日中友愛エンタメ大使(自称)の小松拓也です。

 

 

この度、自分の無力感を強く、そして深く感じる出来事がありました…。

 

今でも何とか出来なかったのだろうか?とその場面を何度も何度も頭の中で反芻しているのです。

 

僕は本当にあまりに無力でした…。

 

 

 

 

 

僕はかなりポジティブ思考だし日頃、ほとんど弱音なども吐きません。

 

逆に愚痴や悪口は極力言葉にしないよう注意しているし、もし誰かに何か言葉をかけるならばポジティブな言葉を伝えたいと意識しながら生きています。

 

だって言葉って言霊という言葉があるように、口に発した瞬間からそれを現実へと導いてしまう不思議な力や魔力を秘めているって知っているから。

 

 

 

 

悪い言葉を発して相手を嫌な気持ちにしてしまったり不幸にさせてしまうなんて絶対に嫌だし、だったら相手に喜んでもらいたいし幸せになってもらいたい。

 

イライラして誰かに接したらそのイライラやストレスは相手にも伝染するものだし、逆に笑顔でニコニコ接していたら笑顔やハッピーはそれもまた相手に伝染するものです。

 

自分が笑顔や元気を相手に振りまくことが出来たら、回り回ってその笑顔や元気、幸せは自分に返って来る!

 

そんなことを大なり小なり人生の中で体感したことがある人はきっと少なからずいるでしょう。

 

僕はスピリチュアル的な感性は強い方じゃないけど、ある時期から「世の中には目には見えない不思議な力が介在するな」と信じるようになりました。

 

 

 

はっ?お前ってそっち側の人間だったの?

 

 

 

とツッコマれれば、たぶん皆さんが考える「そっち側」の人間ではありません。

 

そもそもそんな大それた力は持ち合わせていないし、その片鱗すら僕にはないでしょう。

 

むしろ僕はいたって常識人だし論理的な思考だし、科学的根拠とかそういうものが大好きです。

 

 

 

 

でも、目に見えないだけであって世の中には科学や論理的には説明のしようがない不思議な力が確実に存在する!ということだけは感じることが多々あります。

 

逆に僕は以前、スピリチュアル的な発想や考えを全否定していた側の人間です。

 

 

 

だって怪しいし、非科学的だし証明のしようがないし、占いとかスピリチュアルカウンセリングとか、そんなの全部詐欺だ!ぐらいに長年思っていましたよ。

 

今でもそういった類の仕事を生業にしている方の一部にはいわゆる「偽物」が存在すると思っているのは事実です。

 

でも、僕ら一般人が感じられない不思議な力を感じ取ることが出来る本物の力を持った人が存在するのも事実だと今は思っています。

 

 

 

 

スピリチュアルな感覚や感性とは少しだけ異なりますが、緊張しがちな人に朗報!たったこれだけのことでプレゼンも安心の記事でもお伝えしたようにイライラなどの怒りや負の感情、それに笑顔やポジティブな言葉&行動などの喜怒哀楽というものは自律神経という観点から見ても確実に周りの人間に伝染するものです。

 

自律神経というものは自分がどんなにバランスが崩れないように努めていたとしても外圧が加わることで乱れてしまうことは多々あります。

 

誰かに怒られたり悪口を言われて心のバランスを崩し、時にはその異変が体の不調になって表れたりする場合もあります。

 

もちろんこれらの全ては目で見ることが出来ません。

 

でも我々は確実に互いに何かを感じ合いながら過ごしていると言えます。

 

 

よく場の空気を感じる!とか、場の空気を読む!などといった表現を用いることがありますが、こういったことも可視化出来ないだけであって、必ずその空間やそこに存在する人間同士の間に内在するものだと言えるでしょう。

 

他にも勘が働く!とか、気配を感じる!とか、嫌な予感がする!などもこういった類のものかもしれません。

 

そういった感覚が優れている方の中には高確率で危険察知したり、勘が当たる!などといった方もいますね。

 

皆さんの周りにもそんな方が1人や2人は思い当たる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 

我々人間の先祖は古くは狩猟民族だったので本能的に狩りに必要なセンスや危機察知能力に優れていたと言います。

 

大昔は現代と違いGPSもなければ強力な武器も便利な道具の数々もない時代です。

 

