76:新天地でバイトスタート

 

バイト中に俺の仕事振りを評価して名刺を渡してきたある派遣会社の社長さんの下を後日訪ねた。

 

話を聞いてみると非常にエネルギーに溢れた夢を持った人だった。

魅力的な人だなと思ったしどうせ働くならこういう人の下で働いてみるのも悪くないとさえ思えた。

 

 

でも二年間働かせてもらい面倒を見てくれた派遣会社を見限るように辞めるのは抵抗があったしすぐには決断出来なかった。

 

そんな俺の思いを汲み取ってくれた社長さんはある提案を俺に持ち掛けてくれる。

 

 

「試しにうちで暇な時だけでいいんで体験で数度働いてみませんか?それで中身を判断してもらってから決めてくれてもいいですよ。」

 

俺にとってはありがたい話だった。

 

実際に体験して働けるのならばその会社の体質や現場レベルの成熟度、関係先のお店と築いている関係性などを具体的に知る事が出来る。

 

もし俺自身が新境地での仕事にやり甲斐を感じる事が出来るなら、もう一方のやり甲斐を喪失し始めていた派遣会社での仕事を打ち切る覚悟も持ってみても良いのではないか?

 

そう思えた俺は数日後体験でアルバイトをさせてもらう事にした。

 

派遣会社が変わったと言っても業務内容は基本的に変わりがなかったしその日の仕事は何の問題もなく業務を終了出来た。

 

ただ初日働いただけで分かったのは所属しているスタッフの質の高さだった。

 

その考えは二回、三回と現場の数をこなしていくと確信へと変わっていく。

 

新しい派遣会社で勤務しているスタッフの女の子達はよく鍛えられていて意識が高かった。

 

仕事への意識が高い人と一緒に業務をこなす事は当然良い緊張感を持って仕事に臨めたし楽しかった。

 

そうして更に数度新しい派遣会社での仕事を重ねた後、俺は以前お世話になった会社を完全に辞めて新しい派遣先に移る事を決意する。

 

 

 

77:29歳の誕生日目前で起きたアクシデント

 

派遣会社を変えて新天地で新たな気持ちでスタートさせたアルバイト生活。

 

あの頃の俺はバイトを主体とした生活を続けてかれこれ二年半が過ぎていた。

 

もう年齢にして29歳を迎えようとしていたし周りの同級生は結婚したり昇進したりしてそれぞれ第二の人生に足を踏み入れていたように俺の目には映った。

 

友人によってはマイホームを持ち始めるヤツもいたし30歳が現実的に迫って来た中で俺は段々と自分の置かれた状況や現実に焦りを感じ始める。

 

「このまま芸能界で頑張ってももう日の目を浴びる事はないかもしれない。それどころか就職して新たに人生を始め直してもサラリーマン経験すらない俺にまっとうな未来は待っているのだろうか?」

 

そんな事を考えない日は当時ほとんどなかったかもしれない。

 

現実世界でバイトを続けながらそんな生活の果てには訪れるはずのない明るい未来を俺は期待する事さえ出来ずただただバイトを繰り返しその日暮らしを続けた。

 

「もし芸能界から身を引くならば俺には何が出来るのだろう…」

 

やりたい事も新たな夢や目標も見つけられずバイトを繰り返す日々は俺を精神的にどんどん弱らせた。

 

台湾でのアーティスト活動時代に遠距離恋愛をしていた彼女と別れて以来、俺には長い間彼女がいなかった。

 

さすがに時間と共に心の傷は癒えていたが当時の俺にはどうしても誰かを好きになる事が出来ずにいた。

 

特定のパートナーもいなかった事は俺を余計孤独に追い込んでいたかもしれない。

 

唯一の楽しみは学生時代から続けていた趣味のバドミントン。

 

 

体を動かす事でストレス発散出来たし、バドミントンに没頭しどんどんと上達する自分を感じられた事は仕事や将来に何の望みもなく過ごす俺にとって唯一の充足感を与えてくれた。

 

そうして迎えようとしていた29歳の誕生日の直前、俺の人生を変えるあるアクシデントが起きる。

 

 

78:アキレス腱切断と休息生活の始まり

 

2006年12月初旬。

 

当時バイトをしている時間以外に俺が打ち込めるものは趣味のバドミントンしかなかったのだが、そのバドミントンのある日の練習中俺を思いもかけないアクシデントが襲う。

 

前年には社会人の全国大会にも出場したりするなどこの頃の俺はバドミントンの上達振りが顕著で練習をするのが楽しくて仕方なかった。

 

だがそれがかえって災いとなったようだ…。

 

 

練習中に態勢を崩し少し躓いたような状態になった瞬間があったのだが、その態勢を無理矢理片足で踏ん張って蹴り返そうとした直後、つま先から頭の真上まで大きく響き渡るような「パチン」という音が俺の体を駆け巡った。

 

次の瞬間俺は地面に転がりこんでいた。

 

靴紐が切れて転んでしまったのだと思いすぐに立ち上がろうとしたのだが靴紐は切れていなかったし上手く立ち上がる事も出来ない。

 

ようやく立ち上がれた後も今度は上手く歩けなかったし足に痛みと腫れを伴っていた。

 

翌日病院に行って受けた診断はアキレス腱断裂…。

 

 

正直絶望に暮れた。

 

ギブスをし足を固定してしまったからそんな状態ではしばらくバイトで働く事も出来なくなってしまった。

 

当然当時唯一の生きる喜びであったバドミントンも出来なくなってしまった。

 

それだけでなく普通の生活を送るにも様々な不便が伴った。

 

30歳を手前にして未来に不安を感じつつも具体的に当時の自分の生活を顧みる事もなく、あてもない未来と直面したくない現実から逃げるようにその日暮らしを続けていたバイトと趣味のバドミントン暮らしをしていた28歳11ヶ月の俺。

 

皮肉にも大好きだったバドミントンをする事でそのバドミントンから決別しなければならない状況に自分を追い込んでしまったのだ。

 

少なくてもギブスが取れるまでの二ヶ月間。

 

俺は安静にして暮らさざるを得なくなってしまった。

 

 

 

79:アキレス腱を切って良かった

 

アキレス腱を切った事は結果的に俺の人生を大きく変えた。

 

皮肉だがアキレス腱を切る事で俺は惰性的だった自分の生活や考えを改める事が出来るようになったからだ。

 

もしあの時アキレス腱を切らなければ俺の人生は恐らく変わる事はなかったろう。

 

当然怪我をしたばかりの頃はそんなポジティブに考えられなかったしネガティブな気持ちで胸はいっぱいだったわけだが不思議と怪我をして時間が経過をすると俺は直面してしまった現実と次第に向き合うようになり出す。

 

怪我を抱えた事で日常で出来得る行動は大分制限されるようになってしまったし生活や考え方もどんどんとシンプルになっていった。

 

怪我をしてしまった以上その事実は変えようがなかったわけだし、その中で自分がやるべき事を見出だそうとした。

 

例えば怪我前だったら大好きなバドミントンをやれない日があれば、それは俺にとって苦痛で仕方のない時間だった。

 

あの頃の俺にとってバドミントンはもはや麻薬のような存在だった。

 

だが怪我後はやりたくてもやれないバドミントンの事を考える時間自体が苦痛だったから頭の中でバドミントンをやりたいという欲求を考えないようにした。

 

 

怪我をしている間怠惰に過ごす事は至って簡単だったが自分のミスでアキレス腱を切りバイトも趣味も何もかも出来ない状況に陥った自分が許せない心情も宿り、何か自分にプラスになる事をやろうとも考えた。

 

そこで向き合ったのがもう一度真剣に芝居を勉強したいという願望だった。

 

それからというもの何本ものビデオを借りてきて一日中映画のビデオを見て芝居を研究したりした。

 

こうして俺はアキレス腱を切った事でようやく遠ざかっていた芸能界を続けたいという夢を現実的にまた追いかけ始めるのだ。

 

 

80:怪我から学んだ些細なこと

 

アキレス腱を切って以来日常の生活でも不便が付き纏った。

だがそこから学んだ事や感じた事、気付いた事も少なくない。

 

 

当時俺は松葉杖の生活だったし出来れば生活の中でもあんまり移動したり立ち座りを繰り返す行為はしたくなかった。

 

階段の上り下りは特に辛い作業だったし一段ずつしか上り下り出来なかった。

 

そういう生活を強いられるようになって日本という国は先進国でありながら意外にもバリアフリーの文化や意識がまだまだ遅れている事に気付かされる。

 

同時に怪我人や体が不自由な人に対して世間はそこまで関心が強くなく、普段自分が思いやりを持って町行く怪我人に接してきたようでもそれはあくまで健常者目線なのだという事も理解するようになった。

 

例えば松葉杖で道を歩いていた頃何度となく当時の俺を襲った不安がある。

 

松葉杖でゆっくり歩く俺の体のすぐ横をすれ違ったり後ろから追い越していく通行人や自転車が意外なほど多かった。

 

松葉杖を前に出しながら歩く際、必ずしも体に平行して杖を前に出せるわけではない。

 

時には杖の出しどころに糊代程度のプラスマイナスが生まれる。

 

だが一般の通行人にとってそんな事は意識の範疇にない場合が多いようで自身の目測だけでこれぐらいなら問題ないだろうと判断した俺の体のすぐ脇あたりを通ろうとする。

 

当然それらの一回一回が俺にとっては危険を感じる瞬間だったし神経を擦り減らす瞬間でもあった。

 

同時に健康だった頃、そんな些細な不自由な方達への気配りを周りの人達と同様今まで大して意識した事のない過去の自分に気付く。

 

体が不自由な人間にとって一瞬の判断の間違いは即大怪我や危険に結び付くし、健康な時と違って危ない目に遭ったからと言って一瞬で危険を回避出来るような瞬発力もない。

 

怪我人の俺からしたら街を歩いている事だけでもバランスを崩してしまったり転びそうになってしまいハッとする瞬間が何度もあった。

 

特に俺の住んでいる街は坂道だらけで平坦な道を歩くよりもリスクがいっぱいだったし、体力面でも移動が非常にハードだった。

 

そういった怪我人を意識したり思いやって道を譲ってくれたりゆっくり大きく避けてくれたりする人は残念ながらほとんど巡り会わなかった。

 

逆にそっと道を避けてくれたり俺を驚かせないよう気遣いながら道を歩いてくれるような心優しい人にもたまに出会え、何とも言えない感動や感謝を感じる機会にも恵まれた。

怪我をした事で健康がいかに大事で素晴らしい事かを俺は数ヶ月もの間身に染みて感じ取るようになったし、日頃当たり前だと思っていた事が実は非常にありがたみのある当たり前ではない貴重な事なんだと意識出来るようになった。

 

怪我をした事はきっと俺にとって必然的な神様が与えてくれた試練だったに違いない。

 

 

俺は今までの人生で身につけた凝りに凝り固まってしまった思想観念や固定概念を怪我によってラッキーにも打ち破り始める事になるのだ。

 

 

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