1:オレと中国。最初の出会い

 

俺と中国との出会い。

それは小学1年生だった1984年に遡る。

大の歴史ファンである父を持つ俺が父親から当時買ってもらった「中国の歴史」という漫画で分かりやすく中国の歴史を紹介している本がある。

元々日本の歴史にさえ興味を示していなかった当時の俺だがこの本との出会いによって中国へ大きな興味を示すようになった。

全10巻で中国5千年(中国では4千年ではなく5千年の歴史という認識が正しい)というとてつもなく大きなスケールの歴史を大雑把に簡潔に紹介するという内容の漫画だったが、それでも幼少時代の俺に隣国の中国を意識させるには十分のインパクトがあった。

黄河という大運河の治水工事から始まった文明はやがて更なる時代の流れと共に村、そして国へと変貌を遂げていき史上初の皇帝始皇帝を生み出す。

項羽との争いに劉邦が勝利を収めて建国した「漢」の末期からは世界中にファンを持つ三国志の時代が始まるわけだが、このくだりを読んでいる頃は幼心にドキドキと興奮が止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。

当時は漫画を何度も重複して読み返したものだし新刊が出版されるのをいつも心待ちにするようになっていた。

そんな俺が小学3年生だった冬休み。

自分の人生を更に変える事になった大きな出来事と遭遇する。

家族による中国旅行だ。

 

 

 

2:小学3年生でいざ中国へ

 

両親に生まれて初めて連れていってもらった海外旅行。

俺にとってそれが中国という国だった。

と言っても後にも先にも海外旅行は小学3年生の時に体験したこの一度きりとなるのだが・・・。

そもそも当時1986年という時代に海外旅行で中国へ行くという日本人はそう多くなかった。

この事も含めて両親が旅行先に選んだこの中国という国と俺との深い縁を強く感じてならない。

旅行は7泊8日。

回った都市は上海、広州、桂林の3都市。

当時の上海は高い建物が市内どこにでもまるで近未来の姿であるかのように乱立する現在の状態とは違い、その街並みにほとんど今の上海を映すものを探す事が出来なかった。

中でも強烈に印象に残っているのが各観光スポットを一通り見終えてバスに乗り込もうとするとどの観光場所でも大勢のボロボロの服を着てあかぎれた手をした子供や老人を含む中国人たちが俺達日本人観光客を囲み

「これ日本円、千円。これ1万円!」

と片言の日本語で各自お土産や骨董品など様々な物を日本円で売りつけようとしてきた光景だ。

我先に自分の物を売りつけようと日本人観光客に押し寄せる中国人の群れは時にはバスを囲んで車の発進を妨げるほどの勢いだった。

当時の日本円と人民元の関係性は現在の関係とは比べものにならないぐらい価値が違ったわけだし、人民元で物を売るよりも日本円で物が売れた方が彼らにとっては遥かに稼ぎになった時代。

日本人にとっても海外にやって来て千円という値段で一見高価そうで日本では見慣れない珍しい買い物が出来る事はお得感もあり、同じツアー客の中にはここで買い物をする人もいた。

当然中には全ての事情を理解した上でボランティア精神で買い物をする客もいたのだろうが。

不思議な縁で俺が今住んでいる街「上海」。

小学3年生の俺が垣間見た初めての上海はこんな思い出の街だった。

 

 

 

 

3:忘れもしない大絶景桂林

 

小学3年生で初めて体験した中国旅行。

短い中国滞在時間の中で俺が最も印象に残ったのは上海の豫園でも広州での自転車の数や人の多さでもなく桂林の漓江下りで見た大自然の光景だった。

陽遡まで観光船でゆっくり河を下る漓江下り。

そこで見渡す景色はまさに西遊記の世界。

孫悟空が跳ね回りそうな大きないびつな形をした岩山が四方にそびえ雄大な河を取り囲む。

その中をまるで時を忘れるかのように静かに船はただただ下って行く。

そこに広がる景色の圧倒的な存在感とインパクトは言葉で形容するにはあまりにチープで物足りない凄まじい絶景だった。

ただ立っているだけで尻もちをつきそうになってしまうほどの強烈な衝撃を受けながら目にしていく未だかつて体験した事のない新世界。

俺が生きてきた今までの人生で大自然を目の当たりにしただけであれほど大きく強烈な衝撃を受けたという記憶は後にも先にもこの桂林での1回だけだろう。

大自然の雄大さと寛容さの中でしょせん人はただ生かされているだけなのかもしれない。

子供ながらにそう強く感じた事を俺は今でも忘れない。

幼少時代にあの桂林の大絶景を見ていた。

それが俺の人生の価値観を大きく変えた事は間違いのない事実であり、俺が中国へ更なる興味を示していく大きなきっかけとなった。

 

