96:コミュニケーションの取れない日々
次回のオーディションは団体戦。
個人の努力や頑張りも当然必要だが勝ち残りを決めるルールから考えても団結力向上を図りチームとしてパフォーマンス力を少しでも上げる工夫や取り組みが必要だった。
あの時一番俺に求められたのは周りの人間に溶け込む努力と積極性だった。
俺は人見知りだし見知らぬ人とコミュニケーションを取るのが上手い方ではない性質だ。
加えて中国語でのコミュニケーションならば尚更引っ込み思案になってしまっていた。
他の参加者達は大抵が20歳前後だったし常にパワフルで元気。
テンションが高すぎる彼等と毎日一緒に四六時中過ごしている事自体が楽ではなく、いつもそのパワーには圧倒されていた。
参加者の中には言葉もたどたどしい外国人と交流をする事自体億劫に感じてしまう人間ももしかしたらいたかもしれない。
20人も人間が集まれば自然と派閥やグループなども出来上がってしまうのが自然で俺は唯一どのグループにも属せない逸れものだったわけだ。
時間が経てば経つほど周りの人間とコミュニケーションを取るのが難しくなっていった。
休み時間や食事の時間は仲良し同士が寄り添って和気あいあいとやっていたが俺だけはいつも一人でぽつんとご飯を食べていた。
「こんなんじゃいけない…。」
そう思って自分から積極的に周りに声をかけても簡単な会話しか出来ないしボキャブラリーがない俺とは会話が続かない。
頑張っているつもりでも周りの人間との溝は一向に埋まらなかった。
特にオーディションという性質上みんな表明的には仲良くしていてもあくまで最後はライバル同士。
だから和気あいあいの中にもやはりどこかピリピリした妙な空気感は常に漂っていたように思う。
ほとんどの人間にとってオーディションは短期決戦。
勝ち残り続ける事が出来る人間の方が確実に少ないからだ。
参加者同士は元が他人なだけにほとんどが落選してしまえばまたそれぞれ離れ離れになる所詮それまでの関係だろう。
そういった意味ではその場をより楽しく過ごせる人間同士で集まる方が建設的で都合が良い部分もあったかもしれない。
俺は毎日四面楚歌だった。
オーディション自体がプレッシャーだったし精神面の弱さや不安は常に自分自身だけで抱え込むしかなかった。
それを和らげる手段も方法も見つからないままとにかくストイックに自分を見失わない事だけを心掛けていた。
やり場のない孤独の中俺は何度も自問自答する。
「何の為に今ここにいるのか?日本に帰ってももう戻る場所はないだろう。ここで結果を出さなかったら俺にはもう何も残らないだろう。それでいいのか?」
と…。
97:再びオーディション本番
周りとのコミュニケーションも上手く取れないままオーディションはついにまたその週の本番日を迎える。
言葉では上手く気持ちや考えを伝える手段を持たない俺だったがジェスチャーや行動で最低限のコミュニケーションはチームのみんなと取って来た。
だからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせそんな心境の中本番はスタートする。
オープニングを終えると早速3チームに分かれて歌のパフォーマンスを行うコーナーに入った。
3チームが歌い終えると早くも審査員達によって第一回目の審判が下った。
各チームからパフォーマンスが劣ると判断された一名が落選となるのだ。
結果が言い渡されるまで心臓がバクバク鳴っていたが結局この時点で俺が落とされる事はなかった。
しかし一緒に一週間頑張って来た仲間が自分の目の前で落選を言い渡され退場する姿を見ているのは非常に複雑な思いだった。
「辛いだろうな…。でも次は我が身かもしれない…。」
人の心配や心情を気にかける暇もなくオーディションは続いていった。
この時点で更に翌週のオーディションに進む事が出来るパフォーマンスが良かったと評価される1チームが言い渡されたのだ。
俺の所属するチームではなかった。
勝者チームは早々にこの時点で翌週へのオーディション参加権利を手にし、俺の所属するチームと残りのもう一つのチームは次のダンスのチーム戦に臨まなければならなかった。
苦手なダンスでのパフォーマンス…。
とにかく練習した成果を発揮するしかなかった。
嫌な空気の中オーディションは続いた。
98:ホッと胸を撫で下ろした瞬間
オーディションは3チーム中勝ち残りを決定した1チームを除く残り2チームでダンスバトルをする事になった。
俺にとってダンスは苦手分野だったし周りの参加者達の中にはダンスに長けた人間が何人もいた。
それだけに正直自信がなかった。
ただチーム全体としての総合的なパフォーマンスとして評価をされる事になるからダンスの出来ない俺でも何とか勝ち残る望みはあった。
そうしてダンスが始まると俺はレッスンで一週間覚えて来た事をとにかく必死になって表現した。
自分達のダンスの後にはもう一方のチームがクオリティーの高いダンスを披露した。
ダンスが終わった時点で審査員により各チームから一人ずつパフォーマンス力の劣ったと判断された参加者2名が落選を言い渡される事になる。
ほとんどの人間がダンス能力に長けている中で素人の俺がこの時点で落とされる可能性は非常に高いだろう…。
