111:一寸先は
俺は上海地区の代表5人に何とか選ばれる事が出来た。
だがオーディション中一番得票数の少なかった選手は退場を強いられ涙ながらにステージを後にしていった。
会場に来場していた彼の多くのファンは泣きながら絶叫したり退場した選手にエールを送ったりし、その声は司会者のマイクで話す声をも掻き消して番組の進行を遮るほどの凄まじさだった。
俺自身にとっても1か月間毎日朝から晩まで一緒に過ごし、苦労を共にしてきたライバルの退場は忍びない思いだったしほんの数分前まで自分が彼の立場に立たされる可能性が高い状況にいたのだ。
一寸先は光でもあり闇でもある。
加油!好男児というオーディションに参加をして以来俺は絶えずそのプレッシャーと喜びや悲しみの毎日と切り離される事はなかった。
今回のオーディションで俺はまた次に勝ち進む切符を手にする事が出来た。
でも翌日からは早速翌週に待ち構えた次のオーディションに向けて気持ちを切り替えて努力をしていかなければならないのだ。
喜ぶのも悲しむのも本当に一瞬のみしか許されなかった。
オーディションが続く限りとにかくこの連鎖からは逃れられない。
勝てば勝つほど熾烈になっていくオーディションで俺は自分が何を目指しているのか?
それが見えずにいた。
「俺ってそもそもこのオーディションに参加して優勝したかったんだっけ?それともトップ10を目指すんだっけ?そんな事さえ何も考えず無我夢中で具体的な目標も持たず今まで歩いてきていたような気もするな・・・。」
毎回必ず誰かが落選して悲しむ者がいる横で勝ち残り続けたオーディション。
もう嫌というほど涙したり失意の中番組を離れていく選手達を見続けてきた。
勝ち残り続ける時間が長かった選手ほど当然番組に対しての思い入れや名残りもあるだろうし落選の時のショックも大きかったように俺の目には映る。
あの頃から俺はそんな落選していく選手達を見ているのが本気で嫌になっていた。
同時に自分が勝つ事に対しても勝ち続ける事への大きな意味が見出せない感覚へと陥っていくのだ。
その気持ちを更に助長させるある出来事がこの後起こっていく事になる・・・。
112:日本人としての誇りと葛藤
加油!好男児全国大会が始まり全国トップ35人が出揃ったオーディションを終えたあの夜。
いつものように宿舎に帰ってまず確認したのは中国語で開設したばかりの自分のブログだった。
全国大会が始まる以前はコメントをもらったとしても数十人単位だったブログのコメントはあの日から飛躍的にその数字を伸ばす事になった。
数百から多い時では1000単位のコメントが番組視聴者から届く事になる。
同時にそれは今まで目の当たりにせずに済んでいたある問題に対して向き合い始めなければならない事件の始まりでもあった。
あの日から頻繁にブログ上やネット上で見掛けるようになり始めた数多くの俺への誹謗中傷。
そのほとんどは個人に対しての誹謗中傷というよりは「日本人や歴史問題」に対しての批判的な書き込みだった。
強烈な言葉で感情をぶつけてくる中国人や中には南京大虐殺時の日本兵が中国人を虐待している瞬間の写真をコメント欄に貼り付けてくるというような中国人もいた。
これにはさすがに気が滅入った・・・。
以前台湾で活動していた際、親日的な台湾では現地の人から反日感情を感じる瞬間などほぼ皆無だったろう。
だが中国本土ではやはりその温度差がある。
中国本土では早かれ遅かれ大なり小なりこういった問題が起こる事はオーディションに参加する前から予想していたし、その覚悟もしていたつもりだった。
だが実際にその瞬間に直面するとその衝撃の強さに精神を破壊されそうになった。
