131:ファンミーティング

 

富士フイルムの平面広告撮影を終え、日本への一時帰国の日程が近付いてきた。

 

そして日本への帰国前日と迫ったあの日、予定されていたファンミーティングが開かれる。

 

場所は同楽坊と呼ばれるエリア内に当時所在した某クラブハウス。

 

 

集まってくれたファンは400人ほどだったろう。

 

加油!好男児のオーディションで俺の事を初めて知り、自然と応援を始めてくれ、オーディション中も最後まで俺を応援し続けてくれたファンのみんな。

 

彼らがいなければオーディション後も上海で所属事務所が見つかる事もなければ、広告の仕事を手に入れる事も出来なかっただろう。

 

だから俺に対して活路を開いてくれたみんなにどうしても日本を離れる前に一度感謝の気持ちを直接伝えたかった。

 

そんな思いの中、ファンミーティングはスタートするのだ。

 

オープニングではオーディション中に歌った事のある歌を歌いながら登場をし、ファンのみんなの声援の中歌を歌い終える。

 

その後も司会者がイベントを上手く進行してくれファンのみんなとの交流も円滑に進んでいく。

 

そして楽しかったイベントの時間があっという間に終わりに迫るとそこでもう一度歌を歌う事になった。

 

歌い始める前、俺はその日初めてオーディションを振り返った話題をファンのみんなに向けて語り出した。

 

「今はすっかりこんな暑い季節だけど最初に上海にやってきたばかりの4月頭の上海はまだまだ寒くて厚手の服しか持って来ていなかったんだよね。」

 

「あの頃は上海って街の色も景色も、人々の習慣なんかも全く分からなかったし、友達も知り合いさえいない状況下だったから本当に心細かったんだ。」

 

「当初はこんなに長く上海に滞在している自分を全く予想していなかったし、それ以上に今日集まってくれたみんなや、ここには来れなかった多くのファンのみんながいてくれるってこの現実を想像すら出来なかった。」

 

「オーディションに落選する時、中国に残るって話したけどみんな覚えてるかな?約束通り俺はこのまま上海に残ります。」

 

「みんなのお陰で所属事務所も決まったし広告の仕事も決まりました。」

 

「応援してくれるみんなにこの場を借りて心から感謝を伝えさせて下さい。」

 

「そしてオーディションで最後に歌ったこの歌を感謝を込めてもう一度ここで歌わせて下さい。」

 

「どうやって歩いていいか全く分からない状況下から始まった上海での生活でみんなと知り合えた事が俺に一つの道を示してくれました。」

 

「中国という新天地でも力強く進んでいきたいという願いを込めて歌います。」

 

「不知道方向(どこへ向かおうか分からない)」

 

 

 

132:オーディション後初めての日本

 

ファンミーティングを終えた翌日、俺は四ヶ月振りとなる日本に帰る事になった。

 

日本とは国柄事情や状況も全く異なる中国のテレビオーディションでまさか大フィーバーを巻き起こせるようになるなどとは思ってもいなかっただけにあまりに中身の濃い四ヶ月を過ごしたわけだ。

 

精神的な疲れやプレッシャーはかなりのものだったしそういった気持ちをリセットする為にも大きな意味のある帰国だった。

 

そうして久々に踏んだ日本の土地。

 

たったの四ヶ月しか不在にしていなかったのにも関わらず色んなものが何故かとてつもなく新鮮に感じた。

 

今まで東京の空気や水が綺麗だと思った事なんて一度もなかった俺が「東京ってこんなにも綺麗だったんだなぁ。」と思わず思ってしまうほど日本は美しく見えた。

 

事実、上海の空気や水は町中あちこちでビル建設やインフラ整備をしている都合もあり汚れている。

 

だがそういった物質的な状態以上にあの時の俺は日本を純粋に綺麗な場所だと思ったのだ。

 

その後も日本で経験出来る一つ一つの些細な事が全て愛しく感じ、感謝の気持ちで溢れたのだ。

 

家族や友人に当たり前のように会える事。

 

日本の食べ物を食べたり日本のものに触れられる事。
住み慣れた親しんだ環境で何不自由なく着の身着のまま過ごせる事。

 

上海に戻らなければならない日程が近付けば近付くほどその気持ちはより一層強いものに変わっていくようになる。

 

上海生活が5年目を迎えた現在でもそうなのだが毎回日本に帰国すると俺はいつもそのまま日本に滞在し続け上海に戻りたくなくなってしまう。

 

そのぐらい俺は日本が好きだし日本にいる方が何だかんだ言っても楽で居心地がいいし、日本の文化や人や街が大好きなのだ。

 