獲物を探し出し追い詰める際や、反対に獣から襲われるのを避ける際も、頼りになるのは五感という感覚一つでした。

 

 

 

地震などの天災が起こる直前に異変を察知した鳥やネズミなどが地震を予知するかのように避難を事前に始めたり、常時では取らないような行動を取るといった類の話を皆さんは聞いたことがあるかもしれません。

 

そういった動物の勘や感覚が人間よりも優れていると言われるのはよく耳にすることと思いますが、いわゆるそういった「野生の勘」は現代人よりも感覚に頼って生きねばならなかった狩猟時代の人間にこそ強く備わっていたのではないか?と考えられていると言います。

 

 

 

ここで僕が言いたいのは、「勘」という感覚や「危険察知能力」といった類の感覚など、いわば本能で感じ取るようなこれらの感覚は、実は鍛えれば現代人でもある程度能力値を高められるのではないか?という仮設です。

 

そして、前述した「目に見えない不思議な力」を感じ取ることに長けたいわゆるスピリチュアル系の方などは、一般人よりも「感じ取る能力」が長けているのではないか?と考えるわけです。

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた方の中には、冒頭に話した僕の無力感を感じた話はいったいどこへ行ってしまったのだ?と感じながら支離滅裂な話を聞いているようなフワフワした感覚をお持ちの方は少なくないと思います。

 

 

 

 

 

実は数日前、僕は日頃お世話になっていた人生の大先輩の最後を思いもかけない形で看取ることになりました。

 

その方とは僕の趣味であるバドミントンのサークルチームで出会い、以降この5年ほどバドミントンの交流を中心にお付き合いさせて頂いて来た仲でした。

 

79歳というご高齢ではあったものの、いつもその方はお元気で、先日亡くなる直前まで僕らと一緒に楽しく談笑し、バドミントンもプレイされていたのです。

 

少なくともあの日もいつも通り元気に見えたし何ら異変など僕は感じさえしませんでした。

 

 

 

 

それがバドミントンのプレイ中に突然座り込んだと思ったら直後に仰向けに倒れ込み、周りの人間が異変に気付き先輩の元へ駆け寄ります。

 

ちょうどその頃、僕はその隣のコートで試合中だったのですが、すぐに異変に気付き先輩の顔を覗き込みに行きました。

 

すると瞳孔は開き、唸りながら絞り出すような呼吸音を立てながら小刻みに痙攣している様子を伺いました。

 

すぐにただごとではないことに気付いたし、チームの皆で手分けしてそこからはかなり迅速な対応を施したと思います。

 

1人が救急車を呼び、また違う人間がAEDを探して持って来てすぐにそれを使用し、素人同士ではあるものの人工呼吸や心臓マッサージも手分けしながら行いました。

 

5分もすると救急車がやってきて、救急隊員の方々が更に心臓マッサージなどを開始し、処置してくれました。

 

間も無くすると救急車に乗せられ先輩は近くの病院へと移送されることになります。

 

僕ももう1人のチームの副責任者の方と共に救急車に乗り込み先輩に付き添いました。

 

救急車に設置された心電図にはすでに反応がありませんでした。

 

それでも隊員の方はずっと心臓マッサージと延命措置を続けてくれました。

 

そうして病院に到着し、すぐに先輩は処置室へと移送され、僕と副責任者の方は2人で先輩の回復を祈りながら待合室で経過を待ちます。

 

40分ほどしてチームの他のメンバー3人が病院に駆けつけ、途中からは5名で先輩の経過を待つことになりました。

 

そうして病院到着から1時間半ほどが経った頃、担当して下さったお医者さんが治療室から出て来て僕たちに先輩の死亡を宣告しました。

 

かすかな希望を祈っていただけに信じられない思いだったし、まるで全てが嘘のように感じました。

 

だって数時間前まではいつもと全く変わらず元気にしていたんですよ?