ただでさえ単身で中国に乗り込みいつも余裕すらなく精神を日々すり減らしていた毎日に疲弊しきっていた頃会いだったからあれらの書き込みや写真はとんでもないショックを俺に与えた。
しかも今まではオーディション会場に来てくれて一生懸命応援してくれる俺に対して好意的で良心的な中国人ばかりを見てきていたから心のどこかで「俺個人に対して反日感情をぶつけてくる人はいないんだな!」と安心しきっていた部分もあった。
戦争や歴史の問題は確かに事実。
でもその事で責められたり罵られても俺にはどうする事も出来なかった。
下手な言葉で自分の感情を伝えようにも俺の中国語力では誤解を与えてしまう表現しか出来ないだろう。
それに逆にかえって相手を刺激してしまうかもしれない。
俺は黙ってそれらの1つ1つを受け止める事しか出来なかった。
日本人である事。
その誇りや責任をいつも胸に秘めながら参加していたつもりの中国でのオーディション。
でも中国人の人気選手が落選していく傍らで日本人の俺が勝ち進む事への不満をぶつけてくる中国人も日増しに増えていく。
「俺はもしかしたら番組を辞退した方が良いのではないか・・・?」
精神的にももうオーディションを続ける気力を完全に失いボロボロに俺は追いつめられていた。
113:俺を通して生まれた化学反応
ネット上での非難や中傷の声が増えると俺は日本から同行していたマネージャーに番組を辞退出来ないか相談する。
マネージャーはここまで頑張って来たんだからやれるところまでやった方が良いと勧めてきたが俺は気持ちがどうしても以前のように前向きに持っていけなかった。
中国人からネットで書き込まれた戦争や歴史問題に絡めた日本人の俺に対しての個人攻撃。
俺にはそれを抱え込めるほどの度胸も度量もなかったし、それを支える強靭な精神力など元々持ち合わせていなかった。
もちろん俺個人としてこういった問題に対しての見解や思いもあったがそれを公の場所で公表するような野暮な真似は全く意味がない事を理解していたし俺はただただネット上で起こる批評を傍観するしか出来なかったのだ。
正直長いオーディションに疲れも感じ始めていた時期でもあった。
そんな中で起きたネット上での誹謗中傷。
勝ち続ける意味が見出せなかった・・・。
どうしても次のオーディションに向けて気持ちの準備が整わない俺の心を救ったのはなんと同じく中国人がネット上に書き込んだ日本人の俺を擁護するコメントの数々だった。
俺を非難する中国人がいる一方で俺をかばい独自の意見を訴えかける中国人が現れ始めたのだ。
「戦争は事実だけど小松個人が今回何か悪い事をしたわけではないじゃないか!」
「戦争や歴史の問題は私も同じ中国人として許せないこと。でもそれを小松個人に押し付けるのは間違った行為ではないか?」
こういった意見論争が俺のブログのコメント上で交わされ始めたのだ。
中には非常に熱いコメントの応酬なども含まれていたしその光景を見ているのは複雑で微妙な気持ちだった。
同時に多くの人たちの暖かさを感じたし、自分の祖先や国同士が巻き起こしてきた様々な問題に自分自身も向き合っていかなければならないのだと生まれて初めて強く痛感したのだ。
「もしかしたら俺はこういう思いを感じる取る為に今まで頑張ってきたのかもしれないな・・・」
そう考えるとそれまではあくまで個人としてオーディションに乗り込み頑張り続けてきていたつもりだった俺はあの頃から少しずつ、でも確実に自分以外の何かの思いを感じながらオーディションに挑むようになったのだ。
「一人でも俺を応援してくれる人がいるのならその人達に自分の歩く姿を見せ続けたい!」
114:ついに4人へ!