日本の食べ物を世界一おいしいと思うし、日本の物や製品の技術はとてつもなく優れていると実感させられるし、日本のサービスに至っては世界トップ基準だとさえ感じる。

 

日本を離れる時間が長くなればなるほど俺の日本に対する思いは強くなるし、その度日本を大好きなのだという自分に気づかされるのだ。

 

だからあの時の日本帰国をきっかけにして俺の日本を見る視点はどんどんと変わっていく事になっていく。

 

「俺を認めてくれた中国の人達にもっと俺が育った日本という国の素晴らしさを伝えたい。」

 

オーディション中頻繁に受けたネット上での誹謗中傷の数々。

 

その他現地で触れ合った中国人達の意外なまでに偏った日本や日本人へのイメージ。あるいはズレていると感じてならない日本観。

 

少なくてもそのギャップを埋めていきたい。

 

「俺は日本と中国という国をもっと身近な存在にしたい。」

 

中国に住むのにこれ以上ない目標を俺は掲げるようになっていくのだ。

 

 

 

133:幸運と不運という名の乗り物

 

07年夏。

 

加油!好男児オーディション全国20位に入り一躍上海で一番有名な日本人と呼ばれるようになってしまった当時の俺。

 

更にオーディション後も現地での所属事務所の決定や企業広告のイメージキャラクターに抜擢されるなど立て続けに良い事は続いた。

 

俺は07年に参加した中国でのオーディションを機に、それまでのテコ入れしても動かないような29年間の停滞と発展性のない人生からようやく脱却する事が出来たのだ。

 

「人生はたったの数か月である日突然自分を取り巻く環境や状態がガラっと変わってしまう事もある!」

 

少なくても俺はそれを体験した人間のうちの一人だ。

 

裏を返せば成功している人生の中でさえもいつどこに落とし穴が待っているか分からないという事でもある。

 

大事なのはそれを変に期待して待っていたりまたは危惧して憂う事なんかではなくて、良くも悪くも自分の人生が急激な変化をしてしまった時にそのステージ上で自分はどんな舵取りをして幸運、または不運という名の乗り物を乗りこなせるか?だろう。

 

幸運にせよ不運にせよそれが自分自身の身に降りかかった時、それを乗りこなしたり扱う能力がなければその幸運を更に活かしたり、不運からすぐに脱却するのはきっと難しいのではないだろうか?

 

例えるなら300kmのスーパーカーに乗る機会があったとして、そのスペックを最大限に活かして乗りこなせる人間が一体どのぐらいいるのか?という話に似ているのかもしれない。

 

300kmのマシンを上手く乗りこなせるのは世の中広しと言えど恐らくはトレーニングを積んでいる一部のプロのレーサー達だけだろう。

 

普段運転もしないようなペーパードライバーだったらもしかしたらそのパワーの凄さゆえに100km程度出しただけでも怖くてブレーキを踏み始めてしまったりアクセルをそれ以上踏み込むのを躊躇ってしまう事もある。

 

当然その時は3分の1しか自分が乗っているマシンの性能を引き出す事が出来ず、結果的に力を持て余し宝の持ち腐れをしてしまうのだ。

 

幸運と不運。

 

プラスにせよマイナスにせよ、その力が強大であればあるほどその力を自分がどの程度コントロール出来るのか?

 

これは非常に大事な事だ。

 

その力をもしある日突然手に入れてしまった時

 

確固たる信念や理念。

 

自分が向かいたい方向性やビジョンへの明確なフォーカス。

 

力が自分の手元にあって離れてしまわない間にどれだけ行動出来るか?というアクションと俊敏性。

 

こういったものを持っているか持っていないか。

 

実践出来るか出来ないかは成功と失敗の分かれ道でもあるように思う。

 

上記が全て伴っている人間にしか「長期に渡る成功」という結果はきっと待っていないのだろう。

 

当然、どういった力がいついかなる形で自分の身の上に起こるかという事を普段から考えて過ごすよりも、自分がどういった道をどのように歩きたいかという事を日頃から深く考えて追及したり行動をし、努力をしてトレーニングを怠らないという事が何より大事で、そして誰が言うまでもなくこれらの要素が成功には必要不可欠な鍵だという事は間違いない事実だろうが。

 

 

134:日本でも始めた営業活動

 

中国でのオーディション参加後、俺は本格的な上海での芸能活動を始める為、その準備期間として3週間余りを日本に帰国して過ごした。

 

その時にいくつかのテレビ局や雑誌社などに営業活動を行った経験がある。

 

だが営業先で会ってくれた大半の人の反応は非常に薄くて淡泊なものであった。

 

「ふ~ん。君中国で活動してるんだ?へえ~。」

 

