26:どうにか自分を変えたかった

 

仕事のない日々が続いた。

欲しくて仕方ないドラマや映画への出演機会もない。

 

オーディションに行ってもいつも落選ばかりで次に繋がる事がなかった。

普通の人なら何故自分が上手くいかないのか?

何故いつも失敗するのか?

 

この点を顧みて対策を練るなり分析してみるなりしてそこに努力を加えて前進するのだろう。

でもオレは違った・・・。

 

俺は一回一回のオーディションをただ受けては結果を待ち、また受けては結果を待つという単純な流れ作業を繰り返すだけだった。

 

当然努力や新しいアイディアを加えるなどの変化を加えなかった俺に待っているのはいつも失敗と落選という結果だけ。

 

数撃てば当たる!なんてよく言うけれどそれは技術的、専門的要素が必要なジャンルに関しては最低限のスキルがありきの話である。

自分のスキルアップを目指す事なくただおいしい思いだけをしようと考えていた当時の俺には到底成功を手にするチャンスは訪れるわけもなかった。

 

しかも厄介な事に努力しない事がスタンダードになってしまっている自分や努力をすると非常に疲れてしまいどうしても長続きしない自分があの時期は癖になっていた。

それに努力と言っても具体的に何をどうすれば良いのか?

実のところそれもよく分かっていなかった。

 

今考えれば当然芝居をやりたいなら芝居が出来る環境にまずは最低限身を置くべきだし、そういう活動を行う事に平行して事務所のマネージャーや自分の身の回りの人たちに自分という人間を最大限アピールして関係構築をする。

こういった事が必要だとすぐに思いつくし実戦する行動力もある。

でもあの時の俺にはどうしてもそんな簡単な事が出来なかったんだよなぁ・・・。

俺はその中で苦しんだ。

 

正直自分の毎日がうんざりだったし自分が毎日向き合う現実が悲しくて辛くて仕方なかったしどうしても変わりたかった。

1つの事に特化した努力はしていなかった当時の俺だけど、そんな状況下で実は毎日毎日苦しみもがいていた。

 

でもはっきりとフォーカスされていない曖昧な考えの中遠すぎてぼやけてしまっているゴールを目指して努力をしてもゴールに行きつくはずはなかったし、努力していた内容もてんでバラバラ。

 

あまりに効率が分散してしまっていて結果が出るまで非常に時間のかかる道を選んでしまっているという事に自分自身気が付いていなかった。

努力をするのは決して悪い事ではない!

 

でも努力する中身を自分自身が上手く把握出来ていなければその努力は成功に変わる確率を大幅に落とす事になるのだ。

頑張っているはずなのに上手くいかない→結果として精神的にまいってしまう。

これが10年以上もの間俺が繰り返してしまった「成功を勝ち取る事の出来なかった」構図だ。

 

 

27:ジミーと音楽との出会い

 

デビュー作となったドラマ女医の撮影を終えて以来次の仕事にも恵まれず芸能界が一筋縄で駆けあがれる場所ではないのだという事を肌で実感するようになっていった20代前半のオレ。

仕事が欲しくても手に入らない状態というのは精神的に楽な事ではなかった。

 

オーディションを受けては落ち続ける日々や次の仕事のチャンスが一体いつ訪れるのかさっぱり見当がつかない中で頑張り続けなければならないプレッシャーの日々は俺をどんどん弱らせるばかりとなっていく。

 

そんな中俺は一人の人物との出会いによって急激に音楽にハマっていく事になる。

彼との出会いは俺の人生にとって本当に大きな1つのきっかけとなった。

 

香港の大スターであり有名な映画監督でもあるサモハンキンポーの二男ジミーとの出会いだ。

現在タレントとしてだけでなく映画製作会社の社長としても台湾を中心に活躍しているジミー。

 

カナダ育ちで英語と広東語を自在にこなすバイリンガルだった彼はあの当時日本に語学留学をしていた。(現在は北京語、日本語も完璧に使いこなす)

 

彼と知り合ったのはたまたま彼が俺と同じ芸能事務所で預かりの身となった事がきっかけだったのだが彼とはお互い留学という接点があった事や性格的にウマが合った事もあり最初から妙に仲良くなる事が出来た。

 

俺の2つ年上の彼は語学だけでなく人間としても非常に素晴らしい人間で誰に対しても非常に紳士的な態度で明るく真っ直ぐで何より優しかった。

誰からも好かれるジミーの存在は俺から見ても本当に眩しかったし、そんな彼と一緒にいる時間は俺にとって大きな刺激となっていく。

 

後にコーラスグループのTensionとして台湾を中心に歌手として絶大な人気を博す事になる彼は音楽が大好きで歌が非常に上手かった。

そんな彼と毎日のように一緒にいるようになったあの日々は俺をどんどん音楽の世界へ引き込んでいく事になる。

 

 

28:ジミーとの出会いが変えた俺の新しい生き方

 

香港の大スター、サモハンキンポーの二男であるジミーとの出会いは俺へ本当に多くの影響と刺激を与えてくれた。

カナダ育ちの香港人であるジミーは昔から自由奔放だけど自分という核や芯をしっかりと持ったいつも笑顔に溢れて周りの人間を自分の世界やペースに引き込む魅力を持ったスーパーマンみたいなヤツだった。

 

顔は一見そこまでハンサムという感じではないんだけどその表情は自信と優しさに溢れ日本人にはないオーラやスマートな格好良さがあった。

 