全国大会の上位35人が決まると次のオーディションで用意されていたステージは団体戦による地区対抗戦であった。
7地区に分かれてそれぞれチームとして1曲を歌い、その後全ての地区から一人ずつ落選者が出るというルールだった。
勿論この時の落選者を決めるのは今までの全国大会同様テレビ視聴者が送る携帯のショートメール総得票数の大小である。
日本人の俺がこの時点でまだ勝ち残れていただけでも既に奇跡的な事だった。
俺はもういつ落選してもおかしくない。
少なくてもあの時もそういう気持ちを持ってオーディションに臨んでいた。
加油!好男児は上海のテレビ局が主催しているオーディション番組だったから7つの地区の中でも上海地区は特に人気が高かった。
その中でもこの時点でトップ5に残っている選手は皆それぞれかなりの人気者であったし、俺にとってその5人の中で争う事は容易な事ではなかった。
だからこそこの時のオーディションで俺は落ちるかもしれないなとどこかで考えながら歌を歌い終える事になる。
前回のオーディション同様歌を歌い終えると5人がステージに立たされ、その時点での各々得票数を司会者から順番に発表される事になる。
俺の得票数が発表されるのは4番目。
順番に発表されていく数字はそれまでに同じ審査を受けた他の地区の代表者たちよりも明らかに高い数字ばかり。
さすが上海の人気選手ばかりだ。
俺の前に呼ばれた3人が獲得した得票数はどれも相当な高得点ばかり。
「さすがに今回ばかりは厳しいかもしれないな・・・。」
そんな思いの中発表された俺の得票数は予想通りその時点で最も低い点数だった。
5人目の選手の発表を待つ間、俺は落選を覚悟した。
次の瞬間会場はどよめく事になる。
なんと合格したのは5番目の選手ではなく俺の方だったのだ。
その時の会場に来ていた彼のファン達の悲痛な叫びや彼の表情、そして他の上海代表の3人の寂しそうな表情を見ると俺は喜ぶに喜べずにいた。
俺が落選する事を期待していた人間もきっと多くいただろうな・・・。
そう考えると何だか複雑な思いだった。
115:杭州地区代表との対抗戦
各地区のトップ4が出揃った後、俺はまだその中に残っていた。
ネットのコメント上では落ちた選手のファン達からの俺に対する誹謗中傷が止まなかった。
俺以外にも勝ち残った選手の中には大なり小なり似たような思いをした選手もいたけれど反日感情を含めた様々なうっぷんをぶつける対象としては俺は特に的にされやすかったに違いない。
勝っても地獄、負けても地獄・・・。
絶望にも似た極限の俺の精神を唯一繋ぎ止めたものは他でもない俺を応援し続けてくれる中国人たちの言葉やコメントの数々だった。
「こうして応援して背中を押してくれる人達がいる限り俺は最後まで諦めちゃいけない。」
その思いの中俺は28人残った選手の中から一気に半分の14人が落選する事になるオーディションに臨む事になった。
今回のオーディションのルールは地区代表4人対他地区代表4人のサドンデス形式による地区対抗戦。
上海地区は人気地区の杭州地区の代表4人と争う事になった。
上手くいけば上海の代表4人は全員が勝ち残れるかもしれない。
でもそれは逆に4人全員が落選する可能性も秘めたルールだという事だった。
サドンデス形式だから誰か一人が勝ち残りを決めた瞬間、もう一方の地区の誰かが落選するということ。
第一の歌の審査を終えた後発表されたチーム同士の総得票数は上海チームが杭州チームを上回った。
この時点で杭州代表の4人の中で最も獲得得票数が少なかった1名が落選する。
同時に上海代表で最も得票数を獲得した1名が勝ち残りを決めた。
俺はその1名には選ばれなかったから必然的に続いての審査に挑まなければならなかった。
会場で繰り広げられるファン同士の異様なまでに興奮した凄まじいばかりの声援と応援合戦の応酬の中、俺は今までのオーディションで初めて自分のファン達に向けて手を振りながら続いての審査に挑む事になる。
そういった派手なパフォーマンスをあまり好まない俺が自分でも自然とああいった行為に及んだのは自分でも正直ビックリだった。
今まで応援して支え続けてくれた俺のファン達に何か感謝を伝えたい。
そう思うとあのタイミングで自然とファン達に向けて手を振っていたのだろう。
もしかしたらこれがみんなとの最後の時間になるかもしれない・・・。
冷めやらない大興奮状態の会場の中、次の審査がスタートした。
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