141:初めての杭州

 

一茶一座とのコラボ作品である音楽写真小説発行に向けていよいよ本の挿し絵として使われる写真撮影がスタートした。

 

物語の登場人物に扮し、その行動に沿って写真は撮られる事になったので音楽を勉強しているシーンやお茶をヒロイン役のチーチーと二人で一緒に飲んでいるシーンなど数多くの写真を撮る事となる。

 

撮影場所として使われたのは上海の大学構内や街の路上、そして一茶一座の店舗内でも一部写真撮影は行われた。

 

初日の撮影は全て上海市内で行われたのだが2日目は朝早くから車で上海から2時間ほどの距離にある都市、杭州に場所を移して有名な西湖付近で撮影を行う事になる。

 

俺にとってオーディションに参加以来、上海以外で初めて訪れる事になった中国の都市が杭州である。

 

杭州は高層ビルが密集し欧米などの異文化が至る所に垣間見れる上海の街並みとは違い、道も広々としていて解放感のある美しい都市だ。

 

近年では大型のショッピングモールが出来たりオシャレな喫茶店なども増え、国内外でも人気の高いスポットの1つとなっている。

 

特に有名な西湖の周りは非常に良いロケーションで空気も気持ち良く、喧騒の真っただ中にある上海から訪れた俺にとって最適な気分転換にもなった。

 

写真撮影はその西湖付近でも行われ、快適な雰囲気の中この日は特に順調に撮影を終える事が出来る。

 

俺は中国という国にやってきてこの頃は何となく中国の全てを知ったかのような気持ちになっていたのだが、こうして他の街を訪れた時に改めてこの国のスケールの大きさを知ったような感覚を覚える。

 

それはその後経験したり訪れたりする違う地域の場所や人々との交流からもより深い認識へと変わっていく事になる。

 

実際あれから4年が過ぎた今の俺の感覚で言えば、例えば「上海」と「北京」などの大都市はそれぞれが違う「都市」という認識ではなく、違う「国」ぐらいの違いを感じている。

 

話される言葉も街並みも文化も流行も食事もあらゆる面においてその風土性が異なるのだ。

 

テレビも全国全ての地域で見る事が出来るテレビ番組など皆無だろうし、当然情報の伝達の速度やそれぞれの地域性による流行り廃りも日本とは大きく異なる。

 

巨大な国土と人口。そして民族が暮らすこの中国という国の中で、広い中国のどの地域の人にも共通認識させることの出来る何かを生み出せたら・・・。

 

それはとてつもなく大きな目標であるけれども、俺にとって今も変わる事のない目標でもある。

 

 

 

142:いよいよCD制作へ

 

杭州からの写真撮影を終えて上海に戻ると次に待っていたのは音楽CD制作だった。

 

音楽制作で一番最初の作業は事務所の人間とどういった音楽を作っていくかを徹底的に話す事だった。

 

ミニアルバムの楽曲数は全5曲。

 

小説とのコラボという事で歌詞の内容も小説の中身に照らし合わせながら詞を書くという事が決定している。

 

その詞を書くのは当然今回一緒にコラボをしてくれる小説家であった。

 

俺にとってはせっかく自分自身のCDを世の中に発表するチャンスなのだから自分がやりたい音楽をやってみたいし自分が制作していたデモテープをレコード会社の人間に聞かせてその中からストーリーに合っていそうな曲を一緒に選曲してもらう事にした。

 

何日かの話し合いやディスカッションが行われた後、結局4曲を俺が作曲した曲から使用し、残りの1曲は有名なプロデューサーの作曲にてアルバム制作していく方向性が決定する。

 

この作曲とプロデュースを担当したのが常石磊という北京オリンピックのメインテーマソングの1つを作曲するなどして一躍時の人となった有名プロデューサーだ。

 

彼がこの時作った曲は八十八夜という曲で俺とチーチーによるデュエットソングとなるのだが、美しくも悲壮感漂う切ないラブソングであった。

 