祈るような思いで審査を言い渡されるのを待った。
次の瞬間胸をホッと撫で下ろす事になる。
落ちた二人の中に俺は入らずに済んだのだ。
落ちる人間の横で喜びを小さく噛み締めている何とも苦い思いの中、俺達の所属チームは翌週のオーディションへと参加する事が決定した。
チーム戦に勝ったのは俺達のチームでもう一方のチームから更にこの後一人がこの日は落選させられたのだ。
結局俺はまた勝ち残る事が出来た。
でも喜びも束の間…。
翌週には残り15人の参加者が10人に削られる事になるのだ。
しかも勝ち残っている人間はみんなパフォーマンス能力に長けた人間ばかり。
勝ち残れた事でまずは目の前のプレッシャーから解放された俺だったがまたすぐに次の事を考えなければならなくなった。
99:言葉以外のハンディ
翌週のオーディションに向けてまた新たな試練がスタートした。
上海にやってきてからというもの自由な時間はほとんどなく朝から晩までオーディションの番宣や写真・VTR撮影、レッスンや本番の番組収録とまるで休みがなかった。
更に俺の場合自己アピールをどんどんとしなければいけない番組内容の中、番組中に司会者にコメントを求められたり記者から質問を受けても中国語での受け答えで他の中国人参加者達のように上手く回答出来ずに苦しんだ。
伝えたい事さえ自由な言葉で伝える手段を持たない俺に対して周りの参加者達はどんどんと伸び伸び自己アピールを繰り返す。
それを横目にいつも羨望の眼差しで眺めていた。
オーディションを何とか勝ち進んで次のステップに進めても休む事もなく次の試練が訪れる。
俺の場合特に大変だったのが新しい中国語の歌をどんどん覚えて練習しなければならない事だった。
毎週番組では必ず新しい中国語の歌を披露しなければならない。
中国人参加者達は当然自分の知っている得意な歌などを中心に選曲出来る。
だが俺は自分の歌える中国語の歌は元々ほとんどなかったし一週間ごとに最低一曲~多い時で4曲も新しい初めて聞くメロディの歌を歌詞ごと丸暗記で覚えなければならなかった。
中国語での暗記だったから日本語の歌をゼロから覚えるよりも時間がかかったし、それ以前に朝から晩まで全員行動というのが基本だったから個人で使える自由な時間などほとんどなく、移動中の車の中や食事の時間にMP3を使ってとにかく歌を聞き込む作業が必然だった。
帰宅してからも毎日ボロボロに疲れた体で寝る時間を割いて歌を覚えねば間に合わなかった。
オーディションが続けば続くほど俺はこういった問題とも直面していく。
精神的にも体力的にも俺はどんどんと佳境に追い詰められていくのだ…。
100:苦悩と葛藤の始まり
ほぼ寝れないで過ごす日々も何週目に入ったか分からない。
そうやって1つずつ目の前のノルマを過ごしてきた俺に次のオーディションが訪れた。
今回のオーディションでは15人残っている参加者から更に5人が落選し10人にまで削減される事になる。
今回もオーディションで定番のダンスによるオープニング。
そして歌をそれぞれが披露するという審査が行われた。
この頃から俺には完全に余裕がなくなっていた。
というのも限られた時間の中で全く初めて聞く中国語の歌をゼロから丸暗記して覚えなきゃいけないという作業は想像以上にハードな作業でとても人前で歌えるレベルにまで仕上げる事が出来なかったからだ。
ただでさえダンスなど必須で覚えなきゃいけないテーマが与えられる中でテレビ局に拘束される一日の大半の時間を全体向けのレッスンや練習に費やさなければならない状況だった。
そもそもオーディション期間中は個人で使える時間など食事の時間か車での移動時間、それ以外は全体練習が終わって帰宅出来た後の深夜の時間帯しかなかった。
朝集合してから夜解放されるまでに個人の歌を練習する時間はそれ以外に一切与えられなかったのだ。
他の中国人出演者達は自分が歌える歌をセレクトしているわけだから元々大した練習などしなくても上手い下手かは別として少なくても歌を歌うという作業においては大きな問題はなかっただろうが、俺にとってこの問題は完全に大きなハンディとなった。
オーディションの期間中歌ったほとんどの歌が1週間という限られた時間の中で、しかも満足に練習時間も割けない中覚えねばならなかったからだ。
しかも時には全く知らない歌をこうした状況下で4曲も覚えた週もある。
正直歌詞もメロディも完全に頭や体に入らずにタイムリミットがやってきてしまった事も何度もある。
こういったオーディションのルールだったから仕方なかったと言えば仕方なかった事なのだが、正直あんな中途半端な状態で歌は歌いたくなかった。
歌っている自分が惨めで辛かった・・・。
あの時のオーディションを開始として俺はどんどんといつオーディションに落ちても仕方ないギリギリの状態で何とか勝ち進む権利だけを手にしていく事になる。
同時に元々は人気選手の一人と化していたあの頃の俺は少しずつファン離れを引き起こし満足なパフォーマンスも出来ず目立てない中で自分自身も最悪な状態と葛藤の中、みっともなく勝利にだけしがみ付かなくてはいけないスタンスの中オーディションを続ける事になっていく。
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