151:マネージャーの日本帰国

 

CDリリースやテレビ番組音楽物語In JapanへのレギュラーMC出演。

 

その他ねんこまの喋っChinaのネットラジオのレギュラー出演など次々と新たな出演機会にも恵まれ、俺の上海での芸能生活はまさに順風満帆だった。

 

07年に加油!好男児のテレビオーディションに参加をしてから1年も経たない間に俺にはこれだけの基盤が揃ったわけだ。

 

そんな状況も含めて07年からずっと同行してくれていた日本側所属事務所の上海人マネージャーは08年に入るとほとんどの時間を日本で過ごすようになり、4月になると完全に日本へと帰る事となった。

 

当然あの頃をきっかけとして俺は現地の中国側所属事務所と直にコンタクトを取る事が急激に増えたわけだし、その全てのコミュニケーションを中国語で行うようになっていく。

 

日本側のマネージャーは上海人だったが日本語も非常に堪能だし、仕事上やコミュニケーション上で何か問題がある時には必ず俺を助けてくれていたし、何より非常に熱意と行動力のある女性だったから上海での小松拓也の基礎を築いていく上で彼女の存在や貢献は間違いなく計り知れないものがあった。

 

そんな彼女の日本帰国はその後の活動に影響を及ぼしてしまうような感覚もあり不安だったが、俺自身にとっても人に頼らず自分を磨いていかなければいけない良い機会だったのだろう。

 

そう思うと上海で暮らす事に今まで以上の活力が湧いてきたし、これからはとにかく自分であらゆる事を勉強し、あらゆる事にチャレンジし、中国人を理解して中国の文化を肌で感じて学び、中国語の能力を更に磨きながらコミュニケーションをより円滑に出来るように取り組もうと感じてならなかった。

 

事実、マネージャーが日本へ帰国して以降、俺の意識やモチベーションは段階的にステップアップしていく事になる。

 

人に頼る姿勢や行動の前に自分自身を信じて自分を貫くという生き方を俺は本当の意味でどこまで徹して生きていただろうか?

 

当然大なり小なり人は誰かに頼って支え合いながら生きているものなんだろう。

 

でも自分の後ろにはいつでも崖があり、もし後ずさりしてしまったらこのまま崖の底に転落してしまうというような感覚の中、絶対に引き下がれない覚悟や意識を持って過ごしてきた時間は俺の人生には存在していなかった。

 

だからマネージャーが帰国してしまい、中国という場所に一人残された時に俺は初めて自分自身の人生は自分で切り開いていかなきゃいけないんだという強い信念を持つようになる。

 

心の真ん中に一本の折れない槍を抱えながら暮らし始めたのだ。

 

 

152:立て続けに決まったイメージキャラクターの仕事

 

自分のテレビ番組を持ち、ネットラジオのレギュラーも抱え、更にはあらゆるテレビ番組やイベントにも引っ張りだこの生活が続いた08年。

 

本当に何もかもが上手くいき過ぎて怖いぐらいだった。

 

17歳でスカウトをされ芸能界に飛び込んで以来、俺は10年以上を売れない役者、売れないタレントとして過ごしてきた。

 

以前は1つの大きな仕事やチャンスをやり終えてもその先に継続した成功は一度も待っていなかったし、その度に何度となく希望や夢や願いがへし折られ、現実という厳しい状況に目を向けさせられた。

 

だから中国であれだけ仕事に恵まれ順風満帆に人生が送れていても俺の中にはいつでも不安や安心しきれない感覚が恒常的に存在したし、だからこそゆとりのある今のうちにもっともっと自分を磨いていつか売れなくなる日が来た時にでもそこで戦える武器を手に入れなければいけないと焦っていた。

 

だがそんな俺の不安をよそに俺の元にはまだまだ沢山の幸運が舞い込んでくる。

 

PILOTのボールペンのイメージキャラクター。

 

そして人材派遣のヒューマンが経営し始めたばかりの日本語学校のイメージキャラクターに立て続けに抜擢されたのだ。

 

更にはフジフイルムのデジカメのイメージキャラクターの契約期限延長まで決定した。

 

