事が可能ならば俺の披露する特技はバドミントンで良いと伝えてきた。
他に思い浮かぶ特技もなかったので俺の披露する特技はバドミントンでいこうとその場で決めた。
そうやって全員の披露すべき特技が決まると次は番組中に歌を歌って競うコーナーの話し合いが始まった。
他の四人の出演者はみんな中国人だったし次々と歌う歌がテンポ良く決まっていく中、俺だけはなかなか歌う歌が決まらない。
日本語の歌は歌わせてもらえなかったし、中国語で俺が歌う事の出来る歌はそう多くなかったからだ。
結局長い話し合いの後、俺が歌う事の出来る曲目の中から比較的得意な歌を歌う事に決まった。
「加油!好男児」は直訳すれば「頑張れ!イケメン達」というイケメンコンテストと言えば分かりやすいのだろうか?
毎回のオーディションで競う内容は歌ありダンスありトークありと様々なジャンルで競い合う特殊なオーディションだった。
けれど歌やダンスが上手い人間が必ずしも勝ち残れるわけではなく、テレビを見ている視聴者やファンの人達のショートメールによる得票数によって勝敗が決定する番組だった。
歌などのパフォーマンスはその基準値を定める一つのきっかけにしか過ぎず、より大きな要素は番組出演中にどれだけの人に自分を好きになってもらえるか?という事だった。
上海に到着して早々、俺は休む間もなくその後もオーディションの事だけで様々な事を拘束される事になっていく。
87:オーディション参加と共に消えた自由
07年4月。
上海にオーディションの為渡ったその直後から俺の生活はテレビ局にほぼ拘束される事になった。
初日のミーティングを終えるとその日は翌週参加する予定のオーディションへの準備なども特になく帰宅が許された。
俺が上海にいる間寝泊まりをさせてもらえたのは上海人マネージャーの親戚の空き家だった。
初日は次の日からの慌ただしさに備えすぐに寝てしまったのだが翌日からは想像していたよりもかなりハードなスケジュールが俺を待っていた。
朝からテレビ局に集合させられるとバスでダンスのレッスンスタジオに連れていかれた。
「加油!好男児」は番組のオープニングで毎週必ずオーディション参加者達がダンスを披露しながらのスタートとなる。
ダンスの出来ない俺にとっては大きなハードルだったし大変な作業だった。
当然そのダンスもファンへのアピールに繋がるわけだし、やるからには必死でレッスンに臨んだ。
しかしこの時期俺にはもう一つの大きなハンデがあった。
アキレス腱切断の怪我からようやく日常で歩けるようにまで復活したばかりで、まだまだとてもじゃないが激しい運動は無理な状態だったのだ。
しかもアキレス腱が再びくっついたと言っても以前のように強固で丈夫な状態に戻るには最低でも半年はかかるらしい。
それまでの期間は筋肉の強度や柔軟性も不安定で再断裂の可能性なども多い時期だったようだからダンスのレッスン中は常にそういった不安が頭の中を過ぎった。
当然痛みや違和感を感じながらレッスンに挑んだのだ。
不慣れなダンスに万全じゃない状態で挑まないといけないハンデを抱えながら俺は初日のハードな練習を何とか乗り切った。
朝から夕方まで続いたハードな練習がようやく終わり今日はもう帰れるだろうと思っていたらその後には歌の練習が待っていた。
「嘘だろ…?まだ終わらないのか…?」
恐らく今日一日だけではなく翌日からも同じようなスケジュールが待っているはずだ…。
そう考えるとオーディション参加初日にして俺の心は少し折れかけそうになっていた。
88:点滴を受けに病院へ
オーディションに向けたレッスン初日を終え仮住まいに帰宅した俺はあまりの疲れでシャワーを浴びるとすぐに眠ってしまった。
そうして迎えた二日目の朝。
「今日もまた昨日と同じような一日が始まるのか…」
そう考えると気持ちが非常に憂鬱だった。
体は全身筋肉痛で怠さを伴っていた。
そのせいか怪我から回復したばかりの左足が妙に痛むのにその時はあまり怪我を意識しないで俺はレッスンへと向かってしまう。
その日のレッスンも前日と同様激しいレッスンが待っていた。
午前中はみっちりダンスレッスンがあり午後からは翌週のオーディション本番で披露する事になる参加者それぞれの特技のコーナーに向けた練習が行われた。
俺の場合はバドミントンをテレビの演出的に派手にパフォーマンスするという事が求められた。
プロデューサー達に求められるパフォーマンスの度合いは難易度が決して低くなく、俺は汗だくになりながらその練習を繰り返す。
しかもこの時期俺はアキレス腱切断の怪我からまだようやく何とか歩けるレベルまでに復帰したばかりでとてもじゃないが運動を行えるコンディションではなかった。
前日からの疲労も重なり足には完璧違和感を覚えた。
でもそれでもそんな事を言っていても仕方ないと俺は周りに悟られないよう無理を繰り返して練習を続けてしまう。
痛みや怪我の再発への不安、違和感はあったものの俺はとにかく中途半端が嫌いで一度自分が決めた事に関しては何でもとことんやり込んでしまう暴走トラックのような一面を持っているからこの時も多少無理をしてしまったんだろう。
しばらくして休憩を取るタイミングになると赤く腫れ上がってしまった左足に気付く事になる。
一度休んでしまったら痛みがより鮮明になり再び動くのが困難になっていた。
結局俺はその日の練習を早めに切り上げ病院へと向かう事になる。
診断されたのは疲労による炎症。
大した事がなくて内心ほっとしたがそもそも本来運動などしてはいけない状態には変わりなかった。
でも俺は次の日以降もとにかくやるしかなかった。
病院では点滴を打ち、応急処置をしてもらい翌日からの練習にまた備える事になった。
89:いよいよオーディション本番へ
練習によって引き起こしてしまった左足の炎症だが翌日になると大分痛みが引いていた。
点滴と応急処置が効いたのだろう。
そのお陰でレッスン三日目は完璧なコンディションとは到底言えないものの痛みでレッスンが続けられなくなるというような問題にも遭遇する事なく終える事が出来た。
四日目も五日目も同じだった。
それに怪我をした事で逆に気持ちにはアクセルがかかった。
せっかく上海にまで来て痛みに耐えながらこれだけ頑張っているんだから絶対にオーディション本番ではいいパフォーマンスをしようと!