「今は韓国の需要ならあるんだけど中国好きな日本人ってあんまりいないし中国に興味ある人ほとんどいないんだよね~。」

 

残念ながらそのどれもが中国など興味も眼中もなく、当然俺の中国での経歴など知った事ではないというような反応だったのだ。

 

少なくても上海で日系企業相手に営業をかけている時の方がよっぽどみんなが良い反応を示してくれたのは事実だし、日本と上海とではその反応にかなりの温度差があったのも事実だ。

 

今からたった4年前の07年夏。

 

少なくても俺の実体験から感じた日本のメディアに絡む人々の中国に対する反応は当時驚くぐらい冷ややかで、中国に対して興味があるという人はほとんどいなかったように思う。

 

一部の中国に対するネガティブな報道以外は・・・。

 

台湾や中国本土と10数年以上も前から密接な距離で付き合い、過ごしてきた俺にとって日本のメディアが中国に対してその反応を変え始めてきたなと感じ始めたのは北京オリンピックあたりからではないだろうか?

 

特にその流れが顕著になったのはサブプライム問題以降で、あの頃から明らかに中国へ興味を示すメディア関係者や報道が増え始めた。

 

中国国内のGDPは毎年急上昇中だし中国経済は日本経済にとってもなくてはならない存在と化しているのは周知の事実だろう。

 

同時に近年では日本国内でも至るところに変化が現れるようになり始め、たまに俺が中国から日本に戻ってくると東京の街中でさえ中国人観光客を多くみかけ、中国語があちこちから聞こえてきたり、中国人向けのサービスを提供しているレストランや家電量販店がスタンダードになっていく現象が増えていくのだ。

 

07年に俺がまだ日本を離れる前は確実に日本人の多くにとって中国や中国人は今ほど身近で気になる存在ではなかった。

 

現在33歳の俺が今まで生きてきて時代を見続けてきた中でこんなにも急速に日本メディアが中国に強い関心を示すようになっていく現象を目の当たりに出来るのは実はまだまだ最近の話なのである。

 

少なくても07年の夏。

 

俺の活動に興味や反応を示してくれたメディア関係者は自分が期待したほどは現れなかった。

 

 

 

 

135:中国へ本格進出

 

07年8月中旬。

 

俺は日本への一時帰国を終え、いよいよ本格的に上海に住む事になった。

 

新たなチャレンジの始まりであったし期待と希望に満ちた中で始めた中国生活のスタートだった。

 

中国に再び戻ってからの毎日は以前のオーディション期間中やその後の営業活動期間中とは大きく違う内容になっていく。

 

オーディションの最中はそもそも番組に朝から晩まで拘束され自由な時間など基本的にない中で過ごしたわけだし、営業活動をしていた時期もほとんど街中をゆっくりと見て回ったりする時間などなかった。

 

表面的に見える街並みや景色に対しての大雑把な上海の印象はあっても以前はおいしいレストランやオシャレなスポットをはじめ、上海に存在するその多くの実態を俺は知らない中で新たな生活をスタートさせる。

 

だから見るもの全てが新しかったし新鮮で発見に富んだ毎日を過ごせるようになっていく。

 

同時に上海に戻って以降の仕事もいたって順調だった。

 

次々と様々な仕事が決まっていったし、俺は17歳から足を踏み入れた芸能生活を29歳半ばにしてようやく初めて芸能の仕事だけで生活が成り立つように変わっていくのだ。

 

この事が俺にとってどれだけ大きくて素晴らしい変化だったか?当然そんな事は言うまでもない。

 

「人生は30歳からでも決して遅くない。30歳からでも自分にその気持ちと行動力があるならば必ず人生は変えていく事が出来るのだ。」

 

20代の大半の時間を無駄で生産性のない怠惰な暮らしの中過ごし、自分磨きを怠ってきた。

 

周りの同世代が結婚したりマイホームを購入したりして着実に人生のステップアップをしていく中、俺はそれをいつもはた目に羨望の眼差しで見続ける事しか出来ずにいた。

 

大学にも進学せず、一度の就職も経験のない社会人としては確実に未熟な俺が2011年現在、芸能人としての活動以外に自分で興した小さな小さな会社の経営者でもある。

 

今でも俺が人生の成功者になったとは到底言えないが、それでも30歳を目前にその環境だけでなく精神面でも意識改革を果たし、あらゆる変化を遂げていった事だけは間違いのない事実。

 

前述で述べた通り、30歳前までの俺はその経歴だけを見れば確実に社会の落ちこぼれだったわけだし、だからこそもし当時の俺と同じような状況や心理の中、悩む人たちがいるのならばその全ての方々に声を大にして訴えかけたい。

 

「人生は今からでも変えられる!」と・・・。

 

 

 

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