イメージキャラクターではないがその他にマツダのテレビCMにも出演したし、北京や上海の地下鉄やバス、エレベーターの中に取り付けられているテレビモニターで専用に流れされるキリンビールの広告にも出演した。

 

同じように地下鉄やバスなどで流れる公共バスや地下鉄のPR広告にも起用された。

 

あの頃は俺の広告をあちこちで見る事が出来たし、自分自身でもその光景が不思議で仕方なかった。

 

少なくても一番仕事が順風満帆だったあの時期、俺は一度として自分の現状に満足した事はなかったし不安を覚えない日はなかった。

 

逆に売れれば売れるほどその不安は大きくなっていったし、それ以上にある葛藤とジレンマを抱えるようになる。

 

「俺は一体何者なんだろう・・・?」

 

 

153:何でも屋の俺

 

08年当時の小松拓也。

 

仕事の内容や仕事量だけで言えば恐らくはあの1年が俺にとっての全盛期であったと言えよう。

 

日常的なテレビやイベント出演の他に街中至るところで見かける事の出来た広告の数々。

 

街を歩いていても食事をしていてもサインを求められる事は日常茶飯事だったし、誰がどう見ても売れっ子のタレントであったろう。

 

実際毎日慌ただしく過ごしていたし、俺は単純に目の前にやってきた仕事をこなす事に精一杯で未来に向けて何かしらの投資を自分にかける余裕など全くなく生きていた。

 

実は今だから言えるが当時の俺は自分に対して全く自信がなかった。

 

核になる心の拠り所がなかった為である。

 

俺より歌の上手いヤツはいっぱいいるし芝居が上手いヤツも山ほどいる。

 

「もっともっと勉強して自分に自信をつけなくては・・・」

 

でも当時の俺には芝居や音楽の仕事よりもテレビのバラエティ出演やイベント出演などの方が圧倒的に多かったし生きていく為にはそういった仕事を受けていかないと生活が出来なかったし露出機会も作れなかった。

 

しかも本来自分の本意でないそういった仕事量が増える事は結果として音楽や芝居の勉強に費やせる

 

時間を消耗する事に繋がり、結果として俺は自分の意志とはかけ離れた生活の中日々を送る事になる。

 

そして俺は気付くのだ。

 

「あぁ・・・、結局今の俺は環境や形が変わっただけで日本にいた頃売れない役者をしながら日雇いのアルバイトでその日暮らしをしていたあの頃と何も変わっていないんだな・・・。」

 

売れない日本での役者時代。

 

俺はアルバイトで生活費を稼がなければ生活が出来ずにいた。

 

だがバイトに明け暮れて芝居や音楽の勉強を疎かにしていた時期は何1つとして目の前の状況は変わらなかったはずだ。

 

役者をやりたいなら最低限芝居を出来る環境に身を置かなきゃいけないし、音楽がやりたいなら音楽を毎日のライフスタイルにしなきゃならない。

 

あの頃の俺がバイトを理由にそういった自分への投資をどうしても疎かにしてしまっていた事と一緒で、上海で芸能の仕事で忙しかった俺は本来自分が一番やりたい音楽や芝居では需要を生めず、他の仕事を収入源として生きる生き方を選ばざるを得なかった。

 

目の前の「生きる為にお金を稼ぐ」という根本解決をする一方で「未来に向けての自己投資をしなければならない」という2つの問題を同時に考えていかなければならない。

 

それなのにあの頃の俺の生活の比重は完全に前者の「生きる為にお金を稼ぐ」という方向に偏っていた。

 

あの生活を変えない以上、俺はいつか自分の賞味期限が切れるだろうといつも怯えていた。

 

 

 

154:芝居がやりたいのに出来ないジレンマ

 

本来俺が仕事として選びたいのは役者であり歌手である。

 

これは昔も今も変わらぬ考えであり恐らく今後も変わらない自分のベーシックな考えだろう。

 

でも08年当時。

 

タレントとしては自分でも信じられないぐらい膨大な仕事量が入ってくるのに自分が本来一番やりたいはずの芝居や音楽の仕事が入って来ないというジレンマが生まれていた。

 

音楽はまだマシだったろう。

 

たまにイベントで歌手として参加する事があり歌を歌う機会に恵まれたからだった。

 

だが芝居の仕事は一切入る事はなかった。

 

日本のドラマや映画に置き換えて考えてみれば容易に考えが及ぶが、例えば1年間を通して外国人が出演する映画やドラマが一体どれだけあるだろう?