当初この曲を聞いたレコード会社の中国人やチーチーや関係者全てがこの曲を大絶賛し、改めて中国人が壮大なバラードを好きだという事や美しく分かりやすいメロディが好きなのだという事がよく伝わったし、俺自身もこの曲を聴き込んでいくうちにこの曲の魅力がより一層分かるようになっていく。

 

同時に自分の作った曲とは明らかにその内容や雰囲気にギャップがあるこの曲が加わる事で、自分の作った他の4曲がこの先どのようにアレンジされていくのか非常に不安になる。

 

その予感は後日見事に的中し俺自身を葛藤とジレンマの渦に巻き込んでいく事になるのだ。

 

 

 

143:形に変える事の難しさ

 

CD制作に向けてミニアルバムに収録される5曲の選曲が決まった。

 

そのうちの1曲はこの時点ですでに完成している有名プロデューサーの常石磊が作曲したアルバムのメインソングとなる八十八夜であった。

 

それ以外に選曲された俺自身が作曲した4曲は選曲後にレコード会社の人間と俺とで幾度かのディスカッションを繰り返し、俺の構想や思い入れなどを伝えたあと実際に現地の音楽家達によってアレンジされる事になる。

 

アレンジの雰囲気によって音楽というものはその雰囲気がまるで違う生き物になってしまうから俺は自分の作り出した音楽が一体中国のアレンジャーによってどのように編曲されていくのか多少不安になりながらその結果を待つ。

 

そうして1曲目のアレンジが仕上がってきた時、その仕上がり具合が自分のイメージとあまりに掛け離れていた事に驚愕を覚える。

 

当然自分の作り出した曲が自分のイメージと全く違う曲となって自分の前に現れたわけだから俺はすぐにレコード会社の人間とコミュニケーションを取り、自分のイメージに近い他アーティストの楽曲を聞いてもらってイメージを共有してもらった。

 

そうして足してほしい楽器の音色や逆に消してほしい音色を具体的に説明した後、改めてアレンジし直してもらう事になる。

 

だがこういったやり取りの数日後、改めて提出してもらった音源は結局俺のイメージとはほど遠かった。

 

結局何度ディスカッションしても最終的に俺の望んだ答えはこの後返ってくる事はなかった。

 

それに制作費の予算や日程的な様々な問題が目の前に降りかかり、結局俺は自分が妥協をする事でしか前に進まない現実と向き合う事になった。

 

俺自身にアレンジ能力があって自分自身が全てを手掛けることが可能だったならば当然こんな状況を打破出来たのだろうがあいにく俺にはそんな能力はなかったし、中国語でのコミュニケーション以前に中国の人たちの感性と日本人の俺の感性の違いを大きく感じる事にもなる。

 

実は中国生活が長くなって少しずつ理解するようになっていくのだが俺があの時直面したような問題は中国国内でなにも音楽に限った問題だけではなく、あらゆる業種に共通する問題であったのだ。

 

例えばファッションで言えば日本人が絶対に組み合わせないようなアイテム同士のコーディネートを中国人は好んで選んだり、カメラマンであれば微妙なちょっとしたセンスやライティングが日本人とは異なるからいつまで経っても欲しい写真が撮れなかったり、WEB制作などでも日系企業が最初制作費の安い中国ローカル企業にWEB制作を任せた挙句、結果長い時間とコミュニケーションを図るなど労力を費やしたあと、満足いくWEBを制作出来なくて日系業者に最初から改めてWEB制作を依頼するなどといった話もよく耳にする。

 

日本が良い悪い!中国が良い悪いという話をここで伝えたいわけではなくて、要はセンスや感性が日本人と中国人ではこれだけ異なるのだという事を説明したいのだ。

 

これらのギャップを埋める作業は非常に大変で骨が折れる作業だし、大なり小なり日本人は中国で皆こういった問題に直面して苦労しているのではないだろうか?