 

ご本人もきっと元気だと思ったからバドミントンの練習場にやって来てコートにも入られていたわけです。

 

そんな元気にしていた先輩がそれらはまるで嘘だったかのように僕らの目の前で命を落とされたのです。

 

本当にショックだったし、今でもその一部始終の光景が頭に浮かんでくるんです。

 

 

 

 

 

僕にとっては人を看取るのはこれが人生で二度目の体験でした。

 

一度目は14歳だった頃、交通事故で他界した母親の際。

 

そして今回が二度目です。

 

 

 

 

 

でも今回は母親の時とは明らかに違うことがありました。

 

母親の時は息を引き取るその瞬間には立ち合ったけれど交通事故の現場には居合わせなかったし、亡くなってしまう一部始終を見たわけではなかったのです。

 

そういった意味で僕は生まれて初めて人が亡くなっていく様の一部始終を見続けていたわけです。

 

 

 

 

40歳にもなればその間に他界されてしまった近しい方はそれなりの数に及びますが、大抵は訃報を聞いた後に葬儀に顔を出す!という形でしかその方々とのお別れをしないものです。

 

でも今回のケースは全く異質でした。

 

 

 

 

病名は突発性の「大動脈解離」でした。

 

 

 

 

この病名を聞いて更に僕のショックは増すことになります。

 

奇しくもこの数日間、僕は血液や血管に纏わる勉強をしながらそれをブログ記事を書くという形でアウトプットまでしていたわけです。

 

当然必要だと思ったからこそ学んだ知識だし、自分も含めて周りの方々にも注意してもらえたら嬉しいと考え、一生懸命書いた記事なわけです。

 

それもたった数日前の話なのですよ…。

 

 

 

 

 

僕は表面的な知識だけを仕入れて先輩の異変に気付いてあげることさえ全く出来なかったんです。

 

心疾患や血管の病気は怖いとつい先日あれほどインプットし直したばかりの状態だったにも関わらず、身近な人の異変にさえ気付いてあげることが出来ませんでした。

 

 

 

 

お医者さんは先輩がご高齢なこともあるし、バドミントン自体が直接的な影響を与えたのか?も分からないし、日常生活を普通に送っていただけだとしてももしかしたら同じことが起きたかもしれないし、そのあたりの因果関係は何とも言えないと話していました。

 

それを聞いて、

 

「それはそうかもしれない。でも、でも何とか出来なかったのか?」

 

何故かそんなことばかり考えてしまうんですよ。

 

 

 

 

僕は普段割りと諦めは良い方だから、過ぎてしまったことはどうしようもない!って割り切るようにしてるんだけど、今回は何故か割り切れずに頭の中で反芻を繰り返している自分が不思議といるんです。

 

 

 

 

先輩は本当に本当に素敵な人でした。

 

いつも誰に対しても笑顔でみんなのお母さんみたいに温かい包容力で現場を包んでくれて、チームの誰もが慕っている方でした。

 

優しいだけでなくて凛として芯のある女性としての強さも持ち合わせた方で、常に周りの色々な細かいところにまで気配りを行き届かせるような本当に素敵な方でした。

 

40歳から人生リスタート!退社のご報告とフリーからの再挑戦の記事で僕は以前、尖閣諸島国有化を機に仕事を全て失い上海から日本に帰国後、自殺を考えてしまった時期があることを話していますが、その頃の人生に目標も失い無気力だった僕がせめてもの気晴らしにと通い出したのが先輩が在籍していたバドミントンチームだったんです。

 

一番最初に練習に行った日の帰りがけ、先輩が一言僕に「またいつでも来てね。」と声をかけてくれたんです。

 

言葉って本当に不思議なものですね。

 

 

 

実はあの日の練習を終えた時点で僕は、今後はもうこのチームには来ないだろうなと心の中で思ってしまっていたんですよ。

 

上から目線と言われればそれまでなのですが、僕から見た時に少しチームのレベルは低くて単純にゲームが楽しめない。と判断してしまっていたんですよ。

 

でも先輩のあの温かい眼差しと笑顔を僕に向けながら体育館を離れる前に放ったたった一言、「また来てね。」を聞いたら、「何だかまた行ってみたいな」って気持ちにさせられて、結局その後もそのチームにお世話になることになったんですよね。

 

冒頭で話した言霊がそうさせたのかもしれないし、先輩という人徳やお人柄、人格のなせる業だったのかもしれません。

 

いずれにしても僕は先輩の言葉があったからこそ人生に疲弊している時に自分が楽でいられる居場所を見つけることが出来たんです。

 

 

 

なのに、

 

なのに、何故いい人ほど早くこの世を去ってしまうのだろう…

 

心からそう感じています。

 

 

 

 

そしてこう思うのです。

 

もし先輩が僕だったらきっと異変に気付くことが出来たんじゃないかって?

