106:全国大会の始まりと宿舎生活
上海6強に残ったオーディションを終えた後すぐに荷物をまとめて俺は番組が用意した宿舎に移った。
あの日から全ての出演者、スタッフたちと共に同じ空間で過ごさねばならなくなった。
オーディションが始まってからというもの1日の大半の時間をオーディションの為に使ってきた俺にとって毎日帰宅後の唯一自由に使えた限られた少ない時間は自分の考えや精神面を調整する非常に貴重な時間だった。
だが宿舎では他の選手と2人で部屋をシェアする事になったし、時には朝起きた瞬間からテレビカメラが部屋に侵入してきて突撃レポートをしてきたりスタッフから急な呼び出しがあったりと完全に24時間いつでも気を抜く事の出来ない環境に身を置く事になってしまった。
こういった環境に身を置く事自体にはある種の覚悟が出来ていた俺だったが心配だったのはこの生活の始まりが今後の自分のオーディションに恐らくもたらすであろうマイナス要因だった。
今までのオーディションでも毎回必須審査である歌の項目はあくまで個人のノルマなので全体練習やレッスンの時はそれに伴う練習などほぼ皆無に等しかった。
だが一日の拘束時間の中で全体レッスンなどに費やされる時間はかなりの長時間に及んだから個人のノルマである歌を覚える時間は大抵の場合家に帰宅してからというパターンが6強に入る以前までの俺の生活スタイルだった。
だが6強入りして以降深夜に全ての練習を終え宿舎に戻ってもその時はルームメイトがいて自分の世界に没頭するにも困難な面が多くなった。
疲れて帰ってお互いどちらも早く休んだり自分の時間を少しでも作りたい心境の中シャワーや洗面所を使用するにも二人の間で順序を決めてシェアし合わなければならなかった。
部屋にルームメイトがいる状態で歌を練習しようにも彼の眠りを妨げてしまったり彼の邪魔にならないよう気を遣ったしいつも小声でしか歌を歌えなくなった。
事実この頃から更に俺は中国語の歌を覚えるスピードが鈍化していくのだ。
俺は本来いつでも自信を持って挑まねば到底受かるはずのないオーディションという舞台にいつも自信なく挑み続ける矛盾と葛藤の中、上海5強を決めるオーディションを迎えようとしていた。
107:全国大会は杭州地区から
ついに日替わりでオーディション全国大会がスタートした。
初日にオーディションに臨んだのは杭州のチーム。
6人残った参加者の中から1人だけが落選して杭州のトップ5が決まる事になる。
同時にこの日、杭州地区のチャンピオンも決定するのだ。
上海地区で参加をしていた俺はこの様子を同じ会場の客席から眺める事になった。
会場には千人に及ぶ彼らのファン達が中国各地から彼らを応援する為だけに集まり、異常なほどの熱気と興奮に辺りを包んでいた。
会場の観客の盛り上がりや興奮は司会者がマイクを通して喋っている声を度々掻き消してしまうほどの凄まじさで、自分の好きな選手の応援の為に手作りで作ってきた選手の顔写真入りのポスターやうちわを持って参加者6人それぞれの応援団が自分の応援する選手こそNo1なのだと絶叫しながら応援合戦を応酬している。
今まで数多くのアーティストのコンサートを見に行っている俺だが未だかつて加油!好男児のオーディション会場ほど異常とも言える熱狂ぶりを俺は体感した事がない。
俺はその様子を羨望と緊張の面持ちで眺める事になる。
数日後には自分が同じステージで同じ境遇をたどる事になるのだ。
そしてオーディションはクライマックスへと突入する。
その日の全ての審査が終わりまずこの時点で落選する選手が告げられたのだ。
次の瞬間落選した選手の応援団はある者は大泣きしながら絶叫を繰り返し、ある者は怒声を審査員やステージへ向ける。
その隣ではトップ5を決めた選手の応援団の歓喜の声援が張り上がっている。
「全国大会の会場がこれほどまでに凄まじいものだとは・・・」
落選者が会場を退場した直後、今度は今まで約1か月に及んで行われてきた地区予選の杭州地区チャンピオンが発表される事になる。
全国大会からはテレビを見ているファンの携帯のショートメールによる投票数にて全てのジャッジが下される。
落ちる人間も受かる人間もテレビ画面下に表示されたリアルタイムに一目で分かるそれぞれの総得票数によって最後の審判を下される事になるのだ。
そうして残った5人の中から最終的に最も多くの投票を得た選手が杭州チャンピオンに決定した。
この一連の流れを3時間以上に渡ってずっと会場で見ていた俺にとってあの光景はまさに天国と地獄。
明日は我が身だな・・・。
興奮と期待、緊張とプレッシャーの入り混じった複雑な心境の中会場を後にする事になる。
108:初めて許可された日本語曲
杭州チームの5強が決まると翌日からも1週間毎日日替わりで他地区の5強を決めるオーディションが続いた。
地元上海地区のオーディションは最終日。
毎日勝ち残りを決めて喜ぶ選手と落選して落胆しながら荷物をまとめて宿舎を離れていく選手とを見続ける日々。
全国大会が始まってからというもの宿舎の周りやレッスン会場の周りにはいつも朝から晩まで大勢のファンが集まり選手がどこかに移動する度にタクシーで追っかけてきた。
こういった光景を目の当たりにしながら過ごす毎日は当然平静を保ってなどいられるわけもなく俺は次のオーディションを前に大分硬くなっていた気がする。
そんな状況の中、俺に1つの好材料が手に入った。
全国大会に突入した事がきっかけで今までは歌う事を許されなかった日本語の歌を歌って良いと直前で許可されたのだ。
オーディション本番まで残り数日というタイミングでの課題曲の変更だったが自信のない中国語曲をそのまま歌い続けるよりも遥かに気持ちが楽になったし自信を持ってオーディションに臨める事になった。
これがきっかけで俺はようやく自分らしさを取り戻す事が出来たのだ。
まさに水を得た魚だった。
日本語の歌いなれた歌で自信を持ってオーディションにチャレンジ出来るのならば自分の全てをぶつけられるだろう。
それで仮に落選するような事になったとしても中途半端にチャレンジをして後悔を残す事だけはないはずだ。
だったら自分の得意分野で思いっきり開き直ってアピールしてみようじゃないか!