 

俺にとってもこのギャップを埋める作業がいまだに1つの大きなテーマであり、仕事をする上でジレンマになっている問題の1つでもある。

 

 

144:台湾時代と同じ経験

 

ついにCD制作の為にスタジオに入ってレコーディングがスタートした。

 

レコーディングしたのは全5曲。

 

そのどれもが俺にとって難易度の高いレコーディングとなる。

 

台湾時代と同じ中国語の発音の問題に直面したのだ。

 

自分の中では正しいと思って歌っている発音も中国人からしてみれば違和感があったり可笑しく聞こえてしまうようで何度も正しい発音に訂正される。

 

俺の日常会話で使う中国語は中国人から聞いてもらっても綺麗な発音だと褒められる事が多々あり、俺も外国人としては割りと綺麗な中国語を話す事を自覚している。

 

でもそれが歌になると全然勝手が違うのだ。

 

当然中国のプロデューサー達がそれほどクオリティの高い要求をしていると点もあるのだろうが、中国語の歌を完璧に歌うという事はもともと外国人にとってそれほど大変な作業なのだろう。

 

結果、台湾でレコーディングをした時と同様、俺は毎回のレコーディングの中で非常に苦しむ事になる。

 

レコーディングはいつも長時間を要したし体力的にも精神的にも辛い作業だった。

 

当然それに付き合ってくれたプロデューサー達には頭が下がる思いだし本当に感謝をしている。

 

そうして出来上がったCDは後日音楽写真小説として店頭に並ぶ事になり、メインソングの「八十八夜」が上海東方風雲チャート週間ランキング2位を獲得。

 

作品の売り上げが3万5千部を売り上げるなどの大成功を収める事になったのだ。

 

オーディションを卒業後、俺はこうして一歩ずつ自分の地を固めながら歩いていく。

 

07年から08年までの1年、あの頃の俺は自分でも驚くぐらい不思議なほど物事が上手くいったし、少なくても長い人生の中で初めて仕事で特に悩む事もなく過ごす事の出来た1年を送るのだ。

 

 

145:小松琦琦

 

音楽写真小説「八十八夜」が刊行されてしばらくした頃、俺にまたしても新たな企画が舞い込む。

 

音楽写真小説のCDミニアルバムで収録された5曲にまた新たに5曲を加え、チーチーと二人でCDアルバムを出すという決定がレコード会社から言い渡されたのだ。

 

タレントとして絶えずこういった話題に恵まれる事は言うまでもなく幸せな事であり、仕事の好調ぶりを表すバロメーターとしても非常に喜ばしい出来事だった。

 

チーチーと二人でCDをリリースするという事だったから当然デュエット曲が中心となり、中国人と日本人の男女が歌う異色のユニットとしてデビューする事になった。

 

実はこの決定はある大きな事件がきっかけとなってまとまった話である。

 

その事件というのは所属先のレコード会社のチーフマネージャーが自宅で料理中、ガス漏れによる一酸化炭素中毒を引き起こし不幸の中亡くなられたのだ。

 

中国では日本のようにガス自体に匂いを加えていない為、例えガスが漏れていたとしてもそれに気が付きにくい状況がある。

 

加えて住宅環境のせいだろうか以前はこういった類似したガス漏れによる死亡事故が頻発していた。

 

でもまさか自分の身近な人間がそんな事故に巻き込まれてしまうなどとは思いもかけていなかったし、俺にとっては母親の交通事故死以来、二度目となる人間の命の儚さを実感する体験となった。

 

少し前まであんなに元気にしていた人が、前日まで普通に俺と会話を交わしていた相手が今はもういない・・・。

 

生前彼女が最後にレコード会社の社長に残していた最後の言葉が俺とチーチーの二人の事だったらしい。

 

「あの二人が日本人と中国人という意味を持って一緒にこれからも活動してくれたらいいのに・・・」

 

彼女の通夜が明け、この遺言とも取れる言葉にみんなが気持ちを一致団結させる事になる。

 

彼女の為にも追悼の意を込め、音楽でしっかり彼女を送り届けてあげよう!

 

こうして俺とチーチーの国境を越えたユニット「小松琦琦」は誕生したのだ。

 

 

 

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