181:ジミーとの再会と夢の拡大

 

納豆のイメージキャラクターやファンミーティングの実施から少しだけ遡る2009年12月。

 

俺はたまたま自身が監督や制作を務める映画の撮影で上海を訪れていたジミーと再会を果たす事になる。

 

ジミーは台湾で制作会社を立ち上げタレントとしての活動をする一方で社長になっていたのだ。

 

しかもその会社で撮る事になった1本目の映画の監督は彼自身が務めていた。

 

ジミーは本当に凄いヤツだ!

 

追いかけても追いかけてもどんどんと俺の遥か先へ行ってしまう。

 

香港の大スターであり大監督でもある父親のサモハンキンポーの背中を見て育ち、そしてその後ろ姿を追いかけ続けている彼の行動力や思考、情熱はとにかくいつも見習う事ばかりで、その圧倒的な存在感には親友でありながら敬服の意さえ覚えてしまうのだ。

 

そんなジミーが上海を訪れた際、映画の撮影の合間に何度か忙しい時間を縫って俺に会いに来てくれた事があった。

 

当然お互いの近況や状況報告、思い出話なんかもたっぷりしたし、その中で俺はシルバーアクセサリーGIGORのショップを出したいと考えている自分の思考を彼に伝えてみた。

 

次の瞬間、彼は俺がそれまで考えもしなかったような凄いアイディアを俺に話してくるではないか。

 

「ショップ出すのもいいかもしれないけど上海は家賃も高いだろうし、最初は固定のお客さんもいないだろうからたぶんその時期は直接投資の期間になるだろうし、資金が莫大にかかるよ。それにショップを一店出したとしても、1店舗だけでの売り上げなんかはきっとたかが知れているわけだし、ビジネスとしてもっと沢山の場所で売れるように出来るアイディアを考えてみたら?」

 

ジミーは俺に「販売」から「商売」への発想へと視点を移してみる事を提言してきたのだ。

 

それまでの俺はお店を出してそこで商品を販売するぐらいの小さな発想しかなかったからジミーから言われた一言は本当に目から鱗が落ちる思いだったし、どうせやるのならば自分の限界を最初から決めつけないで大きな事にチャレンジしてみようと思った。

 

でもビジネスをしてみようなどと生まれてこのかた考えた事もない俺はどこからどう何を始めれば良いのかさっぱり分からなかった。

 

だから一度自分の頭の中を整理し、今までに使った事のないほど脳みそをフル回転させて「販売」ではなく「商売」として出来得ることを考えてみた。

 

その時に思い付いたのがより多くの人を惹きつける事の出来る商品の開発と話題性という2点の重要性だった。

 

それを1つのアイディアで一気に補う方法がある。

 

中華圏で有名なアーティストとデザイナーGIGORとでコラボレーションしてもらい共同の作品を作る事だ!

 

アイディアが浮かぶと俺は再びジミーへと電話をかける事になる。

 

 

 

182:ヴァネスとのコラボレーション

 

ジミーが映画の撮影で上海を訪れ滞在をしていた2010年1月。

 

台湾から撮影スタッフや映画のキャストを携え、ジミーはその真ん中の監督兼役者という立場で撮影に臨んでいた。

 

そんな忙しい時間の合間を縫って俺に会いに来てくれたジミーからビジネスを展開する提言を受けた数日後、俺は自分に思い浮かんだあるアイディアを彼に伝える為ジミーに電話をする事になる。

 

「今日の撮影は何時までかかるの?遅くなっても構わないからジミー君に時間があるなら会って話がしたいんだけど?」

 

彼は快くそれを快諾してくれたし、夕食をキャスト陣と一緒に食べる席までセッティングしてくれた。

 

そうして夕食の時間がやって来ると俺はジミーをはじめ、台湾の有名人達が揃う夕食のテーブルに一緒につく事が出来た。

 

事前にどんな役者が映画に参加をしているのかはジミーから聞いていたから俺にとってはまさにその時間が勝負となった。

 

俺の目的は中華圏全土でビッグアーティストとして活躍するヴァネスウーにGIGORの作品を見せ、もしその反応が悪くないようなら彼にGIGORと一緒に共同でデザインしたコラボ作品を作ってみないか?と聞いてみる事だった。

 

だから俺自身の愛用していたGIGORのアクセサリーは当然全て携帯して出掛けたし、その他にノートパソコンを持っていって彼にGIGORのHPを見てもらい世界観を共有してもらった。

 

