126:さよなら、そしてありがとう

 

恐らく加油!好男児のオーディションでは最後になるであろうパフォーマンスの時間を迎え、俺はゆっくりマイクスタンドが用意されたステージ中央にたどりついた。

 

「今から自分自身が作った歌を歌います。「不知道方向(どこへ向かおうか僕も分からない)」という曲です。

 

最初は右も左も分からず上海にやってきてオーディションに参加しました。友達も家族もここにはいませんでした。でもその中で様々な人と出会い、励まされここまで歩いてこれました。今は少しだけ自分の進むべき道が分かったような気がしています。このオーディションの結果がどうであれ俺は今後も中国に残りたいと思います。」

 

その時出た言葉は本心だった。

 

あれだけ多くの人達に応援され、励まされて俺はあのステージに立っていたのにファンのみんなにはまだ何もお返しが出来ていなかった。

 

オーディションが終わった後の身の振り方なんて全く決まっていない!

 

でも確実なのは留学をしてでも上海に残って自分にしか出来ない事をゼロから探してみよう。そしてその先で応援してくれた人たちに恩返しをしよう!という思いだった。

 

当時、日本に帰る事しか全く頭になかった俺にとって自分でも驚くほどの心境の変化だった。

 

つまり中国人のファン達への思いや感謝がその先の自分の人生を180度変えてしまっても構わないという覚悟の自分を作り出していたわけだ。

 

スピーチを終えると俺はギターを奏で出す。

 

そして2か月の軌跡を振り返りながら不知道方向を力強く、そして魂を込めて歌い上げた。

 

歌い終えるともう心の中ではステージを去る気持ちの準備が整っていた。

 

だから直後、友人の上海人選手が歌を歌い終えた後にはもう自分のファン達の方しか見ていなかった。

 

彼らと少しでも長く対峙していたかったのだ。

 

彼らを見ていると言葉では伝えきれない感謝ばかりが溢れてくる。

 

「孤独にスタートさせたはずのオーディションで俺をこんなにも応援して支えてくれてありがとう。俺に道を示してくれて本当にありがとう・・・。」

 

そうして結果が発表されると俺の立っていたエレベーター式のステージはゆっくり下降を始める。

 

このエレベーターが降り切れば今度は間違いなくオーディションを離れる事になる。

 

顔がステージから消え、手しか映らなくなっても最後まで俺はファン達に手を振り続けた。

 

ありがとう!今まで本当にありがとう!

 

 

 

 

127:上海で始まった第二の挑戦

 

今度こそ本当に俺はオーディションに落選した。

 

だが心から晴れ晴れした気持ちだったし悔しさなど微塵もなかった。

 

俺の心に残ったのは最後まで真剣に俺を応援し続けてくれたファン達への感謝とそれに応えたい強い思いだけだった。

 

オーディション落選の翌日、俺は番組出演中お世話になった宿舎を離れ以前住ませてもらったマネージャーの親戚の家に引っ越しをする。

 

そしてその翌日から自分にとって上海での第二の戦いをスタートさせる事になる。

 

マネージャーと一緒に様々な企業やメディア関係者に営業を開始したのだ。

 

加油!好男児に出演して一定の知名度を獲得したからと言っても番組降板後のスケジュールや仕事はあの時点で全く決まっていなかった。

 

ここで芸能活動を続けていける何かしらのきっかけを作る事が出来なければ今までの二ヶ月はただの良い思い出と化してしまい俺は日本に帰らざるを得なくなるだろう。

 

そもそもオーディションに参加をした目的は中国で芸能活動を展開出来るきっかけ作りが欲しかったからなのだから、オーディション終了後からのあの時期がある意味で一番大変で大切な時期だったのかもしれない。

 

それに元々所属事務所を含め、俺は上海に一切のパイプやコネもなかったわけだから、ゼロから自分の市場を開拓していかなければならない厳しい状況だった。

 