 

 

 

 

説明したように先輩は大変気配りが出来る方だったし、本当に色々なことに神経や目を行き届かせている人でした。

 

そして、先輩とそんな話はしたことすらないのですが、僕は先輩に一方的に不思議な力を持っている方なのじゃないかな?と感じていたのです。

 

先輩がスピリチュアルの方だったとは思っていないのですが、ある種近い類の力を持ち合わせていたのじゃないか?と感じていたんですよ。

 

 

 

僕が感じる本物のスピリチュアルのような特殊な能力や感覚を持ち合わせた方というのは繊細で勉強家で物知りで、観察眼や洞察力に優れている!といった方々だと思うのです。

 

そもそも世の中のことを最低限知っていないと務まらないし、信憑性だって出せません。

 

人の心理なども読めるような洞察力や観察眼もかなり優れているものです。

 

つまり、人がなかなか見たり感じたり出来ないことにまで感覚が日常的に行き届きやすいタイプの方々と言えると思います。

 

 

 

風水でも占いでもスピリチュアルでも、優れた先生というのは存在すると僕は考えるし、沢山の頭がいい優秀な経営者や芸能人、政治家の方々なども誰かしらの先生に傾倒しているということは決して少なくありません。

(僕は特にそういうことはないですが。)

 

 

これってみんな優秀な方々ばかりですよ?

 

みんながみんな騙されているのですか?騙されているのだとしたら、優秀な人たちがこぞって嘘や詐欺を見抜くことも出来ない?

 

 

 

 

これって鳥が地震発生前に危険を察知して飛び立つ行動や原理ときっと何も変わらないことなんですよ。

 

だってそう考えなきゃ腑に落ちないじゃないですか。

 

 

 

そして、改めて言いますが真実は全く分からないけれども、僕は先輩が特殊な力を持っていた方だと思っていました。

 

少なくとも洞察力や観察眼、人を本当によく見ていらっしゃるなといつも感心させられてばかりでした。

 

 

 

 

僕が今回言いたいのはスピリチュアルの話とか、オカルトの話とか、どちらかと言うと僕が得意じゃないそんな分野のぶっ飛んだ話じゃなくて、もし僕にもう少し鳥が地震を察知するような目に見えないけれども必ずこの世の中に存在する何かしらの不思議な力に気付くことが出来ていたんなら、先輩を救えたのじゃないか?ってことなんです。

 

だって、先輩が血管の病気で命を落とされる数日前に僕はたまたま血管について勉強したことをブログに書いているんですよ?

 

これはきっと単なる偶然じゃなかったんです。

 

もしかしたらそれこそが先輩のアクシデントに対するサインだったのかもしれない

 

でも、僕は気付くことが出来なかった…。

 

 

 

 

 

先輩の不幸は今更もうどうにも変えることは出来ない。

 

それだけはもうどうしようもない…。

 

 

 

 

 

ただ、僕は一つ大事なことを学ばせてもらった気がするんです。

 

僕はきっと自分のことにいっぱいいっぱいで、周りの色々なものをきっと見落としてしまいながら日常を過ごしているのだろうと。

 

 

 

 

これはビジネスを自分でスタートしたこととも起因している考え方です。

 

 

経営者と雇われる労働者とではそもそも思考や頭の構造があまりにも違います。

 

そして現在、ビジネスを猛勉強し続けている中で、少なくても少し前の自分では行き届かなかった思考を手にしていたり、違う角度からの物事の捉え方が出来るようになって来た部分もあるんです。

 

でも、僕が朝起きて眠るまでに見たり触れるものはほとんど何も変わってすらいないのに、自分の思考や感覚が変わるだけで不思議なぐらい世の中が広く感じるようになって来ました

 

逆を言えばかつての僕には全く何も見えていなかった、見落としてしまっていた景色が沢山あることにようやく今になって気付き始めたということです。

 

 

 

 

 

先輩の不幸を後悔するのならば、ただ心で悲しみ悔やむだけでは全く意味がないと思う。

 

そこから新たなことを探さないといけないのだ!

 

 

今回のブログはそんな新たな決意表明を語る記事とさせて頂きました。

 

長らくご拝読頂き本当にありがとうございました。

 

そして、寒くなる季節は血管の病気が増えるようです。

 

是非皆さんも健康にはくれぐれもご自愛下さい。

 

 

 

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