 

恐らくは皆無に近いし、外国人が主役クラスでフォーカスされる作品などはほとんどないと言っても過言ではない。

 

外国人がその国のドラマや映画に出演する機会があるとすれば、

 

①たまたまストーリーの中に外国人の役柄が登場する場合

②その外国人の為に脚本を書く段階から構成を考えてもらう場合

 

 

以上の2つしか基本的に外国人がその国の映画に出演出来る選択肢はないのではないだろうか?

 

①の場合は偶然性が強いし、しかもその役柄が果たして魅力的な役柄か?というとなかなかその可能性が低い事が多いだろう。

 

しかもその役に必ずしも自分が抜擢される可能性があるかというと実際はチャンスが小さいのではないだろうか?

 

では②の場合はどうかと言うと、そもそも脚本を書く段階からその作品の候補者に考えてもらえるようなタレントである場合、かなりの確率で売れっ子である事が必須条件だ。

 

それ以外の可能性があるとすれば脚本家や投資家、監督などと人脈的、経済的コネクションがあるケースなどがあるだろうが、いずれにしても外国人タレントの為に脚本家がわざわざ新たな役を作るという機会はそう多くない。

 

日本の映画やドラマである場合、当然ながらほとんどのキャストが日本人なわけだし、それが中国の映画やドラマなら同じように中国人のキャストが自然と選出されるようになっているわけだ。

 

俺が中国で芝居に出る機会が欲しいといくら望んでもなかなかそういったチャンスに恵まれない要因の1つにこういったバックグランドがあった。

 

そんな悩みやジレンマに頭を悩ませていた頃、俺にとって中国にやってきて以来初めてとなるドラマ出演の話が舞い込んだ。

 

 

 

155:中国で初めて撮ったミニドラマ

 

中国で日本人の役者が必要とされる場合、圧倒的にその需要が多い役柄に戦争映画の日本兵の役が挙げられるだろう。

 

中国が舞台に描かれている中国映画なのだからほとんどの場合で日本兵は残忍で中国人から見てひどい人物像として描かれているというケースが従来までの大多数の需要となる。

 

日中友好という目標を掲げる俺にとってはいくら仕事になるからとは言え、そういった役柄を演じる事だけは昔も今もあり得ないだろう。

 

日本人の役者を必要としている映画やドラマの需要自体がほぼ皆無な中で、戦争映画という映画の本数や需要自体が多い中国映画界では悪役の日本兵は割りと日本人の役者にとって声がかかりやすい役柄だ。

 

言い換えれば日本人の役者が必要とされる需要はほとんど大多数でこういった役柄である場合がその割り合いを占めるだろう。

 

俺にも今まで何度かこういった映画やドラマに出演しないか?という依頼が来た事があるが残念ながら丁重にお断りさせて頂いている。

 

確かに歴史的に日本と中国の間にはまだまだ乗り越えなきゃいけない壁や反省していくべき過去もある。

 

でも俺は現代を生きる沢山の素晴らしい日本人を知っているし、世界に誇れる日本の文化や伝統なども大好きだ。

 

同じように現代を生きる沢山の素晴らしい中国人を知っているし、5千年の悠久の歴史や文化が大好きだ。

 

そのどちらも素晴らしいし素敵な人や物に溢れている事実を自分の目や耳で見たり聞いたりしてきた中で俺はよく知っている。

 

だからネガティブな形で日本を表現したり中国を表現するような仕事を俺はこの先も一切受けるつもりはない。

 

どうせ受けるなら日中友好に少しでも貢献出来るような仕事を選んでいきたいというのが俺の信念だ。

 

だから30分のミニドラマとは言え、初めて戦争映画以外のドラマ出演の依頼が来た時は本当に嬉しかった。

 

俺はパートナーのチーチーと二人で浙江テレビが撮るミニドラマに出演する事になったのだ。

 

 

 

 

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