もともとヴァネスとは台湾で俺がアーティスト活動をしていた時期に何度か食事をしたりするなどの交流があったし、久々の再会ではあったものの彼の性格を全く知らないわけではなかったから彼だったらGIGORの作品を気に入るんじゃないか?という思いもあったし、その上で俺の話に乗ってきてくれる可能性があるのではないか?という願いもあった。

 

その思いは通じる事となり、彼はGIGORと一緒に作品を作る事を快諾してくれたのだ。

 

俺にとっては本当に大きな大きな飛躍であった。

 

ヴァネスがGIGORと作品を出してくれるという事は中国で誰かに話をする上でも本当に大きなインパクトに繋がるし、今はまだ中国で無名のGIGORを展開していく上でも非常に大きな助けになるはずだ。

 

ジミーの協力のもと、俺はヴァネスとGIGORにコラボレーションしてもらい、二人の共同の作品を世の中に生み出すという実現に一歩近づいたのだ。

 

彼らへの深い感謝と体の底からとめどなく満ち溢れてくるエネルギーと希望が俺をこの先も急スピードで突き動かしていく事になる。

 

次は台湾へ出発だ!

 

 

 

 

183:7年振りの台湾

 

ヴァネスがGIGORとコラボレーションしても良いと返答してくれてから間もなくして俺はその実現の為、台湾を訪れる事を決意する。

 

国際的に活躍し超多忙なヴァネスとコラボレーションするという作業が非常にハードルが高い事を俺はよく理解していたし、関係しているみんなの気持ちが覚めないうちに絶対に実現へと結び付けたかった。

 

ヴァネスは常に世界中を飛び回って仕事をしているし、俺は普段上海にいる。何よりデザイナーGIGORは日本にいるわけだし、この3人のスケジュールを合わせてどこかで一度話し合わないと計画自体が前に進むわけはない。

 

だからヴァネスが台湾に滞在している2010年2月に照準を合わせて俺はGIGORに台湾へ飛んでもらえるようお願いし、俺はそれに先立って7年振りとなる台湾へと出発した。

 

7年振りの台湾はすっかり綺麗でオシャレな街へと変化を遂げ、その様子は東京に近い印象を感じた。

 

ファッションやサービスなども以前よりも更に洗練され、まさに国際都市と呼ぶにふさわしい変貌をしていたのだ。

 

15年前に初めて訪れた台湾の変化を段階的に見てきた俺にとってその変化の様子と光景はまさに俺が今生活をしている上海という街の変化にそっくりで、何だか非常に不思議な感覚を覚える事がある。

 

上海と台北は街の変化や変わり方に多くの共通点があるのだ。

 

現在の上海はまさに数年前の台北の変化にそっくりだし、例えば上海で何かが流行るとしてその何かが一体どんなものなのか?という事がある程度容易に想像がついてしまうのは俺が台北を見てきたからだろう。

 

でも実は台北という街の変化は俺がずっと子供の頃から見続けてきた東京という街の変化にそっくりだという事を皆さんは知っているだろうか?

 

台北の変化が東京の数年前の様子を生き写すように変化をしているとすれば、上海はそれを経由してまた数年遅れて同じような変化をたどっている。

 

当然全てが同じというわけではないから日本人がこういった視点を各都市でビジネスに活かそうと思った場合はローカルの人の心理や生の生きた情報を吟味するなど様々な角度からのマーケティングは必要不可欠だろう。

 

俺にとってこれらの「変化」を実体験として知っているという経験値は恐らく非常に強力な強みだろうし、当然この経験は今後の人生で武器へと変えていきたいと思っている。

 

とにかく2010年2月に再び訪れる事になった台北は15年前に初めて留学で訪れた当時の面影をほとんど残す事なく変わってしまっていた。

 

それは嬉しくもあり、同時にどこか寂しくもある事なのだが・・・。

 

 

 

184:GIGORとヴァネスの出会い

 

7年振りの台湾に着いて3日が過ぎたあの日、デザイナーのGIGORがついに台北に到着した。

 

忙しい時間の中、ヴァネスに会う為だけにGIGORは2泊3日の強行スケジュールの中台湾を訪れてくれたのだ。

 

彼を連れて初日は台北市内のあちこちのオシャレなスポットやお店回りをして台北の現状を見てもらい、台北という土地の文化や空気を感じてもらった。

 

GIGORはさすがデザイナーと思わせる感性をここで十分に感じさせてくれ、初めて見て回る全てのものに興味を示し、それらの着目点や捉え方も明らかに一般人とは違う反応を俺に見せてくれたし、俺はその様子を見ているとGIGORに台湾へ飛んできてもらって正解だったと改めて強く感じる事になる。

 

そしてヴァネスとのコラボが仮に本格的に実現した場合はきっと物凄い素敵な作品が出来るのだろうとこの時点から心が弾む予感を覚えた。

 