そうしてついに俺はオーディション本番を迎える事になる。
番組収録スタジオに着くとまず驚いた事がセットの豪華さだった。
俺の心のどこかに中国のテレビに対しての偏見があったのかもしれない。
でも想像以上にお金や手の込んだスタジオの作りになっている様を目の当たりにすると思わず面食らってしまった。
更に会場に来ている観客が思いのほか多くてそんな中でパフォーマンスをしなければならないのだなと考えると何だか必要以上に緊張してしまった。
「どうやらこのオーディションは俺が考えていたよりももっと規模が大きいみたいだ。予めイメージしていた予測と目の前の現実との誤差を頭の中で一度整理し直さないと絶対に良い結果は出せないだろうな…」
極度の緊張と不安で高鳴る心臓を頭の先までその響きを感じ取りながら俺は必死で冷静さを保とうとした。
「大丈夫だ。きっと大丈夫…。」
出演者に用意された控え室の椅子に座り俺は周りの人間と距離を取りながら一生懸命精神統一を始める。
90:挑戦の始まり
オーディション本番直前の俺は集中しやすいように控え室の中でも人通りの少ない隅っこのエリアに座る場所を確保した。
というのも中国のテレビ番組の収録というのは日本とは違い出演者専用に楽屋が用意されるケースというのは多くない。
よっぽどの大物でない限り個人に対して与えられる楽屋などは尚更考えにくい。
その為メイク室と衣装部屋を兼ねたスタッフを含めた全ての出演者達が兼用する大部屋が出演者にとっての楽屋となる場合が主流だ。
「加油!好男児」のオーディションもそういった環境下での舞台裏だったから当初はこの様子に戸惑う事になる。
何故なら控え室は多くの人やメイク道具、衣装などの物で溢れ返り非常にごった返していたし、とにかく騒がしくて自分の世界に集中しようにも集中しにくい状況だった。
更に日本ではスタッフさん達を始め関係者が現場では出演者に様々な角度から気を使ってくれる事が俺にとって当たり前だったから、意外なほど中国の現場ではそれが感じられない事にも驚いた。
出演者側もスタッフ側も日本とはこういった意識や習慣が全く異なるのだ。
中国では出演前で考え事をしていたり台本を覚えていたりしても平気に話し掛けてくるスタッフや関係者も少なくない。
日本の現場ではよっぽどの用事がなければそういった集中している出演者に対して声をかけたりしないだろうが、中国では非常に当たり前にこういった事が起こる。
そもそも物事の考え方や習慣が違うのだ。
俺はオーディションを通しながらこういった事も学習していく事になる。
だがあの時はそんな余裕はなかった。
もう間もなく初めてのオーディション番組収録を目の前に控えていたのだ。
落ちてしまえばそのまま日本に帰る事になるだろう…。
最初は落ちてもいいとどこかで考えていた俺だけれど、本番を目の前に控えたあの瞬間はやっぱりどうせなら受かって勝ち残りたいと思っていた。
あの時騒がしい控え室の隅っこで俺が頭でずっと考えていたのは本番中の演出やシュミレーションの事ばかり。
本番中緊張して例え頭が真っ白になったとしてもこれだけは気をつけよう!とかこれだけはきっちりやり切ろうとか自分にテーマを課した。
鳴り止まない心音が激しさを増していく中、ついにスタッフの声が控え室に響き渡る。
「本番が始まるから出演者はみんな集まって!」
俺の小さな挑戦が始まろうとしていた。
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