スポーツもあらゆる分野に精通し、よく色んなスポーツで俺とも競い合ったものだが運動神経に自信がある俺でもバドミントン以外の競技は彼に勝てた試しがない。

 

誰に対しても優しく丁寧で、頭の回転が非常に早くユーモアあって会話も面白かった。

当然女の子には相当モテていたし同性からの人気も非常に高かった。

 

そして当時まだデビューこそしていなかったが音楽をずっとやっていた彼は歌がとにかく上手だったし非常に素敵な声の持ち主でもあった。

 

今まで色んな芸能人や凄い人達とも知り合ったり触れ合ってきたけどジミーはその中でも格別な存在感を持った本当に凄いヤツだ。

 

そんな彼と毎日一緒にいるようになり始めた事は今考えても本当に大きな出来事だった。

あいつがいたから俺は音楽に興味を持ち出し音楽を始める事にもなったし、一緒にギターも始めた。

 

人生で初めて自分たちの曲を作曲したり詞も書いてみた。

 

あいつとの毎日は音楽だけじゃなくて新しい世界や新しい価値観、考え方など色んな発見を俺に見せて教えてくれた。

 

今でも深い交流のあるジミーとの出会いは間違いなく俺の人生を語る上でなくてはならないものだ。

 

 

29:生まれて初めて作った歌

 

俺が生まれて初めて自分自身で作曲したのはジミーの影響だった。

好奇心旺盛なジミーは一緒のタイミングでギターを習い出すとみるみるギターが上達したし、しまいには曲まで自分で作ってしまった。

 

彼と一緒にいる事は俺にとって常に刺激だったし良い意味でプレッシャーも与えてもらっていた。

 

ただでさえ何を競っても俺より上手くこなしてしまうジミーの存在は俺にとって本当に大きかったから俺はジミーに密かにライバル心を頂いていたし、同じタイミングでギターを始めたばかりのジミーにギターでは負けたくなかった。

だから彼がギターを触り出してまだ間もない頃に曲を1つ完成させてしまった時は本当に驚いたし焦った。

当時の俺にとっては何事を行うにしても自分にとって「物事の順序」というものが非常に大事だったから

 

例えばギターの場合、ある程度基本的な事が出来るレベルになってから初めて作曲にチャレンジしてみる。

そんな漠然とした自分の中のステップアップの構図やルール、考え方があった。

 

でもジミーは違った。

ギターが上手いか下手かは別として作曲したいなら作曲しちゃえ!

そんなノリであっという間に作曲をしてしまったのだ。

 

彼は何か行動を起こす時に別に何も考えていないわけではない!

むしろ考え方が深く非常に色んな事に神経を配りながら行動している一面もある。

 

ただ頭で考え過ぎてしまった挙句、結果アクションを起こせないという類の愚行を彼は行わない。

彼は頭で考えるのと同時に必ず行動を起こしてしまうタイプの人間なのだ。

 

俺にはない魅力や行動力を持ったジミーが俺にはいつも眩しかったし、そんな彼に負けたくないと作曲すら元々は彼に釣られるように俺は始めるわけだ。

 

今その時の曲を聴いてみると非常に恥ずかしくなってしまうのだが、でもあの一歩があったからこそ次の一歩に繋がったわけだし作曲を始めたことは俺の人生をほんのちょっとだけ変えていくきっかけとなった気がする。

 

 

30:電波少年のパンヤオの企画は元々俺とジミーから始まれた

 

みんな「電波少年」を覚えてるかな?

番組内で猿岩石やドロンズが世界中を旅して話題になったコーナーがあったの覚えてる人少なくないと思う。

 

その猿岩石、ドロンズに続いて次に世界を旅したのが「パンヤオ」っていう役者の伊藤君と香港人のチューヤンの2人組だったわけだけど、実はあの企画俺とジミーからスタートした企画だったんだよね。(笑)

 

そもそも当時の俺の所属事務所の社長が作った企画だったんだけど、日本人同士で旅をするよりも外国人同士で旅をしてみるっていう方が面白いんじゃないか?っていう内容の売り込みを当時の番組プロデューサーに持ち掛けたところ

 

結果的に俺とジミーがその人選に選ばれる事はなかったんだけど企画だけは採用され、後日見事パンヤオが登場する事になった。

 

一人の視聴者として電波少年は個人的に好きだったしパンヤオが旅をしているコーナーも大好きだった。

でも俺は今でもジミーと二人であの番組を通して旅をしなくて良かったと思っている。

 

俺達二人は世界をテレビ番組の企画を通して回るよりも日常の中で一緒に音楽を楽しんだり遊んだりする方がきっとお互い性に合っていた。

それにジミーはあの当時将来の事で非常に悩んでいた。

 

すでにある程度日本語をマスターしてしまっていた彼は引き続き日本に滞在して語学勉強を続けるか将来を見据えて香港か台湾で芸能活動を始めるかを迷っていたのだ。

 

俺は彼を応援したい気持ちが強かったが毎日のようにずっと一緒に過ごしてきた大親友が日本を離れてしまうのは非常に複雑な思いもあった。

 

結果ジミーはパンヤオの二人が電波少年で活躍するようになり始めて間もない時期に日本を離れ本格的に芸能活動を海外で始める道を選ぶ事になるのだが、それは俺にとって非常に切ない別れでもあった。

 

ジミーが俺の傍からいなくなりどれだけジミーの存在が自分の中で大きかったかを俺は再確認する事になる。

 

 

 

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