 

 

4:母親が中国語に憑りつかれちゃったよ

 

小学3年生の俺には強烈すぎるほどのカルチャーショックだった中国旅行から日本に戻るとここでも大きな変化が待っていた。

それは母親が中国語を勉強し始めたことだった。

中国旅行前までは歴史好きの父の方が中国にむしろ関心が強かったように思うが旅行から帰国すると一変、母親はNHKの中国語講座をビデオに録りためながら勉強するようになり始め急激に中国に興味を示すようになる。

この母の新しい趣味というか情熱は母親が6年後に交通事故で他界するまでビデオの数にすると100数十本分続いていく事になる。

話は少し脱線するがここで俺の母親に関して少しだけ紹介したい。

俺の母は非常に純粋な人で曲がった事を一切許さない正義感に溢れた人だった。

俺達3人の兄弟に対しての教育も厳しくて妥協を許してくれなかった。

専業主婦だったが交友関係が非常に広くて周囲の人間からの人望も厚く、どこにいっても真ん中にいるリーダー的存在だったように思う。

彼女の葬儀には一般の主婦でありながら1000人もの人が参列してくれたほど色んな人から愛された超人のような女性、それが俺の母。

そして人にも厳しいがそれ以上に自分にとことん厳しい人だった。

自分に課していた毎日の課題が恐らくあったのだろうが例えばどんなに忙しい中でも必ず本を読む時間を作って本を読んだり、俺達子供に宿題や勉強をやりなさいと叱ったり促す時は必ず自ら率先して俺達が勉強している横で自分の勉強をしてみせたものだ。

それも必ず俺達よりも長く深く勉強するのだ。

こんな子供の目から見ても非のつけどころのない超人のような母親が真剣に中国語を勉強しはじめた。

中国旅行から日本へ帰国したばかりの俺にとってそれはとてつもなく衝撃的な出来事だった。

 

 

 

5:努力は奇跡を生む

 

俺は中学生になると兄きの影響で兄きが所属していたバドミントン部に入部する事になる。

俺が入部した同じ年から顧問の先生が新しくなり練習メニューや環境が一変するのだが、実はこの先生バドミントンというスポーツに全く無縁の経験値ゼロという状態で顧問を受け持った先生だった。

山岳や野球など元々スポーツが大好きだった先生は非常にパワフルな熱意と情熱を持った方で知識も経験もゼロの状態から指導を始めた弱小校のバドミントン部を翌年には関東大会へと導いてしまう。

部活は年間を通して休みが数えるしかないほど過密だったしとにかくよく走らされ怒鳴られながら叱咤された。

当時は先生の行動や言動が理不尽に思えて仕方なかったが大人になり今振り返ってみると家庭やプライベートもある中で土日や祝日を返上してまで毎日朝から晩まで俺達にあれだけの情熱と信念を持って真剣に向き合い、付き合ってくれた。

こんな事が出来る人間が一体今の世の中にどれだけいるだろうか?

そう考えると感謝してもしきれない。

先生との出会い。

そして時には泣きながら吐きながら走り続けた日々。

俺の人生を大きく変え、そして現在の俺を支える基礎となる土台を築きあげた2年数か月の部活動。

中国に住むようになった今でも辛い事があると必ずあの頃を振り返りこう思うのだ。

「大丈夫!あんなに辛くても走り切ってきた少年時代があっただろう。お前はまだまだ走れるよ。」って・・・。

「努力は奇跡を生む」

それが先生が2年間俺達に常に言い聞かせてきてくれた言葉。

走るフィールドが変わった今も俺はこの言葉を信じて日本と中国の間で自分が描くとてつもなく大きな夢の実現に向け毎日歩いている。

いつか奇跡が生まれる事を信じて!

 

 

 

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