大舞台を前に俺はかつてないほどクリアになった新鮮な気持ちの中全国大会の扉を開けたのだ。
109:中国語での演説にチャレンジ
加油!好男児のオーディション全国大会がスタートして上海地区以外の全ての6地区でそれぞれの地区トップ5とチャンピオンが選ばれた。
残すは上海地区のトップ5の選出とチャンピオンを決めるオーディションのみ。
この時点で6人残っていた参加者の中から落選するのはわずか1名のみ。
だがこの時点で勝ち残っていた全ての選手が人気選手ばかりである事。
そして番組の勝ち負けを決定するのは会場に来場している観客やテレビの目の前の視聴者による携帯のショートメールからの総得票数の大小だった事からこのルールが日本人の俺に必ずしも有利に働くとは限らなかった。
増してや今までの番組放送は上海ローカルだけでしか流される事がなかったがあの時のオーディションからは中国全国の地区でテレビ放送される事になった。
単純に番組を見ている人の絶対数は今までよりも格段に増えるわけだし全ての地域の中国人が日本人を好きとは限らないだろう。
それに純粋に中国人選手を応援したいと思う中国人が多いと考えるのが自然な話だ。
「もうここまで勝ち残れただけでも奇跡的な事かもしれないのだから今は開き直って頑張ろう!」
そう思って俺はオーディションに臨む。
第一の審査では日本語の歌を披露して審査員からも好評価を受ける。
得意な日本語でのアピールだったから久しぶりに歌で自分をアピールする事が出来た事にある種の満足感はあった。
だがオーディションは全ての審査を終えた時点で最終的に落選する1名が決定する形式だったから歌を歌い終えてもまだまだ気は抜けなかった。
続いての審査では各自1分間で自己アピールをしなければならない。
「花瓶」というテーマを与えられ俺は自分を花瓶になぞらえて中国語での演説をしなければならなかった。
つたない中国語しか話せない俺にとって今までのオーディションのどの審査よりも厳しい難関が訪れた。
演説しなければならない事やテーマは事前に番組側から伝えられていたから俺は予め予習して暗記しておいた中国語に感情を乗せて話す事に全神経を注いだ。
1000人のオーディエンスを目の前に緊張して頭が真っ白になり少しでもつまずいてしまえば時間内に喋り切れなくなるだろう。
当然その上でスピードも要求される。
それに演説という形での自己アピールを求められるわけだからただ話しきれば良いという事でもなかった。
そんな状況下で今までのどんな困難で緊張した場面よりも頭は冷静に、それでいて感情的に必死で覚えた中国語を一字一句間違えず俺は伝えきる事に成功する。
次の瞬間会場から大きな割れんばかりの拍手が会場に響いたのだ。
110:上海選抜の5人が決定
今までのどのオーディション審査よりも緊張し、プレッシャーを感じた中国語でのスピーチを俺は会場の観客を味方につけるという最高の結果で終える事が出来た。
俺以外の5人全員が中国人という状況下、中国語でのスピーチにおいて当然一番不利だったのはつたない中国語しか持たない俺だったろう。
でも俺はその逆境を撥ね退けてピンチをチャンスに変える事に成功したのだ。
そうして全ての選手が演説を終えると参加者は全てステージ上に集められる。
これからいよいよ上海代表となる5人が発表されるのだ。
一人ずつ順番に司会者から生放送中に全国の番組ファンからショートメールで届いた総得票数が発表されていく。
俺の得票数が読み上げられるのは3番目。
祈るような思いの中俺は自分の得票数が発表されるのを待った。
それまでの2人がかなり高い得票数だったから自分の得票数が読み上げられる瞬間が怖かった・・・。
次の瞬間その嫌な予感は見事に的中する事になる。
司会者から発表された俺の獲得した得票数は今までの参加者の中で最も低い数値だったのだ。
その瞬間会場に来ていた多くの俺のファンは悲痛にも似た叫び声を上げ始める。
同時に多くの中国人ファンからの「頑張れ!小松」というコールが一斉に上がり始める。
「日本人の俺をここまで本気で応援してくれるなんて・・・」
崖っぷちに立たされたあの状況で俺は感謝と感動で涙が出そうになるのを必死で堪えた。
そんな中4番目の選手の得票数が発表される。
次の瞬間、今度は彼のファン達が悲鳴を上げ始めた。
同時に俺のファン達は歓喜の声を張り上げる。
俺は4番目の選手よりも多くの得票数を集めていたのだ。
少なくてもこの時点で俺の落選はなくなった。
俺は上海のトップ5に選ばれる事に成功したのだ。
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