そうして迎えたヴァネスとGIGORの初対面の瞬間。

 

俺にとっては物凄い緊張の瞬間だったがヴァネスもGIGORも落ち着いた様子で話をはじめ、会話は非常に和やかな状況で進んでいく。

 

実際に会って話し合ってもらった事で二人ともお互いにより強い興味を持ってくれたようで話は面白いように前向きに進んでいき、結果として二人は本格的に一緒にコラボレーションする事が正式に決まったのだ。

 

更に大まかなデザインのイメージを伝え合う作業までこの時話し合う事が出来、こうして2010年12月24日に発売する事となった二人の共同作品への第一歩は始まったのだ。

 

二人のコラボレーションは俺にとって実業家として最高の駆け出しに繋がったし、このプロデュースに関われた事が始まりとなってそれまでの人生で俺にとって未知の世界であった起業やビジネスという世界がグッと近くなったのだと思う。

 

結果として俺は2010年の夏にGIGOR商品を販売する為に自分で会社を設立する事になったし、小さな小さな会社とは言え経営者という肩書きを待つようになっていくのだ。

 

過酷な人生を歩んだ09年が明けたばかりの2010年。

 

俺は明らかに今までの人生を歩く方向やスピードを大幅に変えて、それまでの人生では考えた事すらなかった会社経営という道を模索し始める。

 

現在でもまだまだ駆けだしたばかりで課題ばかりが山積みの毎日だが、それでも俺は新たな人生に足を踏み出しトライし続けている事に大きな喜びや感動を感じているし、何より今までの人生で一番幸せを感じられる日々は至福の充足感に繋がっている。

 

この幸せを与えてくれている全ての人々にこの場を借りて感謝を伝えたい。

 

ありがとう!

 

 

 

185:上海万博の開幕式に出れる事になってしまった

 

GIGORとヴァネスのコラボレーション企画が本格的にスタートし、上海に戻ってファンミーティングを行うなど芸能の仕事も回復の兆しを見せ始めていた2010年3月後半。

 

ある日俺に信じられないような一本の電話が入る。

 

「上海万博の開幕式エキシビジョンに出演してほしい!」

 

SMG(上海メディアグループ)の上海万博開幕式のプロジェクト担当者からの直接の電話だった。

 

国際都市を世界にアピールする為にも上海万博は国が威信をかけて取り組んでいる大型のプロジェクトだったから、その中に外国人が出演するという事は中国にとっても大きな意味があったのだろう。

 

日本人として上海で活動してきた俺にその白羽の矢が立ったわけだ。

 

俺は他の中国人アーティストや海外アーティスト7人の中に抜擢されて共同で万博のテーマソングの1つ「Better City Better Life」を歌う事になるのだ。

 

あまりに大きな仕事の依頼にビックリし過ぎてしまって最初はなかなかその状況を信じる事が出来なかった。

 

でもリハーサルの為にまだ関係者以外は立ち入る事さえ許されていなかった開幕前の万博会場に足を初めて踏み入れたあの日、俺はようやくその事態の大きさや責任に身を引き締める事になる。

 

あの当時の万博会場は厳戒態勢だったし警備やセキュリティも異常なほど厳しかった。

 

リハーサル現場も中国に来て以来未だかつて仕事の現場で感じた事のないほどピリピリした緊張感を覚えたし、とにかく物凄いイベントに参加をするんだなという事実に武者震いが止まらなかったほどであった。

 

会場内では写真を撮る事は一切禁止され、万博開幕式に関しての情報はブログやネット上で公にしてはいけないという誓約書まで書かされた。

 

4月に入るとリハーサルの回数は徐々に増え、こんなにも入念に練習をするのか?と感じてしまうほど毎日拘束される事になった。

 

忘れもしない。

 

そうして訪れた2010年4月30日。

 

俺は谷村新司さん以外では日本人で唯一のイベントパフォーマーとして上海万博開幕式の開幕ステージに立つ事となったのだ。

 

07年から上海で活動を始めるようになった俺にとってこれほどの名誉を感じる瞬間はなかっただろう。

 

俺は1万人の観客を前に全国放送され、世界中が注目を一点に集めた上海万博開幕式のあのステージで歌を歌ったのだ。

 

「上海万博で何かしら芸能の仕事に携われたら嬉しいなぁ。」

 

それは俺にとって数年来の大きな目標だったからまさかそれがこんな形で夢が叶ってしまうなんて本当に信じられない出来事だった。

 

 

前の記事

上海で独立を決めてリスタート

次の記事

上海万博での様々な仕事