31:ドラマ教習所物語への出演

 

ジミーが日本を去ってからしばらくすると俺はTBSのドラマに出演出来る事が決まった。

武田鉄也さんが主演をした「教習所物語」だった。

 

水前寺清子さんや谷啓さんをはじめとした大物キャスト陣の中でドラマの中心人物の一人として抜擢されたのだ。

 

俺にとっては千載一遇のチャンスだったししばらくスポットライトの当たる場所での活動から離れていた事もありあの時は異常にテンションが上がった。

 

「絶対にこのチャンスをものにして成功してみせる!」

 

ドラマ撮影開始前の俺のドラマへ賭ける意気込みはとにかく半端なかった。

けれどドラマの撮影がいざスタートしてみると段々とその意気込みは自信喪失へと変わっていく。

 

周りの役者さん達が凄すぎて現場ではいつも圧倒されてしまっていたし家に帰ってからも反省の日々を繰り返す。

あれだけ凄いキャスト陣の中で自分の存在感をアピールするという作業がいかに大変かと俺は日に日に思い知るのだ。

 

自分の全力を一心に投じても他の役者さん達の周りに小さな波紋さえ作り出す事が出来ない現実・・・。

 

悔しかったし何より情けなかった。

ただぶら下がるようにしがみ付くようにあの時の俺は撮影現場にいた。

 

芝居を正直舐めていたのかもしれない。

限られた時間の中で周りの役者さんの演技力に追いつけるはずなど到底出来るわけはなく、自分の未熟さを痛感すると同時に日頃芝居に対して力を投じていなかった自分自身の過ごし方を後悔もした。

 

結果、ゴールデンタイムに放送されたあれだけ贅沢なキャスト陣に囲まれてメインキャストの一人を演じる事が出来た超ビッグチャンスを俺は結局活かす事が出来ずまた再び沈黙の日々を送る事になっていくのだ。

 

 

32:水前寺清子さんから学んだこと

 

教習所物語にレギュラーとして出演していた頃、何度か先輩の役者さん達に食事に連れていってもらった事がある。

一番最初に食事に連れていってくれたのは武田鉄矢さんだった。

 

当日の撮影が終わるとレギュラー陣数名を引き連れ武田さんがたまに行くという青葉台駅近くの居酒屋に集まった。

 

まだクランクインして間もない頃だった事もあり役者陣の結束を深めようと主演として心配りをして下さったのだろう。

当日は武田さんが食事をご馳走して下さり、食事中も終始和やかで楽しい雰囲気を演出してくれた。

 

役者であれ違う分野の職業であれ本物の一流の方々はやはり何かが違うようだ。

あれから10年経った今でもあの時の事を思い出すと素直にそう感じるし、俺が人生で触れ合ってきた素晴らしいなと感じる方々全てに共通する他人にそう思わせる事の出来るその人の存在感や人柄、人間性。そして他人を気遣う事の出来る心配り。

 

自分が有名で一流である事に奢る事なく人を気遣えるあの姿勢に若いうちに触れられた事は俺にとって本当に大きな財産だったと思う。

それを特に強く感じさせてくれたのは水前寺清子さんだった。

 

ドラマの撮影期間中何度も俺を食事に招待してくれ色んな話をしてくれた。

水前寺さんが当時俺に話してくれた数ある為になる言葉の中でも特に印象に残って忘れられない言葉が

 

「若いうちは苦労しなさい。苦労をしてでしか手に入れられないものがある。そして人間を磨きなさい。辛くても頑張っていればいつか願いは叶うから」というような内容の言葉だった。

 

ご自身も若い頃相当苦労されてきた水前寺さんの一言一言は本当に重たかったしありがたみがあり、何気ない事をサラっと話していたとしてもそれはオレにとって感動的で貴重な一瞬一瞬であった。

 

教習所物語がクランクアップして俺が売れない役者としてその後の人生を歩き続けた長時間の中で水前寺さんの言葉の数々が俺にとってどれほど大きな教訓になっただろう?

そして俺をどれだけ救ってくれただろう?

 

役者として大成のきっかけにはならなかった教習所物語だったが、水前寺清子さんと出会えた事は俺にとって今でも掛け替えのない大きな出来事なのだ。

 

 

 

33:ドラマ撮影期間に交通事故に遭う

 

ドラマ教習所物語の撮影期間中俺は交通事故に巻き込まれてしまった事がある。

ドラマのロケ先だった千葉県市原から車で自宅に戻っている途中その事故は起きた。

 

車5台分の玉突き事故の真ん中に挟まれてしまったのだ。

乗っていた車は当然衝撃でボロボロになったし俺も不意打ちをくらった事もあり大きな怪我にこそ至らなかったものの強いムチ打ちとなってしまう。

 

教習所物語というドラマを撮っている期間中に交通事故に遭ってしまうというのも何だか皮肉なものだ。

翌日からはコルセットを首に巻いて撮影現場に通う事になった。

 

首の神経を痛めてしまうと頭痛がしたり頭がボーっとしやすくなるようでしばらくは撮影中や私生活でも集中力が途切れやすい状態が続いた。

 

もちろん芝居の出来の良し悪しにその怪我が与えた影響などはしょせん微々たるものに過ぎなかったわけだから俺が芝居を上手く演じられなかった事は本来もっと違う理由があった。

 

でも俺は怪我を言い訳の材料にして自分の無力さを必死で誤魔化そうとした。

怪我をしたのはちょうどドラマの3話目の撮影時期で俺の演じる役がメインとなってストーリーを展開していくあまりにも重要なタイミングでの出来事だった。

 