その活動は約一ヶ月に及んだのだが当初はなかなか良い反応を周りから得る事が出来ず、半月も過ぎる頃になると次第に焦りを感じた俺とマネージャーの間に細かい意見の食い違いなどから生まれる衝突も目立つようになり出す。

 

俺達が営業をかけた半分以上は現地の日系企業や日本人相手だったから、実はその事自体がオーディションの影響力を考えると反響の少なさの大きな要因の一つになっていたのだと気付かされるまで俺達二人はこの後もう少し時間を費やしてしまう事になる。

 

俺達はあまりに上海の状況に疎かったのだ。

 

上海に駐在している日本人駐在員達でローカルテレビ番組を見ている人間などほぼ皆無だったのだ。

 

だからあの時期上海ではローカルの上海人はほとんどが俺を知っているのに対して日本人は誰も俺を知らないという現象が生まれていた。

 

上海にいる日本人が「小松拓也」という人間を一般的に認知するようになるまで約半年から一年のタイムラグがローカルとの間に生まれるのだがあの時期はまだそんな事すらもよく理解していなかった。

 

 

128:上海への突破口

 

加油!好男児のオーディション落選後、俺とマネージャーは毎日多くの企業やメディアに赴いて営業活動を行った。

 

序盤は日系企業を中心に営業をかけたせいかなかなか思うような反応を得る事が出来なかった。

 

日本人の年輩の会社経営者はほとんどがローカルのテレビ番組を見たりしないし現地の芸能情報に詳しい人も多くなかった。

 

だからオーディションでの成績や経歴などを話して聞いてもらってもオーディション番組の存在すら知らない人がほとんどでなかなか良い反応を示してくれる人は少なかったのだ。

 

ただ一部の企業では営業を終えてオフィスを去ろうとする俺にサインを求めてきたり写真を一緒に取りたいとお願いしてくるローカルスタッフがいる会社もあって、そういう反応を一人が示すと必ずと言っていいほど雪崩式に他のスタッフが塞きを切らせたかのように集まって来て俺に写真やサインを求めてきた。

 

その光景を目の当たりにした日本人スタッフは中国人スタッフのただならぬ反応を見て、この時初めて「この若者は本当に人気があるのだな。」と思ってくれるような様子だった。

 

そんな企業訪問を繰り返す生活が一ヶ月も過ぎようとしていた頃、先行きの見えぬ不安の毎日を繰り返していた俺のもとにとんでもない吉報が入る。

ユニバーサルレコードの上海代理店を行っているローカルの音楽系芸能事務所と晴れて契約を結べる事が決まったのだ。

 

担当の上海人マネージャーがレコード会社の社長さんと古い繋がりがあったという事がきっかけとなってこの契約は決まったのだが、俺にしてみたらお陰で非常に大きな第一歩に繋がったわけだ。

 

仮に中国で一切の受け入れ先が見つからなかった場合は一旦留学をしてでも中国に残る道を模索していた。

 

だから仕事をしながら上海に残る事が出来る可能性を手に入れられた事は本当に心から喜ばしい出来事だった。

 

受け入れてもらえる事務所が見つかった事でついに俺は本格的に上海に進出するきっかけを手に入れられたわけだ。

 

「今後の営業活動にもより一層気持ちが入るぞ!」

 

 

129:好調な駆け出し

 

上海で所属する芸能事務所が見つかってしばらくすると俺はビザの期限切れが迫った事もあり一度日本へ帰国する事になった。

 

思えばまだ寒かった4月初旬、ギターと僅かな厚手の服だけを持って乗り込んだ上海もすでに7月という真夏の時期に季節を移していた。

 

当初は上海に長く滞在する事を全く想定していなかったから夏服すら持っていなかったし、ビザの期限切れがきっかけで日本に一度帰るには色々な意味で頃合いだったのかもしれない。

 

そして帰国が決まった同じ頃、応援してくれたファンのみんなに感謝を伝える為ファンミーティングを開催する事も決定した。

 

決行日は帰国の前日。

 

所属先事務所やファンミーティングの決定など、俺にとってフォーカスしやすい明確な目標が見つかった事でこの頃から精神的不安や負担がかなり減少する事になる。

 

それはそれまであまり成果の出なかった営業活動にも精神面で大きな影響を出し始める事に繋がり、以降営業活動にはより一層気持ちが入る事になる。

 

そうして帰国やファンミーティングの日程が近付いてきたある日。
マネージャーが興奮しながら一本の電話をかけてきた。

 

「富士フイルムのデジカメのイメージキャラクターが決まったよ。今回日本に帰る前に撮影するからね。」

 

この吉報を聞いた時は本当に飛び上がるほど嬉しくてしばらく興奮が冷めなかった事を俺は今でも忘れていない。

 

人生で生まれて初めて企業のイメージキャラクターに抜擢されたのだ。

 

こんなに嬉しい事はなかったし、必死に仕事を取ってきてくれた上海人マネージャーに強く感謝した。

 

今までの人生では「継続的な成功」に常に無縁だった俺の芸能生活。

 

加油!好男児のオーディション後も

「もしかしたら今回も今までと同様に一過性の成功に終わってしまうのではないか…?」

 

そんな不安が常に付き纏っていたから事務所との契約やイメージキャラクターの決定という立て続けに起こった最高の出来事に俺はようやく上海に来てこの時点で初めて深いプレッシャーや緊張感から解き放たれる事になる。

俺が今も住み続けている上海という街での芸能生活はこうしてその小さな歯車を回し出す事に成功したのだ。

 

 

130:生まれて初めての広告撮影

 

07年夏。

 

参加したオーディションを終え、その後順調に中国での受け入れ先となる所属事務所も見つかった。

 

更に直後、上海での本格的な仕事第一弾に決定したのは富士フイルムのデジカメのイメージキャラクターというこれ以上ないほど最高のスタートを新天地で俺は切った。

 

今までの人生でここまで上手く話が進んだ事はなかったから順調に仕事が繋がっていく様子は本当に信じられない思いだったし、中国でチャレンジをした事を改めて良かったと思えた。

 

中国にやってきた事で見る世界も体験する全ての新しい発見もその多くが俺にとって日本では感じたり学んだり出来得ない貴重な時間となっていく。

 

今振り返ると中国にやってきてからが俺にとっての第二の人生の始まりだった。

 

 

そうしてやってきた人生初となる広告撮影の日。

 

富士フイルムの広告は平面広告だったからスチールのみの撮影となり、そのカメラマンを担当したのは俺の一つ年下で今は上海でカメラマンとして一定の地位を築いている市村君だった。

 

当時彼は俺とほぼ同じ時期に上海にやってきたばかりの上海初心者で、日本時代は某有名カメラマンのアシスタントを経てその後独立。

国際的に活躍出来るカメラマンを目指し単身上海に渡ってきたばかりだった。

 

富士フイルムの仕事はそんな彼にとっても上海で受けた初めての広告の仕事となる。

 

実は彼以外でもこの広告に携わった人間のほとんどが同世代だったのだが、それは俺にとって非常に新鮮で刺激的な事だった。

 

広告代理店の担当者の日本人も俺の一つ年下だったし、当日現場に居合わせた人間はほとんどが30歳前後。

 

上海には俺と同世代で活躍する日本人が沢山いたのだ。

 

それぞれ業種は異なるけれども異国にいる同世代の存在や活躍は非常に良い刺激になったし、その後の自分の上海生活の中でも普段からモチベーションを支える大きな要素の一つとなる。

 

この日の撮影も周りから終始大きなエネルギーを受け取りながら最後まで撮影を楽しんでこなせたように思う。

 

上海生活を新たにスタートさせたばかりの早い時期にこうした刺激し合える仲間と出会えた事は本当に運が良い事だったなと今でも思うのだ。

 

 

 

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