俺はこのビッグチャンスで最大限のアピールをする事が出来なかった・・・。

 

結果誰かの心や印象に残る事もなくほとんど何の反響もないまま時間は過ぎていく事になる。

 

世界中にドラマや映画の撮影中に怪我をする役者など沢山いるが、それでも一流の人は怪我をしようがしまいが必ずいい芝居をする。

少なくても他人に調子が悪い事を悟らせない。

 

それがどれだけ精神力と体力を浪費する作業かは言うまでもないが、俺は同じ状況になった時に心のどこかで自分に逃げ道を作っていた。

 

テレビの向こう側にいる視聴者が見ているものはあくまで作品そのものであって俺の日常生活などではない。

どんな状況があるにせよ一般の人の目に見えるのは良いか悪いかという結果だけ。

 

芝居を通してでしか伝えられないその世界の一部にあの頃の俺は無理やりにでも交通事故の断片を抱え込んでいたのかもしれない。

 

すぐにはどうしても埋まる事のない演技力や自信や経験の不足。

 

「事故のせいだ!」と思えば自分が楽になれていた気がする。

 

当然そんな俺の気持ちなど視聴者や周りの方々全てに届くはずもなく「芝居の出来ない役者」として俺は烙印を押されてしまった。

 

 

 

34:アクシデントは続く

 

教習所物語のドラマ撮影中、交通事故でムチ打ちになってしまった俺はその傷が大分癒え始めていたクランクアップ寸前にも違う怪我を負う事になった。

 

今度は左膝を痛めてしまったのだ。

 

ドラマのシーンで座っている姿勢から勢いよく立ち上がるという動作を求められる芝居があったのだが立ち上がった瞬間膝に激痛が走った事がある。

最初は少し捻ったのかな?とあまり気にかけていなかったのだがその痛みは数日しても消える事はなかった。

 

結局ドラマがクランクアップするまでその痛みと付き合いながら過ごしたのだが俺はその怪我の事をあまり深刻には受け止めていなく、そのうち治るだろうと完全に楽観していた。

 

ドラマを撮り終えると全てが終了したという解放感から撮影中に出来なかった色々な事をやりたくなり趣味のバドミントンもやりに行った。

 

足は痛いものの軽くやれば問題ないと勝手に決めつけ、そうして始めたバドミントンのプレイ中決定的な事故は起きる。

ジャンプして着地した瞬間左足中に激痛が走った。

 

当然その後はプレイを続ける事も出来なかったし膝に極度の痛みと違和感を残す状態になってしまった。

後日病院で診断されたのは左足半月板断裂。

 

最初の違和感ですで半月板を損傷していたらしく、本来であればその状態でも手術が必要だったようだ。

 

医者からは「よくそれで普通に生活していたね」と呆れられた。

結局俺は2日後に手術を受け半月板を除去せざるを得なくなった。

 

 

35:半月板の手術。そこで生まれた音楽

 

半月板の手術が終わって1週間を俺は病院で過ごさなくてはいけなかった。

 

左足はギブスで固定されトイレに行く時以外はベッドの上で寝たきりの生活を強いられる。

朝晩必ず訪れる点滴の時間が本当に嫌だったし何より手術した膝以外は健康そのものだったから同じ病室に入院していたお年寄りで体が不自由な方々と同じ空間で1日中過ごす事が日に日に苦痛になっていく。

 

「俺はあの人達と違って若いし本当は健康なんだからこんな場所にいなくてもいいのに・・・」

 

気持ちは元気なつもりなのに病院にいると何だかそれだけで生気を奪われるようで精神的に良くなかった。

それにやるべき事もなく1日ベッドに寝たきりになっていると時間を持て余して余計な雑念まで浮かんできてしまう。

 

「この怪我が治ったらまた元のようにちゃんと歩けるのだろうか・・・?」

 

「大好きなバドミントンはもう続けられないんじゃないか・・・?プレイヤーとしてはもしかしてこの怪我で終わってしまったんじゃないか?」

 

「今回みたいにもしかしたら今後の人生でも簡単に怪我をしてしまったりする事もあるのかな?俺の体は自分で思っているよりも全然弱いんじゃないかな・・・?」

 

 

病院という環境で自分の体が弱ってしまっている状況下だったあの1週間。

 

普段はあまりネガティブな発想をしない俺でも不安や弱音を日に日に抱え込むようになった。

 

そしてそんな自分が何より嫌で矛盾しているようだが弱い自分から一日も早く立ち直りたいという葛藤の時間を過ごす事になる。

 

「そうだ!今のこの気持ちを歌詞にして書き込んでみよう。今の俺だから書ける詞がきっとあるはずだ!」

 

 

こうして生まれたのが数年後台湾で中国語のCDアルバムをリリースした際に最も人気や評価を集め、2010年の上海万博では1万人を前に歌った「不知道方向(=どこへ向かおうか分からない)」だったのだ。

 

人生良い事ばかりじゃなくて辛い事や悲しい事もあって強い気持ちを持って生きていたってどこへ向かおうか分からない時が訪れる事もあるかもしれない。

でもそんな自分さえも乗り越えていくんだ!

俺を乗り越えられるのはオレしかいないんだから。

 

こんな歌詞の意味を乗せた不知道方向の誕生はこの後の俺の人生を大きく支える代弁者の誕生でもあった。

だっていつだってどんな状況や環境の時だって乗り越えられない壁は何1つなかったんだから・・・。